Part 4(end)

 わたしは傘をさして坂道をのぼっている。今はひとりで。


 あの想い出の時とは違い、雪が静かに降っている。まわりの音を吸いとりながら落ちて、地面に消えている。

 のぼりきると、懐かしい雪の野辺。まるでカップアイスのような。人は誰もいなかった。あたりまえだけど、雪ん子もいない。


 ……そうだ。いるはずがない。わたしは雪ん子の想い出を消し去ってしまおうと、かけだした。あの時と同じように。すぐに、すべってころぶ。

 またやってしまった。わたしには、よくころぶ悪い癖があるのだ。手を離れた傘が、すぐかたわらに転がっている。


 ゆっくり上半身だけ起こすと――目の前には、雪ん子が立っていた。あの想い出とぜんぜん変わらない姿で。


(やっと来てくれたのね。ありがとう。ずっと待ってたのよ。この場所に来てくれないと、お引っ越しできないから)

 なに? これ。想い出のつづき?

(想い出……かな。ちがうよ。これは出会いだよ。あたしたちとの想い出は、これからつくってゆくんだよ)


 あたしたち――いつの間にか雪ん子の後ろには、多くの雪ん子たちが、楽しそうに雪合戦をして遊んでいた。わたしは幻を見ているのだろうか。


(あたし、今はね、ゆかなって名前なの。結ぶ香りのおなっぱの菜。これからよろしくね)

 結香菜は、いきなりわたしに抱きついてきた。雪ん子は冷たかった。わたしを抱きしめる強い力。耳につたわってくる息づかいの音。声はしないし、雪ん子の体からは匂いもしないけど、これはやっぱり現実。


「ちょっと待って。お引っ越しってどういうこと」

(あたしたち、これからあなたの心の中に引っ越すの。今住んでいる人はね、もうすぐ結婚するんだ。すごく幸せそうで、そろそろ限界。あなたが来てくれなかったら、お空の高いところまでいって、ふわふわしちゃうところだったの)

「……わたしの心の中って。どうして、わたしなの」

(あなたは、ひとりぼっちだから。ひとりぼっちを必死にがまんしてるから。そういう人の心の中にだけ、あたしたちは移り住んで生きることができる。そういう雪ん子なの。……さあ、遊ぼ。みんな、あなたを待ってるよ)


 わたしは、結香菜に手を取られて、雪ん子たちの遊びに加わった。


 それからわたしたちは、いっしょにいろんな雪遊びをした。雪投げ、雪かけ、手形遊び、だるまやウサギをつくったり。雪はいつの間にかやんでいた。


 雪遊びの最中に、雪ん子たちはわたしに自己紹介をしてくれた。加奈留、湖都美、亜矢乃、真名花……。けれどちょっと多過ぎて、わたしは雪ん子たちの名前を、ほとんど覚えられなかった。みんな今風の名前だけど、時代に合わせて変えてるんだって、その子たちの誰かが言ってた。雪ん子たちは昔からずっと生きているらしい。


 ……遊んでいるうちに、体が冷えてきた。手袋をしてこなかったので、わたしの両手は真っ赤になっていた。


(そろそろ帰る?)

 結香菜の言葉に、わたしはうなずいた。

(じゃあ、またね。遊んでくれてありがと。あたしたちも疲れたから、もう眠るわ。あたしたちに会いたくなったら、ほんとうの雪があるところに行って、雪を触ってみてね。その時、起きてたら会えるから)

 そう言うと結香菜は、すっと消えてしまった。ほかの雪ん子たちも次々に。

 消えたといっても、わたしの心の中に入り込んだんだろうけど。たぶん。


 ……残ったのは、白い野辺。でもそこには、さっきまでわたしたちが遊んでいた証拠に、たくさんの足あとや雪を掘った穴とかが残っていた。


 胸に、ちりっとした痛み。わたしは、さみしさを感じていた。


 でも、ここは雪国。また明日にでも会える。

 わたしは、これから雪に触れるのが楽しみになるんだろう。雪を求めて、世界中を旅行するかもしれない。そのうちに、素敵な人にも出会えるような予感がした。わたしの前の宿主さんのように。


 もうすぐ結婚するというその人も、かつてはひとりぼっちだったはず。


 そんなことを考えながら、わたしはホテルに向かって、坂道をころばないように注意しながら下りて行った。


(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

雪ん子の想い出 青山獣炭 @iturakutei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ