10-2
朝が来るのを待ってあの蝉の抜け殻を見に出る。光の下で確認するまでもなく、抜け殻はそこにはなかった。代わりにその場所よりも高い位置に別の抜け殻がしがみついていた。僕はそれを取り、あの蝉の場所に据える、途端に剽窃への憤りに似た黒いものが湧き出て、はたき落とした。抜け殻はウロでしかないのに。
蝉の声が聞こえる。今落とした蝉だろうか、それともあの幼虫なのだろうか、僕には分けられない。
僕はまだどの成虫になるか望みを決められない。僕は何も望んでいない。このままでは永遠の幼虫になる、違うんだ、幼虫でいたい訳じゃないんだ、僕は、僕は、幼虫でなんていたくない。……抜け殻の残像をいくら睨んでも答えはくれない、首を振って振り返る。
久美子さん。
蝉と抜け殻を置いて、僕は彼女の部屋に向かう。
電車の中でも街の中でも、一人前の顔をして歩いている誰もが本当に成虫なのか、それとも僕と同じ幼虫なのかを測りながら進む。きっとみんな成虫なのだ。だからあんなに堂々と顔を晒せる。気が付けば、僕は僅かに自分の顔を隠していた。――出ているのは半人前の方、隠れた、至らない方の半分が蓄積し煮詰まって、衝動、半人前ではいたくない、に結晶する、しかしそれが僕を成虫にはしない、だからまた隠す。隠したまま彼女の部屋の前に立ち、呼び鈴を鳴らす。
「どうしたの? 処刑を待つみたいな顔して」
僕は咄嗟に顔を手で隠す。
「そんなに」
「別人だよ」
彼女の眼差しは僕の、手の隙間から見える目にじっと注がれる、その熱が僕を内側から溶かす、植物の皮が時を帯びると自然と剥がれ落ちるように、僕の掌の隠蔽ははらりと外れ、その下の顔も姿を顕す。剥き出された僕は生の声しか発せないから、ぐっと腹に力を入れる。
「僕は幼虫で半人前だから、大きな顔が出来ない」
とりあえず入りなよ、とちゃぶ台の横に座らせられる。文鎮は僕達をちょうど等間隔に分ける位置に鎮座している。
「急に半人前って。何かあったの?」
「何者でもない僕は半人前です。それをやめたくて。でも、何になりたいのか分からない」
彼女は、なるほど、と頷いて、そうだね、と考える。
「私はそれが全てとは思わないけど、何者かになりたいのなら、探すしかないんじゃない?」
「探す?」
「口開けて待ってたって、降っては来ないでしょ、その答え」
それは、僕がそうしていると言う指摘だ、顔が一気に赤くなる。僕はみっともないことを相談しているのかも知れない。急に彼女の目を見られなくなって、顔を逸らす。でも彼女の言う通りだ。まだ半日のことだけど、僕は天啓が降りて来るのを待っていた。みんなそうやって望みを知って、選ぶのだと思っていた。
「探すって、どうやってですか?」
「私は私の答えを持っているけど、まずは自分で考えて、色々やってみなよ。その後に私のを聞いても遅くはないよ」
ね、と彼女はウインクをする。僕はそのウインクに打ち倒されたかのように仰向けに寝転ぶ。
「色々探す」
「悪くないでしょ?」
僕の中に充溢したものが行き場を与えられたように整然とする。僕は蝉の幼虫とは違う、時が来たら自然と成長する訳じゃない、どうなるかは自分で決める、そのためには探さなくてはならない。
「決めました。そうします」
彼女も横になる。僕は手を伸ばさない。この前とは違う理由が、僕達が手を繋ぐことを時期尚早と断じている。いつか、それが出来るようになりたい。
「千太、今日は何する?」
「早速、探したいです」
「いいね、そうしよう」
彼女は女神のように微笑む。僕によく似たツチノコの文鎮の視線の下で、僕達は真剣になったり笑ったりしながら僕の望みを探す。彼女は「きっと見付かる」と言う、僕はその根拠が何であるかを抜きにして、信じようと決めた。それは彼女の弁ではなく彼女自身を信じることで、同時に僕が何者であるかの最初のピース。
(了)
終齢 真花 @kawapsyc
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