シナヤとルーシェ⑤

 ちょうどいい勘違いをされていると思った。


「そうだと言ったら?」

「おお!? やっぱりそうかぁ! おっかねぇおっかねぇ。そんな新進気鋭の魔法使いサマと、争いごとはゴメンだ。さっさと自分の女を連れてお帰りになってくれ」


 突き飛ばされたルーシェが、まるでモノのようにこちらに返された。

 口枷を外し、目隠しをすぐに取る。こちらを見上げるルーシェの目元は、赤くなっていた。


「ごめんなさいシナヤ……私、勝手に」

「いいよ。大丈夫だから、な?」


 ルーシェの背中を軽くさすりながら、オレはバルドを睨みつけた。


「ずいぶん、素直に返してくれるんだな?」

「言っただろ? こんなところで、噂の勇者サマとコトを構えるのはごめんだって」


 それらしい言葉と共に整った顔立ちに浮かぶのは、どこまでも軽薄な笑みだった。


「俺はさ、無駄な労働はしたくねぇんだよ」


 しっしと。

 蚊をはらうような仕草で、手のひらが振られた。


「アンタの探し物が見つかったなら、さっさと帰ってくれ。俺らは楽しく飲んでいただけだった。アンタも少し夜の散歩を楽しんでいただけだった。それでいいじゃねぇか、なぁ?」


 女は返す。

 だから自分たちの奴隷売買は見逃せ、と。

 バルドは、そう言っていた。


「助ける義理はねぇだろ? のは、アンタだっていう噂もあるくらいだ。その大事そうに抱えてる混ざりモノが、エルフどもからどんな扱いを受けてたかなんて、バカな俺にも想像できるぜ?」


 バカ、と己を卑下するわりには、バルドの洞察は鋭く、その言葉の内容も的を得ていた。


「モチロン、腰を据えてやり合おうってんならそれはそれで構わねぇが……」


 馬の蹄が、地面を鳴らす音がした。

 増援の合図だ。

 オレとダラダラ会話をしていたのは、時間を稼ぐためだったのか。この男、見かけと言動以上に、どうやら頭が切れるらしい。


「さすがに、人数的に厳しいだろ? だから、さ。ここはお帰りくださいよ、勇者サマ」


 オレが、安全に勝てる保証は、完全になくなった。


「……行こう。ルーシェ」


 ルーシェの手を引いて、歩き出す。

 取り囲んでいた連中が、嘘のように退いて、道を開ける。

 馬車の上。檻に収められた奴隷のエルフたちが、こちらを見ていた。

 縋るような視線があった。恨むような眼光があった。

 でも、ヤツの言うとおりだ。

 オレに、彼らを助ける義理はない。理由もない。

 判断を鈍らせる怒りを、振り払う。

 これでいい。

 オレは、ルーシェが救えればいい。ルーシェだけを、幸せにできればいい。


 ……本当に? 


 幸せなのか? 

 これが? 

 好きな女に、下を向かせて、唇を噛み締めさせて、堪えさせるのが、幸せなのか? 

 ふと、顔をあげると、一人の女の子と目があった。

 まだ小さかった。出会った頃のルーシェよりも、きっと小さい。

 手枷に繋がれた腕が、とても細かった。出会った頃のルーシェよりも、きっと細い。

 乾いた唇が、動いた。




 ──たすけて。




 と。

 声が聞こえなくても、唇が言葉を紡ぐのを、オレは見た。

 足を止める。

 振り返って、バルドに向けて問う。


「なあ、最後に一つだけいいか?」

「なんだい?」


 オレは勇者じゃない。


「このエルフたちは、全員売るのか?」

「ああ。世の中には物好きがわりと多いからな」


 オレは勇者じゃない。


「…………なるほど。よくわかった」

「理解が早くて助かるよ。清濁併せ呑んでこその、英雄だ」


 オレは勇者じゃない。

 魔王を倒せない。世界も救えない。村の一つも、女の子の一人も、助けることができなかった。

 だから。

 だとしても。




「じゃあ、このエルフたち、全部くれ。オレが買い取る」




 ここで手を差し伸べることをやめてしまったら。

 きっとオレが、オレでなくなってしまうから。

 革袋を差し出して、手近な男に向けて、頭を下げる。


「これが全財産だ。頼む」

「……冗談はやめてくれ。そんな端金で買えるわけが……」

「ケチだな。なら、値引きしろよ」


 価格交渉は、一瞬で決裂した。

 突っ立っていたバルドの部下を、オレは片手で殴り飛ばした。


「……シナヤ」

「ごめんな、ルーシェ。少し、付き合ってくれ」

「ううん! 謝らないで! むしろ……惚れ直した!」

「そりゃどうも」


 悪党の親玉が、空を仰いで溜息を吐く。


「はぁーあ。結局こうなるのかよ……だから勇者なんて呼ばれる人種はキライなんだ」

「勇者、勇者と。さっきからうるせぇな。オレの名前は『勇者』じゃねぇよ」


 オレは、勇者じゃない。

 ただ、隣にいてくれる惚れた女を守りたくて。

 ただ、助けを求める声を無視できない、しがない冒険者。


「シナヤ・ライバックだ。今からお前の商品、全部まとめて強奪させてもらう」

「ご丁寧にどうも。バルド・シリューカスだ。正当防衛でテメーをぶっ殺す」

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