あたしと師匠の赤い秘密

関川 二尋

あたしと師匠の赤い秘密


「赤を! もっと燃えさかる赤を! すべてを焼き尽くすような圧倒的な赤を!」


 と、六畳ほどしかない狭い庭に向かって師匠が熱く叫んでいる。

 師匠の熱い思いとは裏腹に、庭はとにかく枯れているし、野良猫が子猫に乳を与えているのどかさだ。 

 そしてあたしも、どうリアクションしたものかと途方に暮れている。


   🦊


 そんな関心のなさと長閑のどかさに師匠がクルッとあたしを振り返る。

「マドカ君……」


「はい。なんでしょう? 師匠」

 つとめて冷静にあたし。


「足りないのだ! 情熱と生命力と憤怒が燃え盛るような、そんなマッカな赤がっ!」

「それは……それは困りましたねぇ」


   🦊


「ああ! それがなければこの絵は完成しないのだ! いわばジグソーパズルの最後のワンピース! ハイライトのない人形の瞳! 画竜点睛を欠くという言葉もあるだろう?」

「はい。その言葉は存じています」


 また始まったなァ……正直面倒くさいけれど、そんな態度を師匠相手にとるわけにもいかない。

 それに、変人ではあるけれどたしかに師匠の絵は迫力があってカッコいいのだ。

 そうでなければ弟子なんかやってないわけだし。


「見たまえマドカ君! キミはコレをみてどんな赤を思い浮かべる?」


 師匠はつかつかと歩いて縁側からフスマを開け放つ。

 部屋の中には大きなフスマに描かれた一枚の墨絵がある。


   🦊


 ここ一週間あまり、師匠がずっと描いてきた絵だ。

 墨と筆で描かれているのは、ずばり『Q美の妖狐』。

 

 タイトルのセンスは別として、実に見事な絵だ。

 筆遣いそのままに流れる毛並み、構図の大胆さ、その表情は妖しくも美しい。


 さすが師匠の作品。

 これまで書いてきた妖怪絵図の中でも群を抜く迫力がある。

 唯一欠けているのは、その瞳の中央だ。

 そこが空白になっているだけなのに、この絵から生気が流れてこないのだ。


   🦊


「どうしたものかね、マドカ君?」

 師匠は和服の袖に手を突っ込んで腕組みする。

 それから片目をすがめて、じっとあたしを見てくる。

 イライラとあたしの返事を待っている。


 ああ。そういうことですか。


「そうですね、それなら気晴らしにスーパーに行ってみませんか?」

「何のためにだね? わたしは世俗的なところが苦手なのは知っているだろう?」


 と、言ってはいるが、これはお約束のやりとりだ。


「師匠、妖怪とはもともと民衆の口伝によるものです。ひょっとしたらその残滓ざんし、ヨスガのようなものが見つかるかもしれません。ぜひ行ってみるべきかと」


「うむ、マドカ君がそこまで言うのなら仕方ない」


   🦊


 ちなみに師匠、あたしと二つしか違わない。

 しかも幼稚園の頃からのずっと幼馴染だ。


 働きもしないで好きな妖怪の絵ばかり描いている、世間的にはちょっと痛い人だ。

 しかも困ったことに、あたしはそんな師匠が大好きなのだ。

 ホントにこの気持ちが手におえない。


 それはともかくとして、久しぶりの二人っきりのお出かけだ。

 スーパーはめちゃめちゃ近いんだけど。


   🦊


「おおっ! これだ! この赤だっ!」

 

 スーパーに入ってわずか五分。

 師匠が見つけたのはあの定番の【赤いきつね】のカップうどんだった。


「さぁ早く帰ろう、マドカ君っ!」


 スーパーからの帰り道もわずか五分。

 デートの時間もあっという間に終了だった。


「マドカ君、お湯をっ!」


 お湯を注いでわずか五分。

 だしのいい香りが漂い出し、カップうどんが完成する!


 そして師匠はニコニコと割り箸を二つに割った。


「いただきまーす!」


 食べ終わるのには……五分もかからなかった。


   🦊


 それにしても芸術とは分からないものだ。


【モノクロームの墨絵の中で赫々と燃え上がる眼光の迫力が素晴らしい!】


【印象的なのはやはりあの赤い眼、あの色に妖狐の長久の生命力を感じた】


【あたらしい妖怪絵図の誕生を見た。闇夜に光る赤は怪しくも妖しい色!】


 師匠の新作は大絶賛の内に画壇に迎え入れられたのだ。


   🦊


 その噂の赤。

 実は【赤いきつね】の紙蓋の一部を丸く切って糊付けしただけなのだ。


 食べ終わると師匠はすぐにハサミとノリを持ってきて、丸く切り抜いてペタッと目のところに貼った。

 ほんとそれだけ。

 特別な絵の具も材料もなんにもなし。


 でもその赤は実に妖狐らしい、美しい赤だった。

 ホントはこの秘密をばらしてしまいたいのだけれど、今のところはあたしだけの秘密にしている。


 理由は簡単。


 秘密が増えるほど二人の距離が縮まる気がするからだ。


   🦊


「ところでマドカ君、君はいつもお揚げを先に食べてしまうんだね」

「そういう師匠は最後に食べますね」


「それはそうさ。最後につゆをたっぷり含んだお揚げを楽しむ、お揚げはデザートとして楽しむものだよ」

「いえ。お揚げは前菜として楽しむべきです。その後でうどん本来の味をゆっくりと楽しむものですよ」


「これについては、まだまだマドカ君に教えることがありそうだな」

「そうですか? これについてはあたしの方が師匠かもしれませんよ」


 なんて言いつつ、今日も縁側にふたり並んで【赤いきつね】を食べる。


 定番のカップ麺だけど、その味も食べ方も、そして蓋の色にも、まだまだ秘密が隠れている。つまりそれだけあたしたちの距離が縮まる可能性があるってことなのだ。





 ~おわり~

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