シナヤとルーシェ④

 結局、一ヶ月では済まなかった。


「いやぁ、あの街に二ヶ月もいちゃったねぇ」

「ま、たまにはいいんじゃないか? 長居するのも」

「素直じゃないね、シナヤ。本当はあの子とお別れするの、結構さみしかったくせに」

「あー、聞こえません知りません存じ上げません」


 旅をしていると、やっぱりいろいろな出会いがあった。

 魔導師のお姉さんや発明家の少年だけではない。親切な人や、やさしい人と話しているルーシェの横顔は、いつもとても楽しそうだった。

 だから、時々考えてしまうようになった。

 こんな根無し草のような生活ではなく、もっと彼女を幸せにして あげる生き方があるのではないか、と。


「シナヤ」

「ん?」

「あれ……」


 ある日。違法な奴隷商人の一団とすれ違った。

 ルーシェに指差された方向を見て、その表情の意味を理解する。鎖に繋がれていたのは、人間ではなくエルフだった。その特徴的な長い耳には、商品のタグになるピアスがつけられていて、人間との最大の差異であるはずの背中の翅は誰一人として例外なく、無惨にもがれていた。

 商人たちに見咎められないように、オレはルーシェの頭に深くフードを被せて、耳を隠した。


「シナヤ?」

「早く行こう」

「でも……」

「行くぞ。ほら」


 噂には聞いたことがあった。あのエルフの村が全滅したあと、種族迫害の風潮がより一層強まり、多くの罪のないエルフたちが、奴隷として捕まえられている、と。

 知ったことではなかった。

 まだルーシェよりも小さい子がいた。ふくれたお腹を抱えた母親もいた。腕のない男もいた。そんな彼らの縋りつくような視線が、痛かった。オレはルーシェの手を引いて、足早にその場から立ち去った。

 握りしめた手のひらが、強くこちらを握り返してくる。


「ねえ、シナヤ。私……」

「ルーシェ。頼むから、助けたいなんて言うなよ」


 言葉の続きが出てくる前に、オレは自分で先回りしてその発言を押し留めた。

 助けられるわけがない。

 助けてやる義理もない。

 でも、以前のオレなら? 

 今もどこかで戦っている、もう一人のオレなら? 

 ……いいや、違う。


「オレは、勇者じゃない」


 吐き捨てたその宣言に、ルーシェはどこかはっとしたように下を向いて。


「うん。そうだね。ごめん」


 絞り出すように呟いた。

 これでいい。

 オレは世界を救うことを諦めた。

 ただ、隣にいてくれる女の子を幸せにすると、そう決めたのだから。



 ◆



 その日の夜。

 ふと目を覚ますと、隣にルーシェがいなかった。

 どこに行ったかは、すぐにわかった。どうなってしまったかも、なんとなく予想がついた。

 奴隷のエルフたちを、助けに行ったのだろう。

 自分の首の裏側。頭の底に、じんわりと怒りが溜まっていくのを自覚しながら、オレはろくな準備もせずに奴隷商人のキャンプ地に身一つで乗り込んだ。


「なあ、ハーフエルフの女の子を捕まえただろ? 返してくれ」


 とりあえずそう聞いてみたが、ならず者たちは酒が入っていることも相まって、まともに話を聞いてくれる雰囲気ではなかった。仕方ないので、とりあえず喧嘩をふっかけてきた数人を殴り倒した。


「な、なんだお前……なんでそんなに!?」

「悪かった。もう一度言う。ハーフエルフの女の子を捕まえただろ? 返してくれ」


 折れた拳を抑えて呻く酔っ払いにもう一度聞いてみたが、ろくな答えが返ってこなかった。

 用心棒らしい体格の良い男が三人ほど出てきたので、そいつらも殴り倒した。


「頼むからよく聞いてくれ。最後にもう一度言う。ハーフエルフの女の子を捕まえたよな? オレの女なんだ。返してくれ」

「頭! 頭ァ! 助けてください! ヤバいヤツがカチコミに……!」


 暴れるだけ暴れると、ようやく組織のボスらしき男が出てきた。

 予想よりも若く、そして引き締まった体付きの色男だった。少なくとも、奴隷の売買で私腹を肥やしている、贅肉まみれの商人には見えない。


「バルド・シリューカスだ。ここのバカどもの頭を張ってる。カチコミは歓迎だが、せめて名前くらいは聞かせてくれよ、にーちゃん」

「お前に名乗る名前はない。用件は一つだ」

「あーあー、わかったわかった。聞こえてたよ。ハーフエルフの女だろ? さっき捕まえたよ。ほれ」


 バルドと名乗ったその男が片手を挙げるのと同時に、口枷に手枷、目隠しまでされたルーシェが、別の男に引き摺り出された。


「なぁ、は、アンタの女か? まだわけぇのに、混ざり血の飼い人を連れてるなんて、イイ趣味してんな」

「……んーっ、んっ!」


 もがくルーシェの目元から涙が溢れる。開いた口元から、唾が地面に垂れる。

 握りしめたオレの拳からも、血が滴り落ちた。


「……その子に、手は出してないだろうな?」

「ん? まだ抱いてないのか? アンタ、自分の夜の世話は飼い人にさせないクチかい?」

「質問してるのはこっちだ」

「ジョークだよジョーク。冗談が通じねぇなぁ。ウチの商品を盗もうとしたんで、捕まえただけだよ。下手に部下に回してキズモノにでもしちまったら、商品価値が下がるんでね」

「返せ」


 一言、簡潔に要求を述べると、バルドはニッと笑って頷いた。


「ああ、いいぜ」


 明快な了承だった。


「……?」

「なぁに不思議そうな顔してんだ。見てたぜ、さっきの大立ち回り。全身を鉄の硬さに変える魔法……俺も、噂には聞いたことがある。アンタ、例の『くろがねの勇者』サマだろ?」


 勇者、と。

 目の前の悪党は、オレのことをそう呼んだ。

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