第2話

「ほんと、好きだよなーあの言葉」

 車を運転する丹原さんがそうぼやく。

「早川さんが言ってた『あれ』ですか?」

 助手席に座った僕は膝の上に置いた資料を確認する。といっても今から行く所は勝手知ったる母校なので、そちらについては殆ど自分の知っていることばかりだ。

 なので取材対象である平塚凪咲についての資料に目を通していた。

「そうそう、たまに言ってくるんだけど、初めて聞いた時はあんな酷い親父ギャグ知らなくてさ、『なんだそりゃ』ってなって。いやー、ほんとあんなにキレイな人なのにギャグのセンスはないんだなーって思ったよ」

 丹原さんが今話しているのは、会社から出ていく前に早川さんが言った「今かNOW」という言葉についてだ。僕としては自分が発言元であるだけに、あまり良い気分はしないが、確かに他人からみたら酷いギャグに見えても仕方ないのかもしれない。

「そうですね。早川さんって凄い美人ですよね」

 この話はあまり広げたくないなと思い、話題を変えることにした。

「そうそう! 俺が入社する数年前に入ったみたいなんだけど、あっという間に今じゃ社会部のデスクなんだから、ルックスもそうだけど実績も並大抵の人じゃないよあの人は」

 話題に乗ってくれた丹原さんは早川さんについて話してくれる。

「それなのに男っ気がないっていうのは不思議なんだよなー」

「確かに不思議ですね」

 丹原さんのボヤキに資料を見ながら相槌を打つと、

「それだというに、君は、うん? 木南君」

 丹原さんが突然声音を変えて話しかけてきた。

「何ですか、丹原さん……」

「とぼけても無駄だよ。君となぎさが同じ高校だったなんてさ、いやー、不思議な偶然というのもあるもんだねぇ」

 おどけた調子で言う丹原さんの言いたいことは分かる。

「そんな、丹原さんが想像するような関係じゃありませんでしたよ。片やただの高校生、片やトップアイドル。クラスメイトだったからって、そういう妄想をするのも恥ずかしかったですよ」

「お前達、クラスメイトだったのか!」

 丹原さんが食いつく、疑惑を否定しようとしたがつい余計な一言を挟んでしまった。

「他にもクラスメイトならいっぱいいましたよ。クラス替えもありましたから、僕も高校三年の時しか一緒じゃなかったですし」

「なるほどな、ただクラスメイトにトップアイドルがいるっていう妄想を具現化したような状況は、羨まし過ぎるな。許せん」

 丹原さんの理不尽な発言を聞いていると、車窓から懐かしい光景が目に入ってきた。

「あ、丹原さん。見えてきましたよ」

 そう言うと丹原さんも前に目をやる。

「ほー、あれがなぎさの聖地か」

「……、僕の母校、多度高校ですよ」

 多度高校が見えてきた。丹原さんは車を近くの駐車場に止めて、二人とも車を降りる。

「十一時か……、アポは入れてあるよな?」

「はい。どうしますか?」

 丹原さんはスマホを確認した後、少し考えこんで、

「じゃあ、とりあえず先生方に挨拶に行って、それから取材を始めよう。ここって昼休みは何時からだ?」

「僕の頃のままなら十二時から十三時ですね」

「なら十分だな、その間に生徒に聞き込みをしよう。木南、学校に俺等が到着したことを電話してくれ」

「分かりました」

 僕は丹原さんから渡された社用の携帯で電話を掛ける。少しして、学校の先生の一人が電話口に出たので、アポイントについて説明するとそのまま職員室に来てほしいと言われた。

「じゃあ、案内してくれ」

 電話が済むと、僕の先導で僕と丹原さんは学校へ向かって歩く。正門を潜り、まっすぐ職員室を目指す。

 一旦スリッパに履き替えた後、職員室の前に辿り着いた。

 かれこれ四年ぶりの母校で少し緊張してしまう。軽く咳払いをして、扉を開けた。

「失礼します」

 職員室に入ると、最初に僕に気づいてくれた初老の先生がこちらに近づいてくる。

「ん? あぁ、木南君かい? 久しぶりだね。僕の事覚えてる?」

「もちろんですよ森脇先生。ご無沙汰しております」

 先生に軽くお辞儀をする、僕が高校に居た頃より更に髪が薄くなっていること以外は、どこも変わっていないようだ。

「ありがとう。君がここに取材に来るって話を聞いて驚いたよ。ささっ、中へ。あなたもご一緒に」

 森脇先生はそう言って丹原さんへにっこりと笑うと、僕等を少し開けた場所にある席へと促した。

「さて……」

 お茶が持ってこられ、三人が席に着いたところで森脇先生がそう切り出す。

「平塚凪咲さんについての事でしたね。彼女も今じゃ女優の仲間入りとは、彼女の頑張りが続いてるんですねぇ」

 そう言って朗らかに笑う様子は昔のままだ。森脇先生は僕の在学中の中でも一、二を争うほど立派な先生で、この先生が今日応対してくれたのは本当に幸運と言ってよかった。

「はい。で、ここが彼女の母校という事もありまして、先生方やその関係者からお話を聞くことが出来ないかと」

 僕の隣では丹原さんが真面目モードで森脇先生と話している。これには少し驚いた、真面目になれるんだなこの人も……。

「なるほどねぇ。彼女の素顔に迫る、という所でしょうか? でも彼女も割と何処にでもいる女の子でしたよ? 別段新聞に載せるものでもないと思いますが……」

 森脇先生はそう言うと、湯呑に手を付ける。高校時代にアイドルとして色々難しい扱いの中だった凪咲を、森脇先生だけは一人の、普通の女子高生として扱っていたのを思い出す。

 それについては、恐らく凪咲も感謝しているだろう。

「ええ、森脇先生は間近でそれをご覧になっていましたが、私達の読者はそれを知りませんので、それを詳しくお聞かせいただければと思います」

 丹原さんがそう言うと、森脇先生は湯呑を置いて、

「はっはっ、それだったらそこに居る木南君に聞くのが一番早いと思いますけどねぇ。なにせ彼女と付き合っていたわけですし」

 と笑いだした。

「ちょ、ちょっと先生」

 僕が慌てて止めに入る。

「僕と平塚さんはそんな関係じゃありませんでしたよ。何言ってるんですか先生!」

「そうでしたか? 私の目には付き合っているように見えましたけどねぇ」

「お、おい木南……」

 冷静だった丹原さんが凪咲と僕が付き合っていたという発言で、冷静さを失おうとしている。さっきまで先生を褒めていた自分が憎らしく思えてきた。

「まぁ、いいでしょう。丹原さん……、でよろしいですかな? 取材に関しては木南君と電話した際と同じで了承致します。後で名札を持ってこさせますので、学校内にいる際はそれを携行して下さい。昼休みが主になると思いますが、取材の許可は今日一杯まで、後、授業中に教室に立ち寄る事は禁止ですので、その点ご注意ください」

 森脇先生はどこ吹く風といった感じで、話をまとめると「私は用事がありますので」と、にこやかに笑って去って行ってしまった。

 残された僕と丹原さん。そこはかなり気まずい空気になっていた。

 何せ車内で全否定したことを、蒸し返したんだ。これは丹原さんに怒られるかもしれない……。

 そう思って身構えたが、丹原さんは意外と平静としていた。

「あのー、丹原さん……?」

 恐る恐る声を掛けてみる。

「あー、なん、だな。まあお前の言ってたことと先生が言ったこと、どっちが正しいかは取材してみれば分かる事だ」

 丹原さんの冷静な考えにひとまずほっとする。

「ただし、もし俺がお前となぎさが付き合ってたという確証が得られたら、……お前を殺す」

「殺意高いですね!」

 これはもしかすると怒り心頭で逆に冷静になるというパターンかもしれない。

 森脇先生の爆弾発言の後、僕等は取材許可証を貰い早速学校内の取材を開始した。     

 時間も丁度昼休みという事で、あちこちに学生がたむろしている。

 今回は固まるよりもバラバラで取材した方が良いだろう、という丹原さんの考えの元、僕は取材しておく簡単な項目が書かれたメモを渡され、一時間後に学校の掲示板前で集合、という運びになった。

「お前の母校なんだから、俺より生徒が話しやすいだろ。年齢も近いんだしフランクにいけ、フランクに」

 というアドバイスなのか何かわからない事を言われ、丹原さんは一人で二階を目指し階段へ向かっていった。

 その背中を見送ると、僕も早速取材をするべく生徒たちに声を掛けて回る。

「ねぇ、君。ちょっといいかな?」

 最初は生徒に警戒されたが、取材を進めていくうちに生徒から生徒へのリレーのようなものがあり、


「馬原が知ってんじゃね?」

「えー、比嘉君でしょ? ファイングルーヴからのファンって言ってたし」

「でも卒業生の大久保君もいるから、電話してみましょうか?」


 というような流れで、言い方は変だが芋づる式に平塚凪咲の情報は手に入っていった。

 ただ僕が知っている凪咲よりも尾ひれがついていたり、美談になっていたりと聞いていて思わず苦笑いしてしまうようなのもあった。

 僕が卒業生だと知ると凪咲についてを詳しく知りたがる生徒もいて、取材よりも僕がしゃべる時間の方が長くなってしまいとても取材にならない、というようなことにもなってしまった。

 ただ、その中で一つ面白い情報が手に入った。

「そういえば、なんか平塚さんってここにいた時自殺しそうだった、ていうのを聞いたことありますね」

「あ、私も。何かアイドル活動が原因だったとか……、良く分かんないけど」

「でも、これってかなり眉唾ものですよ。発生元はこの高校なんですけど、その噂の出所も誰が言い出したかも分からなくて、とても新聞に載せていいようなものじゃあ……」

「あたしは先輩から聞いたなぁ、なんか凪咲ちゃんが同級生? をいじめてたからって」

「え、でもそれじゃあ自殺しようなんて考えないんじゃない?」

「あ、確かに、うーん、やっぱり忘れて!」

 そんな内容だった。

 なるほど、そういう伝わり方になっているのか。

 自分の過去についての意外な事実を知った後、粗方の取材を終え、時計は十二時五十分を指している。

 頃合いも良いので、集合場所の学校の掲示板前に移動する。しばらくすれば丹原さんも来るだろう。

 そう思い、何とはなしに学校の掲示板を眺める。校内案内や、学校行事の日程、あとは学校新聞など自分が通っていた頃と変わりないものが掲示板に貼られている。

 変わっていないのはこの学校も自分も同じなのか……。

 そんなセンチメンタルな気分に浸ろうとしていた時、遠くから丹原さんがこちらに向かっていることに気が付いた。

「お疲れ様……です?」

 声を掛けるが、最後が疑問形になったのは、丹原さんの右頬が真っ赤に腫れあがっていたからだ。

「おう」

 何事もなかったかのようにする丹原さん。

「どうしたんですか、その頬」

「あ、いや、な……」

 丹原さんはそう言って照れたように頭を掻く。

 そこで、本社で早川さんが言っていたことを思い出す。

「丹原さん……、まさかここの女子生徒に……」

「あーあー、みなまで言うな。取材は一旦お開きだ。飯奢ってやるから、その後また戻ってこような」

 そう言ってこちらにウィンクをするが、僕は呆れて何も言えなかった。


  *


 近所にある食事処で昼食。僕は注文した鮭定食をつつきながら丹原さんにある事を聞いてみた。

「丹原さん。皆が早川デスクの事を『お姫様』っていうの、あれ何でですか?」

 僕の質問をオムライスを頬張りながら聞いていた丹原さんは、

「ん? いや別にお前が知らなくてもいいことだよ」

 そう素っ気なく返してきた。そう来るというのは予想済みだったので、

「ナンパ」

 その言葉と同時に丹原さんがオムライスを詰まらせて咳き込む。

「お、お前……」

「早川さんには黙っててあげますから、教えてください」

 僕が笑顔でそう言うと、オムライスを水で流し込んだ丹原さんはこちらを睨む。

「可愛くない」

「僕は気にしません、後でまた折檻されるのは丹原さんですから」

 事実で押し込んでいくと、丹原さんは根負けしたらしい。

「分かった、話す、話すよ」

 両手を挙げて降参した。

「ありがとうございます」

 僕は深々と頭を下げた。

「まずは……、そうだな、二年前になるのか? まあそのくらいの時に当時はまだ新人だった早川デスクがある事件を担当するんだよ。ほら、お前も知ってるだろ、女子中学生が集団自殺した事件」

 鮭を頬張っていたので、僕は無言でうなずく。

「今考えりゃとんでもない事件を新人に任せたんだが、当時は事件性の薄いものとして扱われていてな、入って一年経ってた早川デスクの初仕事として丁度いいだろうという事で、早川デスクが取材をしたんだ」

「それで上手くいったんですか?」

 答えは知っているがあえてそう聞く。

「いんや、散々だったらしい。町ぐるみでの捜査妨害で取材が難航するし、町人に取材してもまるで事件が存在しなかったような態度だったらしい。おまけに早川デスクが独自で調査した情報が新聞に載ると記事の否定や訂正を求める電話がじゃんじゃん掛かってきたみたいだな。まあ、後で早川デスクの情報は正しいことが分かったから、多分町人からの嫌がらせの電話だったんだろうな」

 付け合わせのサラダにドレッシングをかけながら、丹原さんは少し渋い顔をする。

「酷かったらしいぜその頃の早川デスク。なんせ取材すればするほどあの事件の暗い部分が分かってくるんだからな、心労だって半端じゃなかったはずだ」

「そこまで大きな事件になったら、普通は担当をもう少し出来る人に任せたりするんじゃないですか?」

「出来なかったんだよ。当時も取材と共にみんなこの事件の大きさに気づき始めて、そんな時にわざわざ火中の栗を拾うような真似をしろっていうのは……、少なくとも俺なら無理だな」

「じゃあ、近畿新聞は、その、早川さんを見捨てたっていうんですか」

 言って、少ししまったな、と思う。自分でも分かるくらい言葉に熱が入ってしまった。

 それを感じ取ったのかどうか、丹原さんの顔が一瞬強張る、

「まあ、待て、流石にうちもそこまで酷い会社じゃねえよ。その頃の社会部デスクと石水キャップが四六時中早川デスクの記事の面倒見てたし、取材が終わった後は特例で二か月間の有給を早川デスクに取らせたしな」

「あ、……すいません」

 怒りたくなる気持ちも分かるさ、と丹原さんは僕の定食のお新香を勝手に頬張りながら言う。

 しかし、なるほど、だから最後まで早川さんは取材をやり切ってしまったのか。

 そんな感想が、僕の中に湧いてきた。当時早川さんを見捨てた他の人間を憎みたいとも思うが、それは当時その場にいなかった僕には関係のない事だ、怒る方がお門違いだろう。

 少なくとも自分はそんな彼女を見捨てなかった。そう自分の卑屈な自尊心を満たしてもいいが、これも傲慢甚だしい考え方だとすぐに頭から追いやり話題を切り替える。

「でも、さっきまでの話は早川デスクが『お姫様』って呼ばれるのと関係なくないですか?」

 僕はそう言って箸で器用にオムライスを挟んで口に放り込む。丹原さんは呆気に取られ何か言いたそうな顔をしているが無視しておく。

「お前……。まあいい、それよか話はこっからなんだよ。早川デスクは近畿新聞にその事件の最後の記事が載った夜に居酒屋に行った『らしい』んだ」

「らしいって、また曖昧な……」

「仕方ないだろ、俺だって人から聞いた話なんだし。とにかくその日から二か月間の有給に入ってた早川デスクは強くもないのにかなり酒を煽ったらしい。するとどうだ!」

 そこで丹原さんは言葉を切ると、身を乗り出して思い切り指を鳴らす。

「泥酔してしまった早川デスクの前に素敵な男性が現れ優しく早川デスクを介抱してくれて、おまけに事件中に溜まりに溜まった自分の思いにしっかりと耳を傾けてくれた。もうこれは恋に落ちるしかない!」

 突然の丹原さんの語りに、僕は若干引いてしまう。

「そ、そんなので恋に落ちますか?」

「馬鹿野郎、自分が人生で最も辛い時に誰かが精一杯助けてくれりゃあ、そりゃあもう恋に落ちるしかないだろ」

 そういうものなのか? という疑問は拭えないが、妙に説得力のある丹原さんの言葉に押し黙ってしまう。

「で、恋に落ちた早川デスクはその後見事に立ち直り、有給明けからの仕事もバリバリこなして今の地位を築いた、それは間違いなくあの時早川デスクを介抱してくれた『王子様』のお陰……。あぁ、そして今日も早川デスクはそんな『王子様』を待ち続ける一人の『お姫様』、一体いつになったら迎えに来てくれるの?」

 そこで両手を胸の前で合わせ、目をキラキラさせながら甘い声を出す丹原さんはもはや気持ち悪かったが、なるほど、王子様を待っているから『お姫様』、ねぇ。

 恐らくその「王子様」には「木南陽介」という名前が入るのだろうが、流石に自分もそこまで自惚れていないし、この話にもかなり尾ひれがついている。

「それが早川デスクが『お姫様』と呼ばれている理由ですか」

 そう短くまとめると、丹原さんが頷いた。

「この話は他言無用にな、社会部で早川デスクに関わったことある人は全員知ってるけど」

「『公然の秘密』、ってやつですか? よくもそんな曖昧な話がそこまで広まりますね……」

 僕は眉を潜める。そんな物語、眉唾ものの代表例みたいな話だ。

「あんな美人が男の浮いた話一つないんだ、噂だろうと真実が含まれてる以上みんな興味津々さ」

「は、はぁ……」

 そう曖昧に返すが、周りが囃し立てたくなる気持ちも分かる。

「奇跡的に早川デスク本人は知らないみたいだけど、。もし早川デスクにこの事がバレたら俺明日には首になっちゃうから」

 丹原さんはそう言って笑う、最後のは冗談か本気か受け取るのに迷うところだが。 

「まあ、そんな話だ。面白かったか?」

「そうですね、早川デスクの以外な一面を知れて良かったです」

「えー、それだけかよ。俺の語りとかさー、もうちょっとあるだろ、他に」

「いや、流石に途中の丹原さんの語り口は引きますよ、あれ」

 なんだ可愛くない奴だな、と不満そうなところに食後のコーヒーが運ばれてきた、ちなみに僕は紅茶だ。

「さて、もう丁度いい時間にもなってきたな。これ飲み終わったら行くか」

 時計を確認しながら丹原さんが言うので、僕もそれに頷く。

 紅茶を飲みながら、しかし僕の知らない所であの話がここまで大きくなっているのは、何というか少し恥ずかしくなってくるなと、そう思った。


   *


 丹原さんと学校に戻ってからも、平塚凪咲についての取材を続けた。

 ただ、昼休み中に調べていた時とあまり変わらない反応が返って来て、実際の成果はそれほどなかった。休み時間を中心に生徒たちに聞き取りをしてみたが、やはり十分かそこらの時間では聞けることも限られる。

 結局学校が終わる頃に丹原さんと合流した時には、お互いにそれほどの成果を上げることはできないことを確認しただけに終わった。

「まぁ、こんなもんだろ。今日は会社に戻って記事にできそうな内容を石水キャップに挙げてみよう。だめなら明日にでもまた取材に来ればいいさ」

 学校の掲示板にもたれながら丹原さんがそう言う。

「ですね、僕の方でもあまり耳よりな情報はなかったですね」

「まあ、当時なぎさはアイドル業をやってたんだし、そりゃ人においそれと言えるものは少ねぇわな、こっちも眉唾ものの情報がいくつかあったし」

 二人の取材内容を確かめ合うが、お互い特にめぼしいものは聞くことができなかった。

「とりあえず会社に戻ろう。まずそこからだな」

 そう言って、丹原さんが掲示板から離れる、だが勢いをつけ過ぎたせいでややつんのめりそうになる。

 それを笑わないように眺めていると僕の視界に気になるものが移った。

「おっと。じゃあ行くか木南……、木南?」

 丹原さんがそう声を掛けるが、僕は掲示板を眺めていた。

 そこには学校新聞が貼られており、ここ数か月の学校内での出来事がA3程度の紙にまとめられている。

 ただ、その中に野鳥研究で市から表彰された、という記事を見つけた。

 記事では表彰の内容と表彰された女子生徒の笑顔の写真が写っている。

「丹原さん……、少し時間ありますか……?」

 さっと記事に目を通した後、僕はそう丹原さんに聞いた。

「ん? そりゃ、まあ少しくらいは大丈夫だろうが、もうこの学校じゃ聞き取れることもないだろ?」

 僕の質問に丹原さんは不思議そうに首を傾げた。

「三十分、って言ったら怒りますか?」

「んー、まあ俺は別に構わないが……、何か気になるのか? この学校新聞」

 丹原さんも学校新聞に気づき、少し眺めるがやはり不思議そうな顔のままだ。

「ありがとうございます。三十分で終わると思うので、その後は……」

「あー、俺は車に戻ってスマホいじってるわ。終わったら駐車場まで来てくれ」

「ありがとうございます」

 んじゃ、頑張ってな。そんな言葉を最後に丹原さんは正門の方へ向かって歩いて行った。

 それを見送りながら、僕はもう一度学校新聞の記事を見やる。

 丁度下校中の生徒が通りかかったので声を掛けた。

「ねえ君、この学校新聞の女の子、誰か知らない?」

 僕に声を掛けられた男子生徒達は一瞬怪訝そうな顔をしたが、その中の一人が僕が昼間に取材した男の子だったので警戒心は直ぐに解けた。

「あ、記者さん、まだ何かあるんですか?」

「うん、この新聞の事なんだけど……」

 そう言って新聞を指さす。

男の子は記事を少し見ると、僕が何を言わんとしたいのか分かったらしく。

「ああ、この子? えぇっと、確か……」

「多分安達の事じゃないか? ほらこの間朝礼でなんか表彰された」

「そうだそうだ! 二年の安達だ! 安達がどうかしましたか?」

 男子生徒の中で答えが出たらしく僕の取材対象の名前が安達と分かる。

「その安達さんにはどこで会えるかな?」

「今なら……、あっ、おい小島」

 そこで小島と呼ばれた別の男子生徒が呼ばれ、

「お前安達の友達と付き合ってたろ、電話してくんねぇか?」

 男子生徒に乞われた小島さんはやや渋い顔をする。

「後藤先輩……、それは……」

 そう言って電話をするのを嫌がるそぶりを見せた。

「あー、お前達喧嘩中だったな・・・、いやこの機会に仲直りしちまえよ。記者さん使ってさ」

「えっ、でも……」

 小島と呼ばれた生徒は先輩の手前強く言えないようだが、本音はしたくないようだ。なので、

「ごめん、とっても大切な事なんだ。僕からもお願いするよ」

 そう言って小島さんの前で手を合わせ頭を下げる。

 それに面食らってしまった小島さんだったが、不承不承と言った風ではあるが、

「……、分かりました」

 そう言って小島さんはポケットからスマホを取り出した。

「ありがとう!」

 やや語気を強めにそうお礼をする。

 それから少しして、小島さんが電話で会話をし始める。

「あ、俺、小島。うん、いや安達さんがどこにいるか聞きたくて……、って、そうじゃねぇよ! こっちの話を聞け!」

 いきなり険悪な感じで始まる会話に少し心配になる。

「小島さん、僕の名前を出してくれるかな? 取材のお願いをしたいって」

 なので、僕の名前を出すように伝える。小島さんはそれに頷き。

「いや、だから昼間に取材に来た新聞記者の人いるだろ? その人が何か安達の事を取材したいって、それだけだよ」

 その後はしばらく、二人の会話を眺める。

「ああ、ああ、分かったよ。また今度な、じゃ」

 そう言って小島さんが電話を切った。

「ふっー、安達先輩は今二階で帰るとこみたいです、少し待ってもらうようお願いしたので今行けば間に合うと思います」

 という色よい返事をもらうことに成功した。

「本当にありがとう小島さん! 君の彼女さんに会ったらお礼も言っておくよ」

「は、はぁ……」

 僕の言葉に面食らった様子の小島さんだが、とにかくその場を後にして急いで学校二階に向かう。

 階段を上がり、二階の廊下に差し掛かったところで、丁度二人組の女の子に出くわす。

 相手もこのタイミングで来る人に心当たりは多くないようで、恐らく先程の電話で話題に上がった人物だと気づいたらしい。

「えっと、新聞記者の方ですか……?」

 それでも警戒されながら声を掛けられたので、僕は息を整えながら努めて笑顔で二人に近づく。

「はい、さっき小島さんに電話してもらった、近畿新聞の木南と言います」

 二人の綺麗なうなじが見下ろせるようになったころ、僕は名刺を差し出してそう切り出す。

 二人とも同じくらいの背丈だが、僕に声を掛けてきた子はつり目で、黒髪も後ろで束ねてあり可愛いというより爽やかな印象を受ける。

 もう一人は、少し巻き肩で、髪は背中まで届くゆったりとした茶髪で、大きい瞳とタレ目が特徴的だ。

 学校新聞の写真で見た時よりも弱弱しい感じを受けるが、恐らくこの子が安達さんだろう。

「あ、ありがとうございます」

 と、ぎこちない様子でタレ目の女の子が僕の名刺を受け取るが、やはりまだ疑われているようだ。

「こちらこそありがとう。それで早速なんだけど、……君が安達さんでいいのかな?」

 そう言ってタレ目の女の子に笑顔で話しかける。

「えっと、そうですけど、……それが何か……」

 おっかなびっくりに返事をする安達さんは、まだ警戒しているようだ。

「はい、掲示板に貼り出されてある学校新聞、あれを読んで安達さんの事を知ったので、そのことについて取材をさせていただきたいなと思いまして」

 僕は声も出来るだけ柔和にして話しかける。

「あんた……、木南さんか? 祐未は今から帰るんだ。今から取材なんてとてもできないぞ」

 黒髪の女の子が安達と僕の間に割り込んできた。

「渓……」

 安達さんが黒髪の女の子の方を見る。うーむ、どうも安達さんは助けを求めているよ眼をしている……。

「もちろん、今すぐに、と言うつもりはありません。取材の許可と、あと出来れば学校新聞で紹介されていた野鳥研究の資料を見せていただければと思って……。安達さん、どうでしょうか?」

 僕は二人にそう話す。安達さんは戸惑った様子をみせ、おどおどとしている。

「それって、新聞に祐未の研究が載るってことですか?」

 そう話したのは渓と呼ばれた女の子。

「それは分かりません、実際に記事にするまでには多くの工程があります。ただ記事になるにしろならないにしろ、安達さんの嫌う事をするつもりはありません」

「どうだか」

 渓は僕に冷たいまなざしを向ける。

 参ったな、何だか安達さんのマネージャーのような子と話している気分だ。というか、この子がつまり小島さんの彼女さんになるのか。

 虫の居所が悪いだけかもしれないが、怒らせるとまずいタイプのようだ。

 そんなことを頭で考え、さて次は何と話しかけるかと思った矢先。

「あ、あの、木南さん」

 安達さんが恐る恐る手を挙げた。

「えっと、私、その取材お受けします」

「本当ですか⁉」

「祐未、いいの?」

 僕と渓の別々の方向を向いた驚きの中で、安達さんは頷く。 

「うん、別に私の趣味が記事になっただけだし、そんな大した事でもないから。それに……」

 そこで安達さんは、照れたのか頬を掻く。

「私の趣味が新聞に載ったら渓も誇らしいでしょ?」

 そこで勝負あったらしい。渓も諦めたような顔で溜息を吐いた。

 そしてその笑顔を見た僕は、この子への評価を改めなければならないと思った。

 この子は弱弱しい子なんかではなく、しっかりと芯のある子だ。

「それじゃあ、さっき僕の渡した名刺にメールアドレスが書いてあるので、そこに野鳥研究の資料を送ってもらえますか? その後に詳しい事を伺いますので」

「分かりました」

「いや、本当にありがとうございます。取材を受けてもらえないと上司に怒られるところでした」

 そう言った僕は安達さんに深々と頭を下げた。

「あ、いえ、そんなことしなくても……、私も私の研究に興味を持ってくれた人がいてい嬉しかったですから」

 安達さんが照れたように答える。

「そうだぞ、祐未の寛大さに感謝するんだな」

「そんな渓も早く彼氏さんと仲直りするのよ? 小島くんも電話で謝ってじゃない」

「そ、それとこれとは話が違わなくないか祐未?」

「違いません、こういうのはタイミングなんだし、ね?」

「あ、いや……」

 安達からの言葉にたじたじの渓、どうもここの力関係は良く分からない。しかし、僕がしゃしゃり出るまでもなく、小島さんと渓さんの仲は改善しそうだなと、そう感じた。

 そんな考えを一旦頭の隅に置き、まずは自分のやるべきことは決まったので、それに取り組もう。

「改めて安達さん、取材の許可ありがとうございます。記事は新聞に載る場合は必ず安達さんに一度お見せしてからになりますので、安心してください」

「分かりました。木南さん、よろしくお願いします」

 そう言って安達さんは笑顔をこちらに向ける。

「それでは」

 僕は言うが早いか廊下で二人と別れ、急いで丹原さんの待つ車へ戻る。

「おう、戻ったな。どうだ、収穫はあったか?」

 助手席に滑り込むと、足をハンドルに投げ出していた丹原さんが伸びをしながら聞いてくる。

「ええ、まあ」

「記事にできそうなネタなのか?」

「それは、頑張ってはみますけど早川デスクの匙加減なので……」

「それより先に石水キャップにどやされるかもしれないけどな」

「やめてくださいよ……」

 そんな会話を交わした後、丹原さんはキーを差してエンジンをかけた。

 ゆっくりと車が駐車場を出ていこうとするころ、丹原さんが口を開いた。

「ていうかさ」

「何です?」

「どうして先輩の俺が車の運転してるんだ、これって普通新人の仕事だろ」

「ペーパーの僕の運転した車に乗りたいですか?」

「あー、ならやめとくわ」

 そう言うと僕等はそのまま近畿新聞の方へと帰っていった。

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新聞と記者 助手 @28285963

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