シナヤとルーシェ③
オレが勇者ではなく、シナヤ・ライバックという名前を名乗るようになってから、一年と少しが過ぎた。
「シナヤ、今日のご飯どうする?」
「昨日は肉だったからなぁ。魚とか食いたいな」
「わかった。じゃあ、たくさん釣ってきてね」
「オレが釣るのは確定なのね、それ」
世界を救う。魔王を倒す。
そんな目的がなくなってしまった旅路に、目的地があるわけもなく、しかしどこかに腰を落ち着けて定住することもできず、ふらふらと日銭を稼いで気ままに続ける旅。
けれど、そんな生活に、ルーシェは文句一つ言わずについてきてくれた。
「見て見て! シナヤ! 新しい杖を作ったの!」
「どうしたんだ? それ」
「親切な魔導師のお姉さんがいてね! ぜひ私にってプレゼントしてくれた!」
「おいおい、大丈夫か? あとから法外な値段請求されたり、急に爆発したりしないか?」
「ちょっと失礼よシナヤ! あなたにも会わせてあげるからこっちきて! はやく!」
「はいはい」
やはり、ルーシェには魔術の素質があったのだろう。
流れの魔導師さん(かなり癖の強い変人おねーさんだった)に、魔術を一月ほど教わったルーシェは、ぐんぐんめきめきとその実力を伸ばしていった。魔導師のおねーさんは「アタシの教え方が良かったからだな」などとほざいていたが、単純にルーシェが才能に満ち溢れていたからだと、オレは思う。
また別の街に立ち寄った時には、ルーシェは年下の男の子と仲良くなった。
「聞いて聞いて! シナヤ! 空を飛ぶ飛行船だって!」
「空を飛ぶ……あ? 空を飛ぶなに!? え? 船が!?」
「この男の子がね! 将来、空を飛ぶ船を造りたくて、いろいろ勉強してるんだって! すごくない!?」
「ほほぉ」
やはりルーシェにはまだ幼い少年の初恋を奪う才能があったのだろう。ゆるせねえ。はっ倒してやろうかと思ったが、さすがに大人げないのでなんとか堪えた。それに、もしかしたら普通に良い子かもしれない。
おそらく手作りの船の模型を抱えた少年は、こちらを見上げて、小さく溜息を吐いた。
「はぁ……僕の発明を簡単に飛行船という言葉で一括りにされるのは心外ですねそもそも僕がこの計画をこっそり教えたのはそちらのお姉さんであってそっちのお兄さんではありません。まあ人間を自由飛行させるという僕の壮大な計画に興味があるのであればその一端を特別に明かすこともやぶさかではありませんが」
「ね、シナヤ。すごい子でしょう?」
「いやすごいけど変な子だよ」
頭は良さそうだが、かなりクソガキに片脚を突っ込んでいるように思えた。
「つまりはこういうことです。迅風系の魔術は直線方向への推力を得るのには有用ですが安定した飛行の維持という観点から言えば難点の方が多いそのリスクを船体に背負わせるのであればやはり空中分解の危険がある故に僕の設計したこの船体は空気抵抗を抑えつつ船体下部に仕込んだ魔術によって軌道を安定させ、同時に効率的な航続距離の延長を意図しているのです」
「へえ、すごいね!」
「……ルーシェ。今の内容、本当に理解できたのか?」
「もちろん! なんかすごいってことはわかった」
「僕の説明が的確なのはもちろんですが、お姉さんの理解力の高さにも目を見張るものがありますね」
「おっと。オレだけ馬鹿にされてるのかこれ?」
しかし、クソ生意気そうなだけあって、少年が語る内容はただの夢物語ではなく、実際に確立されている技術を元に実現を目指した地に足のついた計画のようだった。あと、少年のやばい早口にきらきらした笑顔で相槌を打つルーシェは、聞き上手だなぁ、と再認識した。そしてなによりも、オレの彼女はやはりかわいい。
しばらく饒舌に饒舌過ぎるほどに話していた少年は、しかし段々と口調のトーンを落として、下を向いて頭を下げた。
「すいません。お二人が話を聞いてくれることに心地良い高揚感を覚え、つい喋りすぎてしまいました」
「そんなことないよ。もっと聞かせてほしいな」
「……ありがとうございます。でも、僕の理論は所詮、机上の空論。上手くいく保証はありません」
「ほう。そりゃまたどうして?」
はじめて、少年におれの方から問い返すと、気の強そうな視線がこちらを向いた。
「前例があります。同じように飛行船を作ろうとして、失敗した人がいるんです」
「失敗した人?」
「アロンゾ、という技師さんが……造船一家で、家族ぐるみでずっと船を作っていたんです。でも、うまくいかなくて」
アロンゾ。
聞いたことがある名前だった。
名前が同じだけかもしれない。他人の空似かもしれない。
だが、こまったことに聞き覚えのある名前だった。
「……アロンゾ、ね」
反芻するように、小さく呟く。
オレの心の中にいる人の、名前。
それはオレが殺してしまった、あの盗賊と同じ名前だった。
血縁だろうか。家族だろうか。あるいは、もしかしたら……
「少年はさ。その人のこと、尊敬していたの?」
やめておけばいいのに。
つい、そんなことを聞いてしまった。
オレよりも低いところにある目がこちらを見上げて、けれどしっかりと言葉を紡いだ。
「そんなにたくさん、話したことがあるわけではありません。でも、お兄さんの言う通り、尊敬はしていました。誰にもできなかったことを……誰にもつくれなかったものを、つくろうとするその人たちの在り方が、とてもかっこよかったので。だから、憧れたんです」
「そっか」
良い答えだった。
「ルーシェ。少しだけ、この街に長居してもいいか?」
「え? もちろんいいけど、どうするの?」
「どうするって? そりゃもちろん、未来の天才技師さまのお手伝いだよ」
コール。ゲド・アロンゾ。
少年には聞こえぬように小さく呟いて、オレは適当にその辺の石を拾い上げ、放り投げた。
明らかに通常の物理法則を無視し、一直線に減速せず飛んでいく、何の変哲もない石っころ。灰色の礫は、オレが狙いを定めた対岸の木の幹まで真っ直ぐ飛んでいき、勢いくよく突き刺さる。
それを見た少年の横顔が、ようやく年相応の驚きに満ちた顔に変わった。
「え、は……? はぁ!? なんですか今の!? なんであんな風に飛んで……?」
「自己紹介が遅れて申し訳ない。オレは魔法使いなんだ。今使った魔法の名前は『
「なんでも!?」
塞ぎ込んだ顔から、一転。キラキラした笑顔でこちらを見上げる少年の頭を、オレは雑に撫でた。
これは、償いではない。
オレは、ゲド・アロンゾという盗賊と命のやりとりをしたことを、後悔していない。あの男が何を思って、どんな生き方をしてきたのか。今となっては、知る由もない。
でも、オレは知っている。
あいつの名前を知っている。その懐に、小さな船の模型がしまいこまれていたことも、知っている。
「きみはさっき、失敗の前例がある、って言ってたけどさ。世の中に当たり前のようにある技術や発明は、そういう失敗を重ねて生まれてきたものだよ。何回も何回も、諦めずに失敗してきた人の経験や想いは……きみみたいな子が繋いでいけばきっと無駄にはならない」
これから世界を救う勇者さまには、こんなところで子どもの遊びに付き合ってる暇はないだろう。
だが、幸いなことに、勇者ではないオレには時間が腐るほどある。
「さあ、少年。その船の模型、どこまで飛べるか一緒に試してみようぜ。最終目標は……そうだな、オレの魔法なしでオレの魔法よりも長く飛ぶ、なんてのはどう?」
「……いいでしょう! 望むところですお兄さん! その勝負受けて立ちます!」
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