一章  旅は道連れ(三)

 玄森げんしん城市の出身だ。

 佐多明さだあきの言葉に、くろがねの心臓は止まった。息も止まった。死んだはずの銅琳公がニコニコと満面の笑みを見せながらてくてくと齧歯類を思わせる仕草で鉄の前に現れて、「やあ久しぶりだね」と声をかけられたって、なんならその首を持ち上げて笑えない冗談を呵々と笑っていたって、こんな心地にはならないだろう。

 金路きんろと並ぶ六神城ろくしんじょう、天地を支える六つ鉾むつほこの一つに数えられる玄森の出身だと名乗る男の姿を、改めてまじまじと見る。着ているものも含めて、これという特徴のない、地味な男だった。黒髪に大きめの瞳。肌の色は白く、そばかすがちらちらと浮いているのはご愛嬌だ。人好きのする風体から繰り出される皮肉な物言いこそ胡散臭いが、黙っていれば文句のない好青年だ。ケチのつけようもなく、同時に特徴もない。

 ふと鉄は、大昔に銅琳公が口にしていた〝美人こそ間者だと疑え〟という言葉を思い出した。誰にとっても好ましく見える美男美女は、それこそ誰の記憶にも残りにくい。ああ、あの美人ね、と存在を思い出すことはできても、一向に人相書きが出来上がらないのだ。人と接しておきながら、その記憶に残らない。ずいぶんと都合のいい話だと思った。

 だから、佐多明に対して芽生えた警戒心を過剰だと言うことはできないんじゃないだろうか。今まさに、俺は人に追われているわけだし。鉄は誰にともなくその命の恩人をいぶかる気持ちを言い訳する。鉄は人を疑うのをためらうことができるくらいには、恵まれた生まれ育ちをしているのだ。

「玄森といえば、北の。ずいぶん遠くから来たんだな」

「まあこんなご時世だからな」

 佐多明は唇を曲げて笑った。おお、いい笑顔だ。記憶の人相書きにそっと一枚加える。

「貴方はどこから来たんだ、鉄」

「俺はね、金路――より一つ手前の、烏苑うえんから来たんだ」

 少し悩んで、嘘をついた。佐多明への好意と恩義よりも、警戒心が勝った。烏苑は金路から街道をまっすぐ東に進んだ隣のむらだった。事実ではないが、知らない場所ではない。

 佐多明は鉄の言葉を疑う様子もなく、「それは大変だったな」という。

「金路の話は聞いているが、烏苑も似たような様子なのか?」

「金路よりはマシさ。とは言っても、小さな邑だし、何もないに等しい。すぐにやつらに降参したから」鉄は旅の始まりに見た光景を思い出しながら、言葉を選ぶ。「俺はちょっと……その、ヘマをして」

「ヘマをして、追われてるのか?」

「そうだな、あんまり聞いてくれるなよ。お前のためだ」

 嘘にはほんの少しの真実を混ぜること。追われたくない理由を言いたくないという、真実。

「わかったよ、こんなご時世だからな」

「ああ、こんなご時世だから」

 佐多明のおどけた言葉を鉄が復唱する。佐多明はひどく穏やかな目で鉄を見た。

「おそらく、俺も似たような境遇だよ」

「なるほど」

「そういうものは、匂いでわかるのかもしれないね。俺が貴方をかくまったのはとっさのことだった。同類だと、天が教えてくれたのかもしれない」

「それはありがたい天の采配だ」これは、まごうことない鉄の本心だ。「佐多明も、无仙むせん城市に行くのか」

 言ってから、〝お前も〟と言ってしまったのに気づく。これでは鉄もその城市に行くのだと宣言したようなものだ。

「そうだ。鉄、貴方も?」

「……ああ」


 ――次の立夏の日、无仙城市の港で会おう――


 中つ原なかつはらで「城市」と呼ばれる都は七つある。北の玄森、西の金路、四方を関に囲われた原中の朱天しゅてん、東の航路の入り口である碧峰へきほう、南の天嶮を前にした葡萄山えびざん、そして六つ鉾に支えられた王が座す銀京ぎんきょう。この六つの城市は天地開闢の神話の時代から中原ちゅうげんの要所として栄えてきた。そしてここ十年ほどで急激に栄え、六つの城市に並ぶ都としてうたわれるようになったのが、もう一つの東の果てである无仙城市。名の通り、神仙たる獣を持たない都だ。

 鉄は宝樹ほうじゅり、黄果おうかから孵った果人かじんだ。神話時代の果人たちのように仙術が使えるわけではないが、中つ原に生きる現実の人間のうちでは、十分に神仙の側の存在である。今、彼を追っているのは神を持たない民だ。彼ら梟族は、玄森城市より北、金路城市よりももっと西より騎馬を駆ってやってきた。梟族の侵攻と、无仙城市の興隆に因果はない。しかし、どこか時代の流れを感じずにはいられない。宝樹に生る果人がことごとく仙術を使えなくなった一方で、神なき民、神なき都が栄えていく。

 无仙城市には伝手があった。神なき都は金路から伸びる街道の行きつく果てだ。金路で生まれ育った果人の一人、雲藍うんらんの養い親が商いのために无仙城市に移り住んでいた。その縁に縋るように、无仙に向かい、そして銀京へ。果人の王が座す銀京へ行けば、追手は追いつけないだろうという算段だった。少なくとも、向こう数年は。

「そこで知古と落ち合う約束をしている。佐多明は何ゆえ无仙城市へ?」

「俺の今の拠点は无仙だ。つまり潜伏だな。案外、足元は見ないものさ」

「佐多明も梟族から逃げているのか?」

「その通り。彼らは六神城出身の者を悉く亡き者にしようとしているのかもしれない。神をも畏れぬ神殺しの野蛮人――などと少し前は噂されていたが、玄森城市が落とされてからもう一年だ。それでも彼らの勢いは衰えない。朱天、銀京へ進むのも時間の問題だろうという下馬評だよ。少なくとも无仙では」

 鉄は意図せず頬が引き攣るのを感じ、つい言ってしまう。

「忌々しいな」

「ふは、すごい顔をしている」佐多明はけらけらと笑った。「俺も同感だが」

 並んで小川のほとりの岩に腰を下ろす。初夏の陽光は暖かくて気持ちいい。遠くに街の小山のような姿が見えるが、あたりはのどかな田園風景だ。一年前に梟族が攻めてきたとき、今は亡きこのあたりの領主に徴兵されて農村は人手不足なのだと聞いていたが、そんな厳しい実情はよそ者にはうかがえない。そんな景色だった。

「急いでいなければ、今日は近くで野宿、明日の昼間に大きな行商人と一緒に入るのが一番安全だ」

「うん、それでいい。任せるよ」

 佐多明の提案に一も二もなく同意する。立夏はまでは残り八日。一日も惜しいが、何より梟族に見つかってしまうわけにはいかない。そうすれば、鉄のここまでの道行もおじゃんになってしまう。むしろ、无仙城市に入ったとバレるのはなるべく遅いほうがよかった。たとえ中で仲間を探す時間が短くなったとしても、だ。

 ふと隣を見ると、佐多明が何やら荷物から取り出して手元でいじくっていた。怪訝に思って覗き込むと、どうやら糸と針と……

「……それは、虫か?」

「そうだ」

 あっさりと肯定されてしまったが、確かに鉄が尋ねる間でもなく佐多明の手の中では、針に胴体を貫かれた虫がうねうねと体をよじらせていた。あまりの光景におぞけで動けないでいると、佐多明は手早くもうひとつ同じものを作って、鉄に押し付けた。咄嗟に身を引きながらも受け取ってしまった。

「俺の?」

「当たり前だ。魚釣りだよ」

「え?」

「したことないのか? このあたりは鮎が美味いんだ。腹ごしらえをしなければ、できるものもできないよ」

 そういって佐多明は自分の針を川に投げ込む。ためらって、括られた針の少し上の糸をしっかりつまんで、身をよじり声なき断末魔をあげる芋虫をなるべく見ないようにしながら、鉄は思いっきり釣り糸を川へ向かって投げ込んだ。

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