Day26〜Day30

Day26 対価


「……ありがとう。でも、ごめん」

 石井くんは深く頭を下げた。それを見て、ああ、こういうところが好きだなと思った。普段はなんでもないように飄々としているのに、向き合ってほしいときにはちゃんとしてくれる。そういうところがきっと、周りから信頼されていたのだろう。

「もしかして、これを言うためにわざわざ東京から?」

「私が東京行ったこと、知ってたの?」

「噂でね。そういうやつが他にいなかったから、みんな珍しかったんだろ」

 石井くんは困ったように頭を掻いた。その左手から、ちらちらと結婚指輪が見える。

「なのに、ごめん。こたえられなくて」

 何かしてほしいことがあったら言ってほしい。そう言う石井くんの顔を、私は穏やかな気持ちで見ていた。

「私、石井くんに振ってほしくて来たの。だから、優しくしなくていいよ」




Day27 ほろほろ


 石井くんは優しい。優しいから苦しい。もっとひどく振ってくれたら、あんなやつ忘れてやる、なんて言って振り切れたかもしれないのに。

 でも石井くんはそういうことができない人だ。分かっていた。分かっていたから好きになった。

 ごめん。

 好きでごめん。

 私の心は、あたたかい気持ちとともに崩れていった。




Day28 隙間


 駅前で一緒にタクシーに乗った。石井くんは近くのビジネスホテルまでついて来てくれた。私だけ降りて、彼はこのまま家まで乗っていく。奥さんが待つ家に。

「話せて良かった。ありがとう」

 そう言った石井くんの表情は晴れやかで、少し安心した。タクシーのライトが見えなくなるまで、私はぼうっと突っ立っていた。

 今夜の出来事が、ほんの少しでも彼の心の隙間に残ればいい。

 そう願ってしまう私は、ただの小さくて弱い人間だと思った。




Day29 地下一階


 このビジネスホテルは、こっちにいる間私が利用しているホテルだ。部屋に戻れば、全てを投げ出してベッドに寝転ぶことができる。でも部屋には戻りたくなかった。

 ホテルの隣は飲食店になっている。ファミリー向けのレストランとバーだ。チカチカと点滅する看板を見て、私は地下一階へと向かった。

「すみません、何か紙ありませんか」

 お酒を一杯飲んだあと、マスターと呼ばれる人に声をかけた。不思議そうにしながらも、にこやかな表情を向けられる。

「なんでもいいんです。いらないチラシとか、なんでも」

 手渡されたのは、メモ帳を千切ったものだった。一辺が不揃いに波打っている。私はそれを持って外へ出た。




Day30 はなむけ


 ホテルの裏側には小さな公園があった。ビルや店が並ぶ中で、窮屈そうに収まっている。

 私はシーソーに座って紙飛行機を折った。ゴテゴテとした木の上では上手く折れない。出来上がった紙飛行機は不格好で、飛びそうにはあまり思えなかった。

 私はそっと、夜風に乗せるようにして手を離した。歪んだ紙飛行機は、ふらふらと揺れながら砂場に落ちた。

 石井くんだったら、もっと遠くに飛ばせただろうか。

 気持ちを葬るために来たのに、できなかった。彼に奥さんがいても、振ってもらっても、まだ気持ちは消えてくれない。こういうところが好き、ああいうところも好き。結局そうやって気持ちを確かめただけだった。

 それならもう、抱えて生きていくしかないのだろう。

 もしこれが恋とは呼べなくなって、親しみとか、もっと違う枠組みに変わってしまっても、私は彼を忘れない。

 ずっと想って生きていくのだろう。それもいい。いいじゃないか。

 そう思ったら、自分の気持ちをゆるせるような気がした。

 私は紙飛行機が風に乗るまで、何度も何度も飛ばし続けた。


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