第6話 エピローグ

駅のホームは、広々としていた。

電車を待っている人間が袈裟丸だけだったのが、理由の一つでもある。

電車はまだ来ない。

見上げた電光掲示板にはあと十分で到着する、という表示が赤い点の集合体を使って告げられていた。

よくある田舎の駅の雰囲気は無く、整備が整った駅舎なのに、というのが袈裟丸の第一印象だった。

たまたまなのかもしれないが、周りを気にすることもなく、だらしない格好で電車を待つことができる。

まだ茫然としていた。

自分の中で消化できるまでまだ時間がかかるだろう。

居石はまだホームにいなかった。

駅構内に売店で買い物がある、と言って併設されているコンビニに入っていったので、袈裟丸だけでホームに出た形になる。

目前には線路が左右に伸びている。

ゆっくりとした動作で左右の線路の先を確認する。

ただただ線路が伸びているだけで特筆すべきものは見当たらなかった。

視線を目前の線路の先に向ける。

様々なグラデーションの緑が目に飛び込んできた。

リラックスするには最適な場所かもしれない。

余計な構造物がなかったことがその理由である。

その緑をしっかりと目に映す。

頭には金村長策の姿が、直接会ったわけでもないが、思い出された。

金村という土木技術者の矜持、技術者としての考え方。

袈裟丸は整理しようとしても、頭の中の引き出しのどこに収めればよいのか判断ができない。だらしない大学生のように引き出しの前に積み上げられたままだった。

今までもこんなことはあったが、それとは別次元のようにも思える。

理解できないわけではない、ということがないのがその気持ちに拍車をかけている。

塗師が説明したことが信じられないということなのだろう。

袈裟丸は座り直し、口元で手を組み、視線をじっと遠くに見える緑を見つめなおした。

『土木技術者は自然と人間との懸け橋になるべきだ』

塗師の言葉が自分にどう響いたのだろうか。

「懐かしいもん、見つけたぜ」

ビニール袋を揺らす音をさせながら、居石がホームに入ってきた。

ホームに響くその声量で、袈裟丸は座っているベンチの硬さを思い出した。

「なんか買い込んでるな」

「やっぱさ、田舎だからなのかな、懐かしいお菓子とかがいっぱいあんだよ」

嬉しそうに笑顔で話すアロハ姿の男は、ただただ浮かれた声で袈裟丸のとなりに腰を掛ける。

「死んだ顔してたぞ。試作機のことか?小林さんにお願いしてきたんじゃねぇのか?」

袋を漁りながら居石は言った。

塗師と別れた二人は工事事務所まで戻り、小林に試作機の設置をお願いしてきた。小林は憔悴していたが、快く引き受けてくれた。

その小林の車で駅まで送ってもらったのだ。

車内で、これから警察から話があるのだと聞いた。

恐らく巽がこの事件に幕を下ろすのだろう。

居石が指摘した条件から、あの人しかいない。

事件に関して、これからどうなるのかは袈裟丸の知るところではない。

警察が捜査し、犯人が捕まる。

ただそれだけのことで、警察が自分たちの仕事をした、というだけである。

「失礼だな。物思いに耽ってたんだよ」

「若けぇなぁ。青春だなぁ。思春期だなぁ」

「最後のだけは絶対に違う」

ほい、と居石は袈裟丸の目前に腕を伸ばしてきた。

思わず仰け反って、居石の腕に焦点を合わせる。その手には何か握られていた。

受け取ると指先がひんやりとする。

それはチューブに入ったアイスだった。

「やるよ。一番懐かしかったやつ」

居石はもう半分のチューブを口に入れていた。

袈裟丸も記憶の中にあったアイスだ。一本のチューブの半分ほどの長さのところで二つに分けることができるアイスで中身がシャーベット状になっているアイスだった。

「懐かし。サンキュ」

素直に受け取り口に運ぶ。

シャリシャリとしたアイスが口の中に広がる。

不思議と頭がすっきりしてきた。

居石に目を向けると、アイスの袋を抱えている。

「お前さ、買いすぎじゃないか?」

その袋にはチューブ型のアイスが十本は入っているだろう。

「このタイプって一本単位で売ってんのか?」

売っていることもあるだろうが、記憶が定かではない。

「だからって、そんなに食えるのか?もう電車来るし」

「別に電車の中で食べればいいし、溶けたらジュースとして飲めんだろ」

居石の言い分には一理ある。

「耕平も食べて帰るか?」

「いや、これで十分懐かしさに浸れるからいいよ」

そっか、と笑っていつの間にか食べ終わっていた半分をアイスの袋へと入れる。

「あー疲れたな。ここに来るのお前だけだったら、しんどかっただろうな」

「結果として塗師さんがいたから大丈夫だっただろうけどな。でもその点は感謝だよ。要がいたおかげだな」

居石は満足したように笑顔になると二本目のアイスを割った。

「まだ、親父さん…まあこの業界に対する気持ちもか。それは変わんねぇのか?」

袈裟丸はすぐに答えることはできなかった。

居石はそれを察しているのか、言ったことをもう忘れているのか、袋から別の菓子を取り出して口に運んでいる。

「変わらないかな」

十分に時間をかけて発した答えは、本心だったと思う。

「伝説の土木技術者の生きざまに触れてもか?」

普段の居石からは聞けないフレーズだったので、袈裟丸は苦笑した。

「金村さんの考えていたことは…俺には理解できない」

「そりゃ俺もわかんないよ。事実は、まぁ見たまんまだからいいとしてもよ…うーん、金村さんが何考えていたかなんて、本人しかわかんねぇだろ」

同じことを二回言っている気がするが、指摘する気力もない。

「うん、そうだな」

「ちょっとぶっ飛んでるってことくらいはわかるし、理解できることはねぇけどよ」

ホームのアナウンスがまもなく電車が到着することを告げる。

「その意志くらいは…今の俺らでも受け取っていいんじゃねぇかな」

自分の荷物とお菓子の袋を大事そうに手に持ち、アイスを口にくわえたまま居石は立ち上がる。

同時に電車がホームに滑り込んできた。

「要、アイス、もう一本貰ってもいいか?」

振り向いた居石は、笑顔で応え、開いた両開きのドアに吸い込まれていった。

そういえば居石は、こういうやつだった。



<完>

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