夢の帰る場所



 引っ越しにはお金がかかる。

 無駄に使えるような金はないのだから、不便でも不快でも現状を維持する。


 実際には引っ越し資金程度なら捻出できるくらいの蓄えならあった。

 少し前から始めたアフィリエイトブログ。

 何かの足しになるかもしれないと考えて自分の写真をアップして添えたら、思った以上に反応が多くなって。

 別に性的なものではないし、顔形がわかるものではない。かなりぼかした加工もしてある。


 世の中、こんなものだ。

 汚れていて腐っていて、それがお金になる。

 舞彩まいにそんなことはさせられないけれど、自分なら別にいいだろう。切り売りしてでも、司綿つかわたの役に立てるのなら。


 干溜ひだまり埜埜しょのから渡されている口座には大した金額は残っていない。

 しかし便利だった。

 未成年には許可されない投資関連のことも、埜埜がやっていることになっていればいいのだから。


 埜埜の口座を使ってネットを通じて金策。

 現金化したものはすぐに自分の口座に移し替えた。

 埜埜の住民票はつい最近まで――詩絵が成人するまで、この雑居ビルにあった。保護者として。

 何かの通知などもこの住居に届き、どうしても必要なものはマンションに届けた。


 埜埜が知る必要のない通知は届けない。

 ただそれだけ。



 連絡手段としての通信端末については、無線LAN形式が一番安く済むと説明した。

 高価なスマートフォンなど買い与えるよりマシだと思ったのだろう。あるいは自分で調べるのが面倒だっただけか。

 中学に上がった頃から、携帯無線端末を契約して埜埜の使い古しの旧端末を使うようになった。


 あの女の使い古し。

 匂いが染みついているようで不愉快。


 時折、画面が暗転した時に自分の顔が映り込む。


 目が似ている。

 嫌い。嫌い。

 舞彩のつぶらな瞳は父親似らしい。その男にも別に良い印象などないけれど、母体の顔形よりはずっといい。



 うまくやれたのは、自分の力だけではない。

 フクロウから聞いた知識を活用しつつ、埜埜からもらう金を貯めて少しずつ増やした。

 汚いところに金が湧く。

 目に見えて沈んだ日本企業に海外からの再建役が来れば、どういう形でも一時的には浮上するとか。そういう波を見て増えたら深追いはしないように。



 一定の資金は出来て、免許の取得と中古車を購入した。

 もうすぐ司綿は出所するはず。彼の手助けをするのに無駄にはならない。


 入所している刑務所は知っている。

 父親の所在も調べた。


 死んだ母が始角さんにお世話になったから、というようなていで昔の住居周辺を訪ねたのだ。

 あそこの誰々さんは始角さんと特に親しかったよ、と教えてもらって。

 田舎だから、ということもある。詩絵が若い女だったからというのも口が軽くなった理由だと思う。

 始角一家に対して敵対的ではない詩絵に、昔話に興が乗って今は隣町のどの辺りにいるとか話してくれた。



 出所したら、他に当てがあるわけでもない。

 父親のところに行くはず。

 司綿が住む近くに部屋を借りた方がいいだろうか。どうにか接する機会を設けたいのだけれど。


 冤罪で、ひどい不条理に晒された司綿。

 人間不信になっているかもしれない。あるいはひどく荒れてしまっている可能性も。

 それらの責任は詩絵にある。彼に償いたいし、彼の助けになりたい。


 それ以上に。

 こんな理不尽な世界で、こんな鬱屈した気持ちを抱えて生きているのがつらい。詩絵の心が潰れてしまいそう。

 舞彩は何も知らない。司綿に会えればきっとうまくいくと、そう信じているだけ。


 どうしたらいいのだろうか。

 詩絵は、司綿に許してもらえるのだろうか。

 彼の役に立てると証明して、必要ならこの体で彼を慰めて。


 司綿がいればきっと詩絵は安心できる。

 あの夜みたいに。

 幻想などではない。こんな世界の中で司綿だけは詩絵の本当のもの。



 だけど、どうしたら。

 これから詩絵はどうすればいいのかわからない。どうしたら司綿と会って話ができるのか。


「……?」


 恨み言ばかりの時間を詰め込んできた雑居ビルの部屋に戻ると、ひどく事務的な茶封筒が郵便受けに差さっていた。

 細い規格。

 おそらく企業や役所関係ならもっと幅広の封筒を使う。私的なもののような印象だけれど。



干溜ひだまり……」


 宛名は、これもまた不可解な。


 ――干溜舞彩様の保護者様。親展。



 改名などの法的な手続きをしてからまだ一年も経っていない。

 当然、旧姓での郵便物だって珍しいとは言わないが。


 舞彩の保護者宛てに。

 どこから――矯正局?


 聞きなれないけれど舞彩の保護者にと言うのなら詩絵で間違いない。

 部屋に戻り封を開けた。最初の方は定型の挨拶分で。



『つきましては、干溜舞彩様が被害に遭われた事件により服役しておりました始角司綿服役囚がこの度出所することになりましたことをお伝えします』


 硬直した。

 数秒、数十秒の硬直の後で手が震える。


『当人の刑期がまだ残っていること。被害者がいまだ未成年であることを鑑みて、当事務局の判断で特例の連絡をする次第です。恐れ入りますが他言されることがありませんよう強くお願い申し上げます』

「司綿が……」


 こういうことがあるのだろうか。

 舞彩が現時点で未成年だから。司綿の刑期がまだ残っていて、隣接する市で社会復帰するから。

 内密にその所在を教える。他言しないように。



 実際に、性犯罪の被害者が加害者と再び遭遇する可能性はあり得る。

 未成年であることを考慮すれば、そうしたことがないよう行政側からの通知もあるのかもしれない。わからないけれど。


 過去の犯罪者について、虚実はわからないが今はどこで何をしているという情報も出回っていることがある。

 もしかしてそれは、こうした通知から漏れているのではないか。

 わからない。だけど。


 本当なら。

 もしこれが本当なら。


「……司綿」


 手が届く。

 彼に会うことができて、償う機会を得られる。

 二度とないかもしれない。こんな都合のいい話は。


 食い入るように文面を何度も読み返した。

 いつ、どこに。

 場所を確認しておかなければ。行ったことのない場所だから先に下調べが必要。

 もしこの情報が間違っていたとしても、その時は出直すだけ。


 司綿が出所する日がわかって、住む場所がわかれば。

 あとは詩絵がどうするか。それだけのこと。


「私が……」


 話したのはあの夜だけ。

 今の彼がどんななのかもわからない。だけど。


「私が、必ず」


 どんな風に変わっていても関係ない。

 詩絵と舞彩の命はあの夜の司綿にもらったもの。

 彼の恩に報いたい。司綿が奪われた大きすぎる時間は取り戻せないけれど。

 まだ知りもしないだろう本当に怨むべきものの存在を伝えて、彼の人生の意味を返さなければいけない。


 一緒に。

 詩絵は司綿と一緒にいたい。

 こんな雑居ビルじゃなくて、司綿のいる場所にいたい。

 あの夜の詩絵に与えてくれた優しさを、いつも傍に感じたい。



「今度は私が、あなたを助けますから」


 今すぐ引っ越しはしないけれど、雑居ビルの部屋のことは司綿には言わないでおこう。

 こんな憂鬱な場所のことは内緒のまま。

 司綿のいる場所が詩絵と舞彩の居場所になれば、もうここに戻らなくていいのだから。



  ◆   ◇   ◆



 ずっと待っていた。

 舞彩と交代で休憩を挟んで、自分がいない間に司綿が来てしまったらどうしようかと心配になりながら。


 今日で間違いないはず。

 ここで間違いないはず。

 もしかしたらあの通知は間違いだったのかもしれない。そんな不安も胸をぎる。


 日が暮れるまで待とう。

 そんな区切りを決めてみても、きっと日が暮れても待ち続けるのだろうなと頭の片隅で思いながら。



 階段を登る靴音を聞いて、胸がいっぱいになった。

 彼の顔を見て、あふれ出した。十三年の想いが。


 月日は経ったけれどあの夜と変わらない。

 見ただけでわかる。彼の本質があの夜と変わらず優しいままだと。

 もう安心していいと。彼は何も言っていないのに、湧き上がる安らぎが詩絵の心を強引に解いていくようで、泣き出してしまいそう。


 感情の波が押し寄せてきてうまく言葉にならなかった。

 何か言わないといけないのに。

 この日の為に色々と考えてきたのに、用意していた言葉が真っ白になってしまったみたい。



「君は……?」


 手にした紙と、部屋の前に立つ詩絵を見比べて困惑の色を浮かべる彼に、涙を堪えて頷いた。


「お帰りなさい」


 私の本当の居場所がやっと帰ってきてくれたのだと頷いて。

 今度はもう離したくないと、手を伸ばした。





                 完



/////// あとがき /////////


 これで幼女の怨返しはお終いです。

 読んで下さった方々に心より感謝を申し上げます。

 読後の感想をいただけるととても喜びます。何も反応がないと、小心者なのでとても不安になります。


 もし気に入っていただけたら、また別のお話でもお付き合いをいただければ幸いに存じます。

 最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

 また御縁があれば嬉しいです。


                 大洲

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いつかの幼女の怨返し 大洲やっとこ @ostksh

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