約束
ふぅー
太郎を寝かしつけたお梅は、大きなため息をついた。
(やはり、
先ほど見た
大巫女がどんなに
お梅は、今までのことを振り返り、胸騒ぎを振り切ることができない。
(お鈴さまを迎えに行こう)
そう思ったときだった。村の男衆がお鈴を連れて来た。お鈴は憔悴しきっている。
「お鈴さま! 大丈夫ですか?」
「あぁ、なんとか……」
猿ぐつわは外されていたが、体はきつく縄で縛られている。
「早く、縄を解いて下さい!」
お梅は、指示を出す。
「お梅さまのご命令ですが、それは出来ません。
お梅は、顔をしかめた。(嫌な男!)と心の中で毒づいたが、言葉には出さない。
顔色の悪いお鈴の側に歩み寄る。
「お鈴さま、縄を解いたら逃げますか?」
お梅は、優しくお鈴に問うた。
「——いいや、逃げる気はない」
「聞きましたか? 縄を解いてあげなさい」
「へぇ」
面倒くさそうな返事をして、縄を外す猛者。
「これで、いいですかい? お梅さま、贄に逃げられないようにして下さいよ」
そう言って、男衆たちは帰って行った。
「お鈴さま、お水を」
「あぁ、すまない」
ごくごくと喉を潤す。冷たい水が、体を巡り少し力が沸いてきた。
「貴重な水を飲ませてもらって、すまない」
「大丈夫ですよ。境内の井戸は、まだ枯れておりませんから。食料は、ほぼ無くなりましたけれど」
「そうか……」
「
「話……? 話なんかじゃない。襲われそうになったよ」
お鈴は、そう言って乾いた笑みを浮かべた。
「そんなっ!」
感じていた胸騒ぎは、これだったのか。後悔と共に、
「あいつは、欲と色にまみれた下衆野郎だよ。お前たちも気を付けた方がいい。巫女たちの入る湯殿を覗いているぞ」
「ひっ!」
衝撃の事実に、卒倒しそうになるお梅。
「大丈夫か?」
「ちょっと、眩暈が……。吐き気も……。鳥肌も……。悪寒も……です」
「くくっ」
お鈴が、笑った。
「あっ、お鈴さまが笑ったお顔、久しぶりに見ました」
「そうか? ……そうだな。笑うことを忘れていた。太郎と二人、生きるだけで必死だったから」
遠い目をするお鈴。
私が思っている何倍も、苦しんで、悲しんで、這いつくばって生きてきたのだろう。蛟の沼に行ったのも、子どもを守りたい一心で……。そんなお鈴さまを責めることはできない。きっと、大巫女さまもそうだったに違いない。
お梅は、そう思った。
「ところでお梅、大巫女さまは、なぜ手紙に『逃げろ』と書いていたのだろうか? 村を守るはずの大巫女さまの言葉とは思えないのだが……」
「逃げろと書いていたのですか?」
手紙の内容に、お梅も驚きを隠せずにいる。しばしの沈黙。お梅は、何かを考えていた。
「——もしかしたら?」
お梅が呟いた。
「心当たりがあるのか?」
「はい。この村では、神さまに捧げるのは米や野菜や果物ばかりですよね?」
「そうだ。動物を使った生贄の儀式もない。ましてや、人身御供など……」
「そういう類の儀式を、大巫女さまもしたことが無かったのだと思います。日照りが続いてから、古い文献をよく読まれておりました。私もそのお手伝いをしていたのですが、ある文献に次のような内容があります。『神に捧げる贄は、邪気のない純粋な童がよい。贄の中に邪気あれば、神に穢れが及び禍津神となる。故に、贄の選別には注意を払いたまえ』と。もし、お鈴さまが村人を呪ったまま贄となれば、日照り以上の災禍が訪れるかもしれないと、大巫女さまは考えられたのではないでしょうか?」
「なるほど。それで、合点がいく」
大巫女は以前、お鈴に村人を恨んでいるかと聞いてきた。それに対しお鈴は、許せるはずがないと答えている。
そうか、大巫女さまは私が村人を恨んだまま贄となれば、更なる災禍が訪れると読んでいたのか。最悪の事態を回避するために、私と太郎を贄とするより自分の命を懸けたわけだ。しかし、大巫女さまの願いは叶わなかった……。
「お梅、明日私は『贄』になろう。村人が数人亡くなったことは承知している。幼馴染のお玉も、太郎と同じ年の子を亡くした……。私は、その罪を償わなければならない。しかし、太郎は贄にしないでくれ」
お梅の両目が大きく開かれる。
我が子を助けたいお鈴さまの気持ちは痛いほどわかる。でも、蛟の沼の魚を食べたのは、恐らく太郎殿だ。太郎殿を贄にしなければ、雨は降らない。
「お鈴さま。お気持ちはわかりますが……」
「私一人でも、雨は降る。なぜなら、私が蛟さまの子・
力強い言葉。力強い瞳。けれども
「蛟さまに、その言い分が通るとは……」
「頼む! 雨は、必ず降る。太郎を、助けてやってくれ! そして、お前が育ててくれ! 本当は、隣村に行って太郎を里子に出して戻って来るつもりだったが、もうその願いも叶うまい。もし、お前が育ててくれると約束してくれたなら、私は安心して死ねるんだ。頼む!」
……無理です。
お梅は、その言葉を飲み込んだ。そして、言った。
「わかりました。お約束しましょう」
お鈴の手を取り、真っすぐにその瞳を見つめる。
お鈴を安心させるために。
自分の心を読まれないように。
細心の注意を払いながら……。
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