第46話 明日から

 レンは庭園を歩いていた。

 多彩な色の花が太陽に照らされ鮮やかに咲いている。


 白い石畳で舗装された道に足音だけが落ちていく。

 レンはひとりではない。

 リリエールがレンの隣を歩いている。

 レンと身長はほぼ変わらない。

 だからとなりを見れば、きっと誰もが見蕩れずにはいられないであろう美しい横顔が揺れる髪の下から覗けるのだろうけれど、そんな勇気はレンにはなかった。

 10歩ほど離れた場所から、白髪をオールバックにした執事服を着る初老の男がついてきていた。


 レンはこの屋敷の主であるジークたちのまえで魔法を暴走させ、あまつさえ意識を失ってしまった。

 幸いにも誰も傷つけるようなことはなかったが、またいつ同じことが起こり、取り返しのつかないことになるかわからない。


 そこでレンはいくつかの条件とともに、屋敷に留め置かれることになった。

 その理由も妥当なものであり、反対する余地も、意味もなかった。


 現在、自身の心情とは裏腹に明るく咲きほこる名前も知らない花たちをレンは眩しそうに眺めていた。


「そろそろ落ち着いた?」


 リリエールはレンの方をみず前を見たまま唐突にそういった。


 突然のことでレンは驚いたが、同時にほっとしてもいた。

 魔法暴走事件ののち、部屋に戻ろうとしたレンを呼び止め、理由も言わず連れていかれたのだが、歩き始めてからおよそ5分、リリエールはずっと黙ったままだった。

 何か言おうかとも思ったのだが、前世から話し上手というわけでもないのに、身分が圧倒的に高く、それでいて異次元レベルに美しい同年代の少女に話しかけるには、超えるハードルが高すぎた。


 そんな言い訳をしている自分のことがレンは少し嫌になったが、無視するほうがよっぽどまずい。慌てて返事をした。


「えっと、はい。……その、だいぶ良くなりました。…ありがとうございます」


 実際別の意味でまったく落ち着かなかったけど。それはリリエール様といる以上、どうしようもない。



「こんなことになったけど、あまり思いつめないで。めったにないことだけど、今までもあったことだから」

「…そうなんですか?」

「わたしがそうだった」


 一瞬、足を止めてしまった。


 だとしたら、あれだけ対応が速かったのも理解できる。前例があったから、リリエール様達は警戒しつつもそれほど取り乱すことはなかった。はじめてだったら、自分は今ごろ殺されていたかもしれない。


 レンはまた歩き出した。


「その、大丈夫なんですか」

「最近は安定してる。だから心配しなくていい。今はもう、まわりに危害を加えることはないから」

「そう、ですか」


 それからしばらく沈黙が続いた。

 リリエールは変わらず、前を見ている。


 息が詰まりそうな時間が流れ、やがて膨らんだ風船が耐え切れず破裂するようにレンは口を開いた。


「そういえば、リリエール様って、どうして冒険者をやってるんですか」

「どうしてって?」

「いや、その……リリエール様の立場だったら、お金には困らないでしょうし。なんでわざわざ冒険者なんて危険な仕事をって思って」


 あまり深く聞かない方がよかっただろうか。

 リリエールは躊躇ったようにして、けれど重々しく口を開いた。


「この国だと、国が保有する常備軍と、領主それぞれ持つ軍があって。戦争とかがあった時、通常は常備軍だけで動くけど、それだけで対処できなかったとき、領地を持つ貴族は兵を率いて援軍に行かなきゃいけないの。」


 リリエールは右手の人さし指を立てた。

 つい、レンは目で追ってしまう。


「それで、うちはママしか奥さんがいなくて、子供はわたし一人だけ。パパはまだ現役だし、わたしが婚約するとか、弟とか妹ができたりとか、他にも方法はあるけど、確実ってわけでもないから。いざというときの実戦経験を積むためには冒険者がよかった」


 正直、レンは理解できなかった。つまりリリエールは、自分が戦争に出るかもしれないから、冒険者をしているということになる。レンからすれば、危険に備えるために危険を冒してるようにしかみえない。


 あと関係ないけど、両親のことをパパとママっていうんだ。いや、年齢的には普通のことなんだろうけど。


 今度はリリエールが問い返した。


「逆にレンはなんで冒険者やってるの? お金のため?」

「そんな感じです。あと、壁外から来たので、1年はやめられないんです」

「……そう。お金が溜まったら、やめる?」

「今はまだわからないですけど、多分」

「早く辞められるといいね」


 レンはリリエールに同意できなかった。どうしてだろう。言ってることは正しいのに、素直に頷くことができなかった。


「それから」


 リリエールはトッと一歩前に出て反転し、レンの目をまっすぐ見て告げた。


「あの時たすけてくれて、ありがと」


 リリエールの真剣な表情をみて、レンはとっさに返事することができなかった。


 自分の奥底から何かがこみ上げてくるのを感じる。ついさっき感じたもやもやした感情なんて吹き飛んで、溢れ出たうれしさを表に出さないようにするのに必死だった。本気で死ぬかもしれないと思ったし、めちゃくちゃ痛い思いもして、リリエール様なら自力で助かってたんじゃないかとも思ったけど、この言葉が聞けただけで。あの時たすけることができてよかったと、心の底から思った。



「…恐縮です」


 それしかいえなかった。この返事合っているだろうか。あと恐縮ってなんかいいづらいな。


「敬語」

「…敬語?」

「名前に様もいらない」

「………え? いや、だって、リリエール様って、貴族の」

「そういうの、あまり好きじゃない」

「えっと…」

 

 何を言えばいいかわからず、言葉が詰まってしまう。


 なんで急にこんなことを。

 


「別に、嫌ならいいんだけど」

 ぽつり呟くのを聞いて、レンは思わず口を開いた。

 言おう、と反射的に思った。

「リリエール…」

「うん」

「……様」

「…………」



 はあ? みたいな感情が込められてそうな目で見られた。ごめんなさい。思わず視線を逸らす。リリエールはため息を吐いて「やり直し」と、もう一回を要求した。今のはヘタレたなと自分でも自覚できた。


 でもいざ改まってってなるとやっぱり緊張してしまう。もっとさらっと言えたらいいのに。



「さすがに、そこで止まるのはどうかと思う」

「はい…」


 今度はしっかり「リリエール」と呼んだ。前科があるからか彼女は数秒待って、続きがないことを確認すると、満足したように頷いた。

「うん、合格」

「合格……、ありがとうございます」

「…不合格」

「……ありがとう、で、いい?」

「よし。それでいいから。その調子。で、なに?」

「なにって。え、と、何?」

「名前呼んだから。何か用事があるんじゃないの?」

「いや、別にないけど」

「何もないのに呼ぶんだ」

「ええ……」

「冗談」


 リリエールは目を細めてレンを見た。


 とっさに胸を押さえる。心臓が震えてた。よかった。まじで。一瞬止まったと思った。冗談抜きで。


 容姿に幼さが残るリリエールだが、けれども彼女が纏う超然とした雰囲気がそう感じさせず、あまり意識できなかった。

 だけど今、いたずらを楽しむ子どもっぽさ? みたいなのが表情に浮かんで、たぶん、からかわれた。


 やめてほしい、と言いたい気持ちとそれはもったいない、という複雑な感情がせめぎあっているレンをよそに、表情が乏しいながらもリリエールは楽しげな雰囲気でレンの顔を見る。


「明日からがんばろう。レンならきっと、つよくなれるよ」

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僕は、転生して成り上がる ハル @Tline753

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