儀式
「私は明日に備えて準備があります。お鈴さまは、太郎殿とここで少し休まれてください」
そう言い残し、お梅は社務所へ向かった。若い見習い巫女に声をかける。
「椿、大切な話があります。こちらへ」
「はい、お梅さま」
椿は、歳の頃はお梅より二つ下の十五歳。お梅とは姉妹のように仲が良かった。
「椿、明日、蛟の沼にて『人身御供』の儀式を致します。『贄』は、お鈴さまお一人です」
「……かしこまりました」
「『人身御供』は、今まで経験のない儀式ですので、手探りで行うことになります。そしてあなたには、大切な役目を担って頂きます。この薬を、
「これは……?」
「眠り薬です。この薬を飲ませたあと、太郎殿を
「えっ?」
「決して、他の方に話してはいけません。特に、お鈴さまには見つからぬように。もし、お鈴さまに太郎はどうしているかと聞かれたら、社務所で見習い巫女たちと遊んでいると答えなさい」
「——」
椿は青ざめた。
『贄』は、お鈴さま一人と言われたのに、何故? これでは、太郎殿も『贄』ではないのか?しかも、お鈴さまに内緒というのはどうして?
訊ねたいことはいっぱいある。でも、お梅の様子を見て(聞いてはいけないのだ)そう、自分に言い聞かせた。
♦♦♦
翌朝、出立の準備をしていると、突然
「お梅さま、大丈夫ですか?」
「えぇ、どうにか。でも、あの
「雨乞いと共に、蛟さまに頼んでみようか?」
お鈴が笑いながら言った。
これから死にゆく者の言葉とは思えない。怖くないのだろうか? 私は、これから行われる儀式を考えると怖くて足が震えるというのに……。
そんな不安を隠しお梅は、気丈に答えた。
「そうですね。とっておきの薬をお願い致しましょう」
鎮守の森に、三人の笑い声が響く。緊張を解いていくかのように……
蛟の沼は、この日照りの中でも干上がることもなく水が溢れていた。椿が沼の側に、
手が震える。呼吸が浅い。
失敗は許されない。
白装束を身に纏ったお鈴は、正座をし目を瞑っていた。瞑想しているのか、何か考えているのか分からない。張り詰めた空気がお鈴を包んでいた。
お梅の舞が始まった。扇を右手に持ち、神に舞を捧げる。その舞に答えるかのように、沼の水が揺れる。美しい波紋が描かれていく。小さな波紋。大きな波紋。
それは、一定のリズムを刻み現れる。舞が終わるころ、沼の水が大きく渦を巻いた。
お梅の動きが、ピタっと止まる。
渦の中心から白い影が現れ始めた。大きな
「自分の犯した罪の重さに耐えられなくなったか?」
地に響く白蛇の声。
「……はい。子を亡くしたお玉の天をつんざくような叫びが、今も頭から離れませぬ。私は、私は、本当に恐ろしいことをしてしまいました。懺悔と後悔の日々に、身も心も――。 蛟さま、もう、誰も死なせたくありませぬ。どうか、私の命と引き換えに雨を降らせてください。お願い致します」
涙を流し、深々と頭を下げる。お鈴は、ずっと心を痛めていた。太郎がいなければ、とっくに自分の命など投げ出していただろう。
「雨乞いならば、お主の子の命も必要であるが……」
お鈴が顔をあげる。
「いいえ、蛟さま! どうか、私の命限りでお願い致します!!」
「それは、できぬ。わしの子・
「しかし、蛟さま。あの子に罪はありません。あの子に
蛟は、憐れむような瞳をお鈴に向けた。
「自分の犯した罪で人が亡くなっていると言うに、まだ、我が子の命は渡せぬと言うのか?」
もはや、ここまでか。
お梅と椿は、そう思った。やはり、太郎を贄にしなければ雨は降らないのだ。それが、太郎の
「太郎は……、太郎は、蛟さまの御子の御霊を宿しております。そうですよね?」
「そうじゃ」
「では、太郎は、私の子でもありますが、蛟さまの子でもありませんか?」
「……⁉」
「太郎を贄にするということは、蛟さまの御子を贄にするということ。蛟さまは、自分の子を喰らうおつもりですか?」
「なっ!」
お鈴の言葉に、蛟がひるんだ。
お梅と椿は、顔を見合わせる。蛟さまを怒らせてしまったら、村は終りだ。恐怖が二人を包み、冷汗が背中を伝う。
「神を恐れぬ人間よ。確かに
「そうとは限りませぬ! 蛟さまの力を使い、人々を救うかもしれませぬ」
「そこまでして息子を助けたいお主の気持ちはわかった。しかし、そこの二人は違うぞ。太郎を贄にするべく
お鈴は顔色を変えて、
「太郎! 太郎‼」
眠っている太郎を抱きかかえ、お梅と椿を睨む。
「お梅! 私を騙したのか? 太郎を育てると約束したのは、嘘だったのか? 答えろ‼」
運命に抗い続けるお鈴の姿を見ていたお梅の心は、何かがはじけた。
巫女としての振る舞い、巫女としての行動。巫女として生きることが自分の
私は、巫女である前に人としてどうしたい?
答えは、簡単だった。
「お鈴さま。申し訳ありませぬ。私は、巫女として村を守ることだけを考えていました。太郎殿は『贄』となる運命なのだと、自分に言い聞かせていたのです。ですが、その運命に抗うことに致しました。蛟さま、太郎殿は私が育てます。蛟の力というものが暴走しないように目を配り、気を配って育てます。ですから、太郎殿を『贄』にはできません‼」
お梅は、真っすぐ白蛇の瞳を見つめた。
「巫女でありながら神に逆らうとは、面白い。面白いのう。良かろう。蛟の力を宿したその子を育ててみよ」
白蛇はそう言うと、お鈴の方に顔を向き直す。
「さて、お主にはわしの眷属となってもらおうかの」
「眷属?」
「お主を、このままあの世に送るのは勿体ない。わしの眷属となり、息子の行く末を見届けるがよい。さぁ、沼の中へ」
お鈴は、もう一度太郎を強く抱きしめた。それから、「太郎を頼みます」とお梅に預け、沼へと飛び込む。刹那、お鈴は黄蛇へと姿を変え白蛇の元へ泳いでいった。
「さぁ、間もなく雨が降る。急いで村へ帰るがよい」
そう言うと、白蛇は黄蛇を連れて空高く昇って行った。雨雲が、空を覆い始める。その後、村に雷と共に大雨が降った。雷は、
お梅は、雨が止み空にかかる虹を見上げながら
「どうやら、
そう呟いて、太郎をしっかりと抱きしめた。
完
蛟の沼 月猫 @tukitohositoneko
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