約束

 ふぅー

 太郎を寝かしつけたお梅は、大きなため息をついた。


(やはり、村長むらおさに話すべきではなかった)


 先ほど見た村長むらおさの薄ら笑いが頭から離れない。不安が押し寄せる。

 村長むらおさは、美しいお鈴を好いていた。好いていたが、巫女であるお鈴との距離はずっと保っていた。しかし、お鈴が旅の若者と恋に落ち、子を宿したとわかると、キツイ態度でお鈴に接するようになる。異常なまでの嫉妬心。可愛さ余って憎さ百倍というものだろう。が、村長むらおさは、やりすぎた。お鈴を村八分にするよう村人に強いたのだ。


 大巫女がどんなにたしなめても『巫女の掟を破ったんですから!』と、聞く耳をもたなかった。そんな人物だった。

 お梅は、今までのことを振り返り、胸騒ぎを振り切ることができない。


(お鈴さまを迎えに行こう)

 そう思ったときだった。村の男衆がお鈴を連れて来た。お鈴は憔悴しきっている。

 

「お鈴さま! 大丈夫ですか?」

「あぁ、なんとか……」

 猿ぐつわは外されていたが、体はきつく縄で縛られている。

「早く、縄を解いて下さい!」

 お梅は、指示を出す。

「お梅さまのご命令ですが、それは出来ません。村長むらおさから『贄に逃げられたら、この村はお終いじゃ。絶対に縄を解くな!』と言われてます」


 お梅は、顔をしかめた。(嫌な男!)と心の中で毒づいたが、言葉には出さない。  

 顔色の悪いお鈴の側に歩み寄る。 

「お鈴さま、縄を解いたら逃げますか?」

 お梅は、優しくお鈴に問うた。

「——いいや、逃げる気はない」

「聞きましたか? 縄を解いてあげなさい」

「へぇ」


 面倒くさそうな返事をして、縄を外す猛者。

「これで、いいですかい? お梅さま、贄に逃げられないようにして下さいよ」

 そう言って、男衆たちは帰って行った。


「お鈴さま、お水を」

「あぁ、すまない」

 ごくごくと喉を潤す。冷たい水が、体を巡り少し力が沸いてきた。


「貴重な水を飲ませてもらって、すまない」

「大丈夫ですよ。境内の井戸は、まだ枯れておりませんから。食料は、ほぼ無くなりましたけれど」

「そうか……」

村長むらおさと、どんな話をされたのですか?」

「話……? 話なんかじゃない。襲われそうになったよ」


 お鈴は、そう言って乾いた笑みを浮かべた。

「そんなっ!」

 感じていた胸騒ぎは、これだったのか。後悔と共に、村長むらおさに対する嫌悪で全身に鳥肌が立つ。


「あいつは、欲と色にまみれた下衆野郎だよ。お前たちも気を付けた方がいい。巫女たちの入る湯殿を覗いているぞ」

「ひっ!」


 衝撃の事実に、卒倒しそうになるお梅。

「大丈夫か?」

「ちょっと、眩暈が……。吐き気も……。鳥肌も……。悪寒も……です」

「くくっ」

 お鈴が、笑った。


「あっ、お鈴さまが笑ったお顔、久しぶりに見ました」

「そうか? ……そうだな。笑うことを忘れていた。太郎と二人、生きるだけで必死だったから」

 遠い目をするお鈴。


 私が思っている何倍も、苦しんで、悲しんで、這いつくばって生きてきたのだろう。蛟の沼に行ったのも、子どもを守りたい一心で……。そんなお鈴さまを責めることはできない。きっと、大巫女さまもそうだったに違いない。

 お梅は、そう思った。

 

「ところでお梅、大巫女さまは、なぜ手紙に『逃げろ』と書いていたのだろうか? 村を守るはずの大巫女さまの言葉とは思えないのだが……」

「逃げろと書いていたのですか?」


 手紙の内容に、お梅も驚きを隠せずにいる。しばしの沈黙。お梅は、何かを考えていた。

「——もしかしたら?」

 お梅が呟いた。


「心当たりがあるのか?」

「はい。この村では、神さまに捧げるのは米や野菜や果物ばかりですよね?」

「そうだ。動物を使った生贄の儀式もない。ましてや、人身御供など……」

「そういう類の儀式を、大巫女さまもしたことが無かったのだと思います。日照りが続いてから、古い文献をよく読まれておりました。私もそのお手伝いをしていたのですが、ある文献に次のような内容があります。『神に捧げる贄は、邪気のない純粋な童がよい。贄の中に邪気あれば、神に穢れが及び禍津神となる。故に、贄の選別には注意を払いたまえ』と。もし、お鈴さまが村人を呪ったまま贄となれば、日照り以上の災禍が訪れるかもしれないと、大巫女さまは考えられたのではないでしょうか?」


「なるほど。それで、合点がいく」

 大巫女は以前、お鈴に村人を恨んでいるかと聞いてきた。それに対しお鈴は、許せるはずがないと答えている。


 そうか、大巫女さまは私が村人を恨んだまま贄となれば、更なる災禍が訪れると読んでいたのか。最悪の事態を回避するために、私と太郎を贄とするより自分の命を懸けたわけだ。しかし、大巫女さまの願いは叶わなかった……。


「お梅、明日私は『贄』になろう。村人が数人亡くなったことは承知している。幼馴染のお玉も、太郎と同じ年の子を亡くした……。私は、その罪を償わなければならない。しかし、太郎は贄にしないでくれ」


お梅の両目が大きく開かれる。

 我が子を助けたいお鈴さまの気持ちは痛いほどわかる。でも、蛟の沼の魚を食べたのは、恐らく太郎殿だ。太郎殿を贄にしなければ、雨は降らない。


「お鈴さま。お気持ちはわかりますが……」

「私一人でも、雨は降る。なぜなら、私が蛟さまの子・幼蛇ようだを無理やり息子に食べさせたのだ。息子が、自らの意思で食べたわけではない。全て、私がしたこと。全責任は、私にある」


 力強い言葉。力強い瞳。けれども

「蛟さまに、その言い分が通るとは……」


「頼む! 雨は、必ず降る。太郎を、助けてやってくれ! そして、お前が育ててくれ! 本当は、隣村に行って太郎を里子に出して戻って来るつもりだったが、もうその願いも叶うまい。もし、お前が育ててくれると約束してくれたなら、私は安心して死ねるんだ。頼む!」


 ……無理です。

 お梅は、その言葉を飲み込んだ。そして、言った。


「わかりました。お約束しましょう」

 お鈴の手を取り、真っすぐにその瞳を見つめる。

 お鈴を安心させるために。 

 自分の心を読まれないように。

 細心の注意を払いながら……。



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