赤いきつねが繋ぐもの
奈月沙耶
それぞれのかたち
ちょっとした事故処理案件が発生して、午後はまともに休憩もとれないままバタバタと走り回り、今日の帰りは午前様になるかと気が遠くなりかけ、どうにかこうにかやるべきことを終え、とりあえず終電には間に合った。
腹減った。眠い。腹減った。眠い。腹減った。眠い。
家に帰っても食事を作れる状態じゃない。かといって、まだ営業している居酒屋ダイニングに立ち寄って食事する元気はない。買い物に寄るのもメンドクサイ。
一歩方向転換する気力もなくコンビニの前を通りすぎる。アパートの二階まで階段をあがるのもシンドイ。
足をひきずって靴を脱ぎ捨てようやく帰宅。カーペットの上に崩れてこのまま寝てしまおうかと考える。
が、抗議するように腹の虫がなる。疲れ切ってはいても体は健康な証拠だ、ありがたいと思おう。
気力を振り絞って上半身を起こし、ずるずる這っていって流し台の戸棚を開けてみる。やったぜ! 買い置きの赤いきつねがまだあった。
蓋の赤色が神々しく輝いて見えた。ぐううう、とお腹が盛大に鳴る。立ち上がる元気も少し出た。
電気ケトルには今朝コーヒーを淹れた際の残り湯がちょうど五百ミリリットルの線の上まで残っていた。そのままカチリと湯沸かしのスイッチを入れる(残り湯はその都度捨てなければならないことは重々承知している)。
パッケージのセロファンを破り、赤い蓋を点線の位置まではがす。スープの素の袋を取り上げ端を持って軽く振る。口を破るときに粉末をこぼさないためのひと手間だ。
かつおだしの香りがするスープの粉末を、おあげを避けて白い麺の上へ。なんとなくそうした方がいい気がするんだよね、なんとなく。
そうこうしているうちにお湯が沸騰し、ケトルを持ち上げ粉末の上を狙って注ぎ入れる。こうした方がいい気がするんだよねー。
蓋をかぶせて後は待つだけ。流し台の天板にカップを放置し、スマホを取りに部屋へ戻る。
メッセージアプリの新着を確認し、そのままニュース記事のページへ。疲れて今にも寝落ちしそうだったのに、スマホをいじりだすと目が冴えてしまうのってホントよくない。
タップする指が止まらず関連記事や関連商品のページを次々に渡り歩きネットサーフィン(死語)に没頭してしまう。
ふと我に返れば五分間はとっくに過ぎていて、むしろどれだけ時間が経過したのかさえわからなくなっていた。
しまった。慌てて赤いきつねの蓋を開けてみれば。
うわあ。おあげがもともとものドライとは違うちょっと乾燥しちゃった感じになっていて、白いうどんは膨張しきって汁気が見えない。
やっちまった。潔くこれを食すのが責任ある大人の行動といえよう。
私は蓋を全部はがした赤いきつねと箸を持ってちゃぶ台へと移動した。
端がしなしなになっているおあげを再生するべくまずはおあげを底に沈めようとする。箸で押してみると、麺とおあげがひとかたまりになってくるりと一回転して上下がひっくり返った。ちょっとおもしろい。
冷めきってふやけきっているうどんを、いざ実食。ずずずず。
ん、んん? イケる、これはイケるぞ。
猫舌の私には冷めきってるくらいがちょうどいいし、持ち上げただけで千切れそうなほどふにゃふにゃな麺はとっても胃にやさしそうだ。膨張した分お得感もある!
おあげも少しだけ残ったスープを吸って食感にはなんの問題もない。むしろじゅわあっと沁みる汁気にありがたさが増す。
アリ! 全然アリでしょ!
* * *
「ねえ、この赤いきつねいつ食べるの? ずっと置いてあるんだけど」
「まだ少し」
「は? 蓋取ってあるし、冷めてるしふやけてるんだけど!」
「わざとですー」
* * *
「え?? お湯入れる前に蓋全部とっちゃうの??」
「とっておいた方が冷めるの早いしちょうどいいんだよ」
「???」
「冷めるときに味が沁み込むんだからちょうどいいでしょ」
「いや、まったくわからん」
「ウチではいつもこうなんですー」
* * *
「Heyリリィ! 二十分タイマー!」
「違う違う! 五分だから!」
「ワタシはこうなんですー」
* * *
いいじゃん、いいじゃん。
おいしくてしあわせなら。
赤いきつねが繋ぐもの 奈月沙耶 @chibi915
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