二章 无仙城市(一)
西の天山峰から一筋流れ出でた小流が、山野の合間を縫いいくつかの流れを吞み込んで大陸の縁からこぼれ出る。その入り口にあるのが易流だった。大河の穏やかな河口は季節を問わず魚が豊かに獲れる。その恵みを受ける漁師が住み、彼らから新鮮な魚を買い取る地元の行商たちが行き来する、慎ましい邑だったのだ。その雰囲気をガラリと変えたのは、一艘の船、異国からの渡来人たちだった。
もともと、中つ原の交易の要所といえば、西の陸路は
そんな街の傍まで、
大都市ということもあり、ぽつぽつとあかりが浮かんでいるのが遠目にも見えた。その明かりを追いながら、薄暗がりの夕暮れにも関わらず、二人は荒野を進んだ。豊かとは言い難い、耕されたり耕されていなかったりする田畑の間を縫い、土手を越え、明かりを目指して歩いていく。そしてふと、鉄は違和感を覚えた。
最初は、海辺の城市というから、低地にあるのだと思った。だから灯台の明かりが煌々と遠くまで見えるのだと。しかし、歩けど歩けど消える気配のないまばらな明かりにふと気づいたのだ。この城市には
「ずいぶんと、無防備なまちだな……」
故郷が焼かれた身としては、苦い思いがこみ上げる。金路城市もまた交易のまちで、城牆はあっても門はずうっと開かれたままだった。そしてそれが梟族の内通者の侵入を許した。また、長らく荒野と天嶮という天然の要塞に守られてきたからこそ、さらなる荒野からやってきた騎馬の一軍による襲撃に備えられていなかったのだ。長らく自分たちのまえに立ちふさがり、守ってくれていた門が無惨に破られた瞬間んの轟音も、その跡形もない痕跡も、鉄の脳裏にはまだ残っている。
「無防備というには物々しいがな」
声を潜めながら、佐多明が城市の北面を見るように目線で示す。薄明に照らされた野原に、ひと際白い天幕の群れが見えた。そして簡易の柵に囲まれた無数の馬も。それは数千、否、数万を擁する梟族の軍隊だ。はるか遠くとは言え、羽を休める敵の住まいだと認識した瞬間、息が止まった心地すらした。
「大丈夫、あそこに入り込みさえしなければ無体はしない。城市の中だって、警邏に回る連中はおとなしいものさ。それに彼奴らは街中に慣れていない。いくら大人数だからって、无仙城市のような大都市をそうそう好き勝手はできてはいないよ」
佐多明は鉄の不安を先回りしたようい言う。彼は不思議と堂々とした足取りで、街路の脇に天幕を張る行商の一行に近づいていく。すでに彼らは朝支度を始めていて、
「おうい、貴方がた、少し話をいいだろうか」
佐多明は慣れたふうに行商人たちの一行に話しかけていく。荷車が二台に、それを引く驢馬。なかなか大きい隊商だ。鉄は少し離れたところから佐多明が隊商の長らしき人物となにやら交渉をまとめているらしいのを見ていた。話は順調にまとまったらしくすぐに佐多明は踵を返して鉄のもとへ戻ってきた。
「彼らと一緒に城市に入る。通行証を持っている行商隊だ。彼らの一行のふりをさせてもらえれば門衛の検分もない」
「城牆はないのに門はあるのか?」
「ああ。この路をまっすぐ行けば門だ。無血開城したとはいえ、征服してまだ日が浅い。どこぞの誰とも知れないが、報復しようと思う人間たちへの牽制をしているんだよ」
日が昇り、二人が行商隊に混じって大路を行けば、やがてわきに小さな櫓を立てただけの検分所があった。物々しく刀を佩き、弓を担いだ鎧の男たちが立ち往生して道行く人々を検めている。とはいえ二人が混じった行商隊は佐多明が目論んだ通り通行証を持っていて、隊長が門衛にそれを見せればあっさりと一行は城市の中に通された。
門の外と中では、やはり地続きになっているようで空気が違った。外はあぶれもので、いうなれば貧民窟と言ってもいい。城市の内側の活気は、数か月前に外夷に征服され、城市の主が斬首された場所とは到底思えない。
大路の人ごみに紛れ、いくらか角を曲がった頃、佐多明と鉄は行商隊を離れた。佐多明が別れ際に隊長に包みを渡していたのを見ていると、佐多明は気にすることはないと言いたさげに鉄の肩を叩いた。
「梟族がくるずっと前から、行商隊にとっては小遣い稼ぎみたいなものさ。梟族も、その前の市長も気づいていないわけではないよ。金を払えば中に入って、それから先は家を探すも仕事を探すも好きにしろってことだ」
「別に珍しいことじゃないってわけね」
「そう。あの行商隊は特に慣れていたからね、相場も決まっていたからすぐ話はまとまったよ」
大路の脇で立ち止まっていると、「腹が減っただろう」と近くの屋台で佐多明は
「鉄は无仙城市で知古と落ち合う約束と言っていたが、あてはあるのか?」
「ああ……
鉄が言うと、沈黙が流れるだけで返事がない。どちらかというとかしましい佐多明が珍しいと目線をやると、彼は大きな瞳を丸くして鉄を凝視していた。
「鉄、貴方は本気でそれを言っているのか?」
「本気も何も、それしかない」
「无仙城市にどれだけの馬養がいるか知っているか? それに、无仙城市は碧峰城市にも並ぶ大港湾だ。一日に出ていく船も入る船も数限りない。その中から、たった一隻の船を見つけ出すなんて、至難の業――いや、正直できっこないと、俺は思う」
「え?」
「いつ誰がそんな計画を立てたのかは知らないが、無茶が過ぎる。それに立夏まではあと七日か?」佐多明は指を降りながら、空中の何かを睨むように目を眇める。「その間に人口が五万とも十万とも言われる无仙城市の中から仲間か、あるいは彼らが手配した船を探し出すなんて――馬鹿なのか?」
「馬鹿で悪かったな」
思わず、憮然とした声が出た。大きな目が、昼間の陽光を映しこんでいる。
「もしかして、貴方なのか? この計画を立てたのは」
「そうだ」
「……貴方が、馬鹿なんだな」
「そうだよ!」
さも真剣な表情で言われるから、思わず大声で叫んでしまう。むかっ腹もたって、鉄は佐多明に背を向けた。
「待て待て、すまない、貴方は
「うるさい、俺が馬鹿だったのは事実だ。田舎のへき地でずうっと暮らしていたからこうなったんだ」
何を言っても当てこすりのようだし、現に鉄の心は投げやりだった。行く当てもないくせにこの場から逃れようとして、その肩に佐多明の無骨な手がかかる。
「悪い、俺も言いすぎた。ずいぶんこの城市に長居はしているが、
「そういうのはいい」
「なあ、機嫌を直してくれないか。思ったことをついつい言ってしまうのは俺の悪いところなんだ」
佐多明が引く手が強いから、鉄は引き寄せられるように振り返る。困ったように眉を下げているようで、やはりおかしそうに目元を笑ませている佐多明の顔に、苛ついたといえば苛ついたし、同時に毒気も抜かれた。その黒い目にじっと見つめられて、鉄は息を吐く。
「お前と出会って、たった一日ではあるが」
「そうだな」
「お前のその口と行動には遠慮がないし、とんでもないというのは身に染みてわかってきた」
「それは褒めてくれているのだろうか」
「半々だな。正気かと思う面もあるが、……助けられているのも事実だから」
佐多明は、確かにとんでもない行動をするし言う男だが、それは単なる遠慮のなさや思慮の発露に過ぎない。蛭と一緒に樽にぶち込まれたのも、小川で芋虫を餌に一緒に鮎を釣ったのも、自分の立てた算段を馬鹿とののしられたのも、全部理由あってのことで、佐多明の言動が理不尽で的外れだったことはない。
佐多明は不敵に笑いながらも、試すように鉄をねめつける。
「釈然としないな」
「感謝している。けどもう少し事情や背景をしゃべって……というより、俺のことも考えていろいろしてくれると、助かる」
「わかったよ、善処する」
言ってしまって、答えられてから、自分はもう少しこの男と一緒に行動をともにするつもりなのだと――そうしたいのだと思っていることに気づいた。そんな自分の気持ちを苦く思う目の前で、黒衣の男は破顔する。
「乗り掛かった舟だし、俺は貴方が気に入ったんだ。とりあえず、俺が居候している宿に来るか? 今日の寝床ぐらいは用意してやれるよ」
金の路をまもる者 さまよう迷湖 @merry11pp
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