緑のたぬきと、口が悪い幼馴染と、あの日の家出のこと
ペーンネームはまだ無い
第01話:緑のたぬきと、口が悪い幼馴染と、あの日の家出のこと
わたしは緑のたぬき派だ。でも、世間的には赤いきつね派で通っている。おかげで緑のたぬきは、いつもひとりでこっそりと食べる羽目になっている。……はぁ、なんでこんなことになっちゃってるんだろう?
元々わたしは、赤いきつね派だった。あの十分にダシを吸ったオアゲとふわふわの玉子をお腹いっぱいに食べるのが、小さいころの夢だったはずなのに。
これも全部、公太が悪いのだ。
公太はわたしの幼馴染だ。思い返せば、学校が終わった後なんかは女子同士で遊ぶよりも公太と秘密基地で遊ぶことが多かった気がする。
男子に交じってくたくたになるまで遊んでから、秘密基地でおやつ代わりに赤いきつねを食べるのがその頃のマイブームだった。自宅から持ってきたサーモボトルでお湯を注いで待ってると、よく公太がからかってきた。
「すみれは、そんなもん食ってるからどんくせーんだよ」
「うるさいなー。公太のバーカ」
公太は緑のたぬき派だったので、わたしとは敵対関係にあった。
隣に腰を下ろした公太は、わたしと同じようにして緑のたぬきにお湯を注いだ。赤いきつねは熱湯5分。それに対して、緑のたぬきは熱湯3分。それは、後からお湯を注いだ公太が、先にお湯を注いだわたしよりも前に食べ始めるということだった。それが私には悔しくて、うらやましかった。
フタを外してズルズルと蕎麦をすする公太を横目に、わたしは赤いきつねが完成するまで「バーカ、バーカ」と呟き続けた。意地悪な公太なんて大っ嫌いだ。
早秋のとある土曜日のこと。わたしが朝ごはんに赤いきつねを食べていると、両親が遊園地にでも行こうかと誘ってくれた。ふたつ返事で誘いに飛びつくと、すぐに出かけることになった。
観覧車やメリーゴーラウンド、バイキングなど、遊園地には沢山のきらきらした乗り物があって、その日はすっごくすっごく楽しい日……のはずだった。
家に帰ったわたしは愕然とした。朝、食べかけていたはずの赤いきつねが何処にも見あたらないのだ。母を問い詰めると、もう捨ててしまったのだという。今となっては母の行動が当たり前のことだと思えるけれど、小さなころのわたしにとってそれは地獄のようなショックだった。帰ったら食べようと思って残していたオアゲも玉子もつゆもうどんも、ぜんぶ捨ててしまうなんて悪魔の所業だとすら思った。
そうして、わたしは家出を決意した。
家を飛び出してから数時間が経っただろうか。辺りはもう真っ暗になっていて、気温は肌寒いを通り越していた。着の身着のままで飛び出したものだから、わたしは寒さに体を震わせるしかなかった。
秘密基地の隅で体育座りをしながら、わたしはずっと恨み言を呟いている。
「バーカ、バーカ……」
バカなのはわたしだ。すでに母に対する怒りも冷え切ってしまい、ただただ張ってしまった意地をひっこめる口実が見つからなくて、誰かに呼びに来てもらえるまで俯いていることしかできていないでいるのだ。心細くなって、鼻の奥がツンとする。
ふと、足元を光が照らした。
「やっぱ、ここにいたのか」
懐中電灯を持った公太が、手提げ袋をぶら下げていた。
「おばさんから電話があったんだよ」
わたしのことを見つけられずに心配した母は、わたしの行先に心当たりがないか公太に問い合わせたらしい。それで私の家出を知った公太は、確信をもってここまできたのだ。
「すみれは単純だからな」
「うるさい。公太のバーカ」
公太はわたしの隣に座ると、ジャンパーを脱いでわたしに手渡した。
「これ、邪魔だから、すみれが羽織っとけ」
わたしが唖然としている間に、公太は手提げ袋からサーモボトルと一緒に赤いきつねを取り出した。
「あとさ、緑のたぬきと間違えて買っちまったんだけどさ、これ、食うか?」
それを聞いて思わず吹き出してしまった。
「間違えたの? 緑のたぬきと、赤いきつねを?」
「ああ、そーだよ。悪いかよ?」
「公太のバーカ」
「うるせーな」
不思議だった。公太の口の悪さはいつも通りだったのに、わたしは微塵も嫌な気持ちが湧かなかった。それどころか、公太の声はわたしの不安をぱっと消してしまったのだ。
しかし、どうしようもないことに、心に余裕が生まれると意地を張ってしまうのがわたしの性格のようで「公太の買ってきた赤いきつねなんて、いらないよー」と言ってしまった。言ってしまったからには簡単に言葉を取り下げることもできず「本当に食わねーのか?」と聞かれても「本当にいらないよ」と心にもないことを言ってしまう有様だった。
わたしの態度は公太を怒らせてしまっても仕方のないものだったと思うが、公太は気にした様子もなく「そっか。んじゃ、オレは遠慮なく」と言って、手提げ袋から緑のたぬきを取り出した。ちゃっかり自分の食べる分も用意してきたらしい。
粉末スープを空けてお湯を注ぐと、辺りに良い香りが漂った。3分が経過してフタを剥がしたところで、わたしのお腹が盛大にグゥと音をたてた。
「なんだよ、腹へってんじゃねーかよ」
「うるさいなー。別にいいでしょ」
「ほら」そう言って、公太が出来上がったばかりの緑のたぬきを差し出した。「これ、食えよ。オレ、なんか急に腹が痛くなってきたからよ」
片手でお腹をさすりながら公太が言う。
「……そんなに言うなら、食べてあげなくもないけど」
わたしは公太からカップを受け取ると、フーフーと冷ましてから蕎麦をひとくち食べてみた。すごく美味しかった。
「それ食ったら、帰るからな」
公太の言葉に返事もせずに、わたしは緑のたぬきを食べ続けた。
以来、わたしは緑のたぬきを食べると、その日のことを思い出すようになった。気付けば緑のたぬき派になってしまっていたのだ。みんなの前では意地を張って赤いきつねを食べ続けているけれど。
バーカ、バーカ。本当にわたしはバカで単純だ。
あの日の、たったあれだけのことで、大好きになってしまったんだから。緑のたぬきのことも、アイツのことも。
緑のたぬきと、口が悪い幼馴染と、あの日の家出のこと ペーンネームはまだ無い @rice-steamer
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