えー、中学ではBSS部に所属し、脳を破壊されまくっていました

しのびかに黒髪の子の泣く音きこゆる

えー長田裕樹と言います。えー何言えばいいんだろ、部活とかか……。




「えー、中学ではBSS部に所属し、脳を破壊されまくっていました。高校も続けようと思います。三年間、よろしくお願いします」



 アハハ。

 まばらな笑い声。俺と同じ中学だった奴らか、冗談じょうだんだと思った奴ら。

 後はみんなどうでも良さそうに聞き流す。

 一人を除いて。


 入学式の後、少し空気の緩んだ教室で、だけがじっと俺を見ていた。

 彼女は大きな丸眼鏡まるめがねの奥、切れ長の眼を怪訝けげんそうに細め、俺が教壇きょうだんから自席に戻るとすぐにスマホを取り出しいじり出す。


 自己紹介は続き、次々と同級生が前に出て名乗っていくが、彼女は一顧いっこだにしない。スマホの画面に釘付くぎづけで、どんどん眉間みけんしわを寄せていく。

 大丈夫か、と思ったが、やはり彼女は自分の番が来ても気付かなかった。 


「次の人?」


「うぇっ!?」


 担任にうながされ、泡食った彼女は立ち上がり、あろうことかその場でしゃべり始める。





「せ、せせせ、関谷せきやぶ、ぶぴっぷ!」





 ピキ、と時間が停止ていし


 みんなが身動みじろぎ一つしない中、彼女は座り、小柄こがらな身体をうつむいて更にちぢめた。


「……次の人」


 しばらくの沈黙ちんもくの後、担任がそう言って自己紹介は再開。

 彼女は最後まで耳を真っ赤にし、小刻こきざみに震えていた。







「ねえ、BSS部って何?」


 それから二か月後。

 放課後の教室、教科書をリュックに納めていると、誰かが声を掛けてきた。顔を上げると、一人の女子が俺の机の前で腕組うでぐみして立っている。


 つやのある黒髪を二本のみ、こんのブレザーにらしていた。細いかたと首の上に丸っこい頭が乗って、童顔どうがんに丸眼鏡が感情かんじょう的にも抑制よくせい的にも思える繊細せんさいなバランス。


「あ、ぶぴっぷ」


「違う。トンボ」


「え?」


 戸惑とまどう俺に、彼女はいきを吐いて生徒手帳をかかげる。氏名しめいらんには、『関谷 蜻蛉』と印字いんじされていた。


「すごい名前」


「ぶぴっぷに比べればマシ」


 それから、彼女はしみじみと語り出す。


「今でも夢に見る。もつれる舌、飛び出たバ行とパ行……。あの後逃げ帰って、クラスには今でも馴染なじめてない、部活も入りそこねたし。それもこれも全部BSS部のせい。ESS部ならわかるよ、英会話するやつ。でもBSS部って何!? 脳を破壊って何!? 気になってスマホ出した私も悪かったけど、意味不明な部活に所属してたそっちにもちょっとは責任せきにんあるんじゃない!? 変な人かもって聞くの我慢がまんしてたけど、今日トイレで隣のクラスの子から『ぶぴんちゅ』ってばれてるの聞いてもう限界げんかいなの! 怒ってないよ? でもせめて教えて、BSS部って何!?」


 トンボの話は長くてわかりにくく、明らかに怒っていたが、要点はわかった。


「つまり、入部希望者だな?」


「は!?」








 僕がB 先にS 好きだったのにS

 好きな人が手をこまねいている内に他人と付き合ってしまうシチュエーション。




「わあ、関谷さんて言うの? 長田ながた君、こんな可愛いお友達がいたんだ!」


 長机の向こうから、相川あいかわ先輩の鳶色とびいろの瞳が今日もキラキラと俺をうつし、心がはずんだ。


「いいいいえ、おおお友達では!!」


「なら彼女カノジョ?」


「ちが! ちが違います!!」


 図書室で誰よりもデカい声を出すトンボに、奇異きいの眼が集まる。

 先輩はクスクス笑って手を合わせた。


「ゴメン、冗談ね。じゃあ、やろうか」


 俺達が囲む机上きじょうには教科書やノートが広げられている。


「よろしくお願いします。それじゃ」


 俺は、今日出た数Ⅰの問題について疑問ぎもんてん列挙れっきょし、先輩が解説かいせつし始めた。


 トンボは俺の隣でしばらく無言むごんでノートを取っていたが、その内俺のそでを引っ張ってきた。


「ねえ、この人の先輩?」


「ううん。私も彼も帰宅部きたくぶ。聞いてないの?」


 先輩が小声の質問しつもん耳聡みみざとく聞きつけ、首をかしげる。


「とと、突如とつじょ教室から、らら拉致らちされました!」


 仕方しかたない、説明するか。


「数学が苦手だからいつもここで先輩に教えてもらってるんだ。先輩、こいつ、友達がいなくて。休んでもノート貸してくれる相手がいないんです」


「なっなぜ知っている!」


可哀想かわいそうなんで先輩にお願いしようかと」


「まあ大変! 関谷さん、私ね、大学行ったら家庭教師のバイトがやりたいの。だからその練習に是非ぜひ教えさせて!」


 先輩がガッとトンボの手を握ると、彼女はもう生徒になるしかない。


「は、はははい!」







「いい人だったろ、綺麗きれいだし」


 図書室が閉じて、チャリ通の先輩を見送ると俺達も帰路きろいた。


「そうだけど、結局BSS部って」


「彼女には今から一か月後、彼氏カレシができる。でも、それは俺じゃない」


 夕陽ゆうひびてギラギラ光るトンボの眼鏡から不審ふしん視線しせん


「もう好きな人がいるってこと?」


「いや。でもわかるんだ」


「たかが二か月の付き合いで何がわかるの?」


「相川あゆみ、二年五組、こないだの中間は学年十四位。部活は本当はバレーがよかったが経済的な理由で断念だんねん。仲の良い友達は四人、その内幼馴染おさななじみは一人。家族は両親と弟三人、家は平屋ひらやの3LDK、世帯せたい年収ねんしゅうは……キモいか?」


きょうキモ。調べたの?」


 肩を抱いて嫌悪感けんおかんしめ姿すがたがおかしくてき出した。


「はは。で、端的たんてきに言って家に金が無いから大学は国立、それも仕送しおくり無しって条件じょうけん。練習ってのはそういうこと。その割には、あんなにふんわりして育ちが良さそうな顔してんだから人間てわからんよな」


「見た目や偏見へんけんで人をあれこれ言うのは、きらい」


 トンボが怒るでなく、悲しそうに顔をゆがめたので、一早いちはや失言しつげんをしたことに気付く。


「えー……悪かった」


「私じゃなくて先輩に謝れよ」


 俺は足を止め、先輩のいそうな方向に土下座どげざした。


「すいませんでした!!!!」


 顔を上げるとトンボは律儀りちぎそばにいる。


「長田君、先輩のこと、好きなの?」


「ああ」


「なら、一か月後がどうとかバカ言ってないでデートにさそうとかしなよ」


 バカな提案ていあんを聞き流しながら俺は立ち、歩き出す。


「それじゃBSSにならねーだろ」


「え?」


「ま、見てろって」







「おーい歩」



 翌日。

 俺達の勉強会に一人の男がやってきた。


剛己こうき


 先輩のしたな呼びごえ内臓ないぞうがキュッとすぼまる感覚かんかく


ひまか?」


「えーと」


 先輩は俺達をチラリと見た。


「実はさあ、今年もすけを頼みたいんだ」


「あのね……私、最近この子達に勉強を教えてて」


 そう言われて、男は顔をほころばせる。


「えっ、君ら一年!? 天文てんもん興味きょうみない? 丁度ちょうどいいや、もうすぐ諏高よりこうさいだろ? その展示てんじ人手ひとでが欲しくてね、まあ見学もねて来てみてよ!」


 せんほそ風体ふうてい似合にあわず押しが強く、俺達は言われるまま地学ちがくしつ連行れんこうされた。そして、なしくずしに文化祭ぶんかさい展示を手伝うことになる。




「ゴメンね、剛己は昔っから強引ごういんでさ」


 そう語る先輩の顔は満更まんざらでもなく、俺は焦燥しょうそうかんに駆られながらもハハと笑い返した。




 作業さぎょうは調べ物と天体てんたい観測かんそくの繰り返し。

 先輩はあの男と阿吽あうん呼吸こきゅうでこなしていく。


 俺は誰にでもキョドるトンボの通訳つうやくがかりをしながら雑用ざつようするだけ。

 机一つ分だったはずの先輩との距離きょりが、遠い。




 契機けいきとなったのは期末きまつ考査こうさ

 部員達が集まる前の地学室、先輩とあの男二人きり。

 戸に手を掛けたトンボをそっと下がらせ、のぞく。


 順位じゅんいの振るわなかった先輩がふと見せた暗い表情ひょうじょう、あの男がそっと彼女の頭をでて、先輩がはにかんで、トンボがハッと息をむ音。







「大学行ったら同棲どうせいしよう、俺めっちゃバイトするから!」


「本当、強引なんだから……」


 大盛況だいせいきょうだった展示の片付けの後、校庭で全校生徒一同キャンプファイヤーを囲んでフォークダンス。さんざっぱら二人が手をつないではしゃぐのを見て夕暮ゆうぐれ、最後にながめながら、そんな会話を聞いて、俺は、俺は!


 その場に大の字になってたおれた。




「ちょっと! 大丈夫!?」


 トンボがさわぐのも気にせず、俺は頭の中一杯いっぱいにコンクリが流し込まれたような、苦しくて何も考えられない状態でやっとつぶやく。






至福しふく……!」


「ええーっ!?」







「よお、一昨日おとといは良いのう破壊はかいだったな。じゃ、次のBSSだけど」


「待て待て!」


 休日をはさんで翌朝の教室、トンボは目をいてえた。


「なんだよ」


「色々あるけど……相川先輩に彼氏ができるって何でわかったの!?」


「わかるんだ、俺。中二で初めてBSSした時にさ、辛くて、悲しくて、脳が破壊された時、脳の中のBSSひらかれて……次にBSSする相手がわかるようになった」


「無い無い無い! そんな!」


るからBSS部がある」


「無い野で無い部活するな!」


「でもよ、中学では七回BSSしたんだ。もうそうなったら部活みたいなもんだろ?」


「わけわからん!!」


 と、頭を抱えて騒ぐトンボだったが、衆目しゅうもくを集めているのに気付くと一瞬で黙る。ここで説得せっとくだ。


「BSSはいいぞ関谷さん! このままじゃ駄目だとわかっているのに何もできないあの絶望ぜつぼう、イチャイチャする二人を見ている時のあの失望しつぼうあふれる脳内麻薬……こんなにはげしい気持ちは他の部活じゃ味わえない! しかもNTR寝取られと違って一人で勝手かって自己じこ完結かんけつするから、人間関係的にも誰も傷付かないし、コミュりょくヤバ目のお前でもできる!」


 彼女はしばらく黙っていたが、最後のころ文句もんくが効いて、やがて人目を気にしながら小声で聞いてくる。


「……で、次は誰なの?」




 こうして二人になったBSS部の日々が始まった!







「いいか、次の相手は男嫌いで有名だ。そこでお前がまず仲良くなり、その友達ということで俺も近付く」


「無理無理、そんなんできるならこんな部活入ってないから! ていうかBSSするだけなら別に近付く必要なくない?」


「はー素人しろうとが。頑張がんばれば付き合えそうな距離感じゃないと脳破壊されないだろ!」


「もしかして私今怒られてる……?」







「ひっ、ひっ、ねえ、はっ走り込みあるなんて聞いてな、ないんだけど!?」


「次は相手も彼氏になる男も陸上部。俺は秋のマラソン大会で奴に勝ったら告白しようと一人で勝手に盛り上がるも無論むろん惨敗ざんぱいなかむつまじく併走へいそうする二人からどんどん引き離される無様ぶざま……その為にはある程度体力が要るだろ?」


「りっ理解りかい不能ふのう……」







「寒い……。ねえ、もう真っ暗だよ、いつまでそうしてるの?」


「先に帰れ。もう少し脳破壊にひたっていたい」


ゆきってんだよバカ、食らえ!」


「うわっ! ……なんだ俺のコートか。悪いな、ありがとう」







「今日から二年だ! この意味がわかるか?」


後輩こうはいわく実装じっそうでしょ。年長者への敬意けいい好意こういかんちがい、ある日同級生への恋愛れんあい相談そうだんをされて初めて自分が対象たいしょうがいと知るマヌケ」


「そうだ、わかってきたじゃないか!」







「至福……!」


「はいはい、早く打ち上げ行こ」







「ホント傑作けっさく、見てよこの顔!」


 と、トンボが向かいの席からスマホにった俺の今回の脳破壊なき顔を見せつけてくる。彼女は俺のしかつらを見ると満足まんぞくそうにコーラを飲み干した。


 俺のグラスもから、この喫茶きっさてん冷房れいぼうの効きが弱くて、ついつい飲みたくなる。そういう商法しょうほうだろうか。


 おかわりを待つ間、トンボは暑そうにミント色のポロシャツのえりを弄る。そのシャツはBSS部のユニフォームだ。あいつが作りたいと言うから作ったが、お互い私服しふくが少ないのでよく着ている。俺も今着ている。


「そう言えば、今回は終業式からの約一か月で最速さいそくじゃない?」


 不意にトンボが聞いてくる。なぜかほこらしげだ。


「夏休みは元々難易なんいが低い、みんな浮かれてるから。それにBSSは速さをきそうものじゃない」


 軽くいましめると彼女はくちびるとがらせる。


「じゃあ何を競うの、回数?」


「違う、お前にもその内わかる」


「なら相手の外見がいけんが長田の好みかどうか?」


「だから違う、外見なんてどうでもいいんだよ」


「ふーん、そうなんだ」


 それでニヤリと笑顔になったかと思えば、すぐ溜め息を吐く。クラスではいつまでも人見知りで不愛想ぶあいそうの割に、コロコロ表情の変わる奴だ。


「あーあ、明日からまた学校か」


 三つ編みに指をわせながら、彼女はこう聞く。


「ね、次の相手は誰なの? 楽だといいんだけど」


 この質問は曖昧あいまいになる、その直後におかわりのコーラとコーヒーが来るから。







 翌日の放課後。


「あのー、関谷さん」


「うぇっ!?」


 今日もトテトテ俺の元にやってこようとするトンボが呼び留められる。


「な、な、なんですか?」


 トンボがおそおそる見たのは、同じクラスの池田いけだ

 サッカー部で肌が浅黒あさぐろくて少しひくい男子。


「関谷さん、体育委員でしょ? 来月の体育デーの顔合わせあるから来て欲しいんだけど」


「あ、あー」


 トンボは俺と池田を交互こうごに見ながらうめくばかりなので、たすぶねを出してやる。


「そっちのが優先ゆうせんだろ普通」


「う、うん」


「今日は休みで良いよ、俺は一人で帰るから」


 それで彼女はおずおずと池田についていき、その日はそれで解散かいさんとなる。



 次の日の放課後も、申し訳なさそうに俺の元にやってきたトンボは体育デーの準備じゅんびがあるからと言うので、部活は中止。俺は教室で勉強してから帰った。



 その次の日も同じ。

 日が暮れる頃勉強を終え、昇降しょうこうぐちに行くとトンボが立っていた。


「よ」


「待ってたのか?」


「まあね」


 帰り道、トンボはこの三日間の話をしてきた。


「委員全体でやる作業は今日で終わり、明日からは教室でクラスで調整ちょうせいだって」


「ふうん」


「池田君は結構けっこう良い人だよ。私がドモっても笑わないし、趣味しゅみも合うし」


「トンボって趣味とかあったの?」


「長田とはBSSの話しかしないでしょ。池田君はこっちの話しやすい話題わだいを出してくれるんだから」


「へえ、意外と豆な奴なんだな」



「――で、今度はなの?」



 歩みを止めた彼女は、まっすぐ俺の眼を覗き込もうとしている。

 俺はその視線を振り切り、遠く夕闇ゆうやみしず山脈さんみゃくを見ながら答える。


「うん、まあ、そうだけど」


 その後、トンボは急に首を下げた。しばらく腕組みしてむっつり黙っていたが、やがて顔を上げ眼鏡のズレを直す。


「……わかった」


 その日はそれ以上話さなかった。







インタビュー1:朝の教室にいた女子


 ……。

 えっ、ボク!?

 イヤごめんごめん。関谷さんと話したことないから、間違いかと思って。

 うわーそんな声してたんだ、関谷さん。ちょっとイメージと違う。

 え、そっちもボクっ娘とは思わなかった?

 はは、同級生なんてそんなもんだよね。


 長田君のこと? え、でも……いや、まあいいか。

 中学同じだったけど、あまり詳しくないなあ。ホラ、ボク女子だし。

 それならコイツの方が詳しいんじゃないかな、クラスも同じだったし。

 ねえ?



インタビュー2:朝の教室にいた男子


 ああ、知ってるけど。

 BSS部でしょ……君も、名前何だっけ、まあいいか。

 まあ中二に初めてフラれてからあんな調子。

 最初はくるったのかと思ったけど、なんかアイツが近付いた女子はみんな彼氏ができるもんだから最終的に恋愛の神様みたいな扱いになってたな。


 ……外れたこと?

 ……まあ、無いんじゃないかな。


 ……初めての相手?

 ……そういうのはちょっと……なあ?



インタビュー3:朝の教室にいた女占い師


 ちょ、ちょ、ちょ、待ってーな!

 キミ、暇ならうらなわれてくれん? 今ウチ占いブーム来てんのや。

 この水晶すいしょうだま見て? ネットで三万もしたんや、きっと百発百中やから!


 何知りたいん、いや言わんでもわかるで。


 恋やろ!!!!????

 ちょお待ってな、ウチが水晶玉からキミの未来を見通みとおしたるさかい!!!!


 むむむ……見える見える!

 おお!!! キミ、運命うんめいこいもう始まっとるで!!


 は、そうじゃなくて、同じクラスの長田のこと?




 ……そんなん、後ろの本人に聞いたらいいやん。



インタビュー4:朝の教室にいた長田


 何だよ、急に俺のこと聞いて回ったりして。

 別に。何でも話すけど。


 初めてのBSS?

 俺の幼馴染だ。保育ほいくえんから一緒いっしょで。

 男女なんて関係無くて、家の近いみんなでずっと遊んでたよ。


 ところが、彼女、背中せなかはねえてたんだ。

 小学生になるとその事でみんなから色々言われるようになった。

 それである日自分で羽を折っちゃってさ、こんなの無い方がいいって。


 俺は毎朝まいあさ彼女を迎えに行って、はげまして、羽が痛むときはさすってやった。

 段々だんだんまた笑うようになって、羽が治って、俺は喜んで、こんな感じで一生一緒にいるんだと思ってた。


 でも、中学に上がったら、同じ羽が生えてる奴と出会って、一緒に飛んでちゃったんだ。

 俺は最後まで何もできなかった。






「それは、比喩ひゆ?」


 あまり彼女が真剣しんけんな表情なので俺は笑ってしまう。


「どうかな。こんなの聞いてどうする?」







「私は」


 誰も来ない南校舎四階の空き教室で、俺の話を聞いた後、トンボは随分ずいぶん考え込んでから口を開いた。


「ずっと一人だと思ってた。みんなとの間にはかべがあって、それをえる方法は無いんだとずっと思ってた。でも長田とBSSに出会って、衝撃しょうげきを受けた」


 ふらふらと手を動かしながら、喋る。

 述懐じゅっかいのようで、告白こくはくのようだ。


「この一年はとても楽しかったよ。BSSによって、他人も自分も傷付けずにその人生に深く介入かいにゅうする方法を獲得かくとくできた、と思ってた。でもそれはとんだ大間違い」


「話に具体ぐたいせいがないな。どういうこと?」


 トンボの声が震えていることを俺はえて指摘してきしない。


「ねえ、今回のBSS、止めたり、無かったことにはできない?」


「できない。今までもそうだったろ」


「私もそう思う。ねえ、長田。今、私のこと、好き?」


「ああ、でも後――」


「――後二週間でそうじゃなくなる、でしょ?」


「……どういうことだ?」


 意を決したようにトンボは俺に背を向ける。


「啓かれたみたい、私のBSS野が」


「それは」


「昨日、今度は私の番かと聞いて、貴方がうなずいたとき……脳が破壊される感じがした」







 好意こういを持っているBSSを予言よげんできる男からBSSの対象たいしょう宣言せんげんされた瞬間、自分の恋は永劫えいごう成就じょうじゅしないことが確定かくていする。

 確かにこれもBSSだ。


 俺の心に後悔こうかい去来きょらいする。


 こうなることは初めからわかっていた。

 自己紹介をした日、トンボを見た時から。





「ちょ、ちょ、ちょ、キミ、今暇?」


 それから一週間後。

 放課後の教室で勉強している俺に女占い師が話しかけてくる。


 室内には女占い師の他先日インタビューを受けていた俺と同じ中学の男女。三人は友達らしくいつもじゃれ合っていた。

 後はトンボと池田。体育デーのかざりつけを作っている。


 次第しだいに仲を深めていく二人を見ているとどんどん暗い感情が満ちていった。

 トンボも池田と楽しく会話をしながら、時折ときおりうれいの表情を浮かべている。刻一刻こくいっこくと俺から気持ちが離れていくのを感じているのだろう。


 目の前で愛する相手がうばわれていく。

 しかし、俺達にできることは何もない。

 それがBSSなのだから。



「ちょ、無視むしせんといてや!」


 女占い師はしつこくからんでくる。

 俺の机の前に座り、水晶玉をかざしてきた。


「もう勝手にうらなったる! むむむ……見える、見えるで! 君は――」


 俺はエセ関西かんさいべん真似まねてその先を言う。


「――今、恋をしている、せやろ?」


「ん?」


 女占い師は少しひるむが、すぐに水晶越しに俺をにらかえす。


「……むむむ、しかしその結果は――」


「――残念ざんねんかなわずや」


「んん?」


 二度も当てられて流石さすがに彼女は水晶玉をろした。


「何でわかるんや?」


「わかるんだ、最初から」


「わかるのに、何もしないん?」


「しない。そうなるように決まってるんだ」


 女占い師は首をひねる。


「誰が決めたんや?」


「知らないけど、最初から決まってる。わかっていても最後まで何もできない――BSSの本質ほんしつは運命を受け入れることなんだ。鳥が生まれた時から羽の使い方を知ってるのと同じだ」


「変な人やね」


「変じゃない。BSSしたことないから知らないだけで、みんな本当はそうなんだ。俺が好きになる子はみんな、最後は背中の羽で俺の元から飛んでいってしまう……そうなるように決まってる。それが人生だ」


「……つまり、キミは」


 彼女はあきれ顔で何か言いかけたが止め、トンボ達の方へ去って行った。


「長田」


 代わりに話しかけてきたのは男子の方。

 大柄おおがら口下手くちべただが、昔から親切しんせつな奴だ。


「なんだよ」


「いや。あの子、悪い子じゃないんだけど、押しが強くて」


「別に。気にしてない」


「そうか……あの」


「どうした」


「いや、大丈夫かなって。何か辛そうだろ、今のお前」


 遠くからボクっ娘も俺のことをチラチラ気にしているのがわかる。


「平気だよ」


「ならいいんだけど。俺は、いつかお前がまた、みたいな……四階のまどからを追って飛び出すみたいなことをするんじゃないかって……」


「もうあんなことはしないよ、俺に羽はついてないんだから」


 俺は苦笑くしょうして、心配しんぱいしょうな彼を安心させる言葉を他にも色々り出した。

 その後は女占い師がトンボと池田を勝手に占っているのをながめる。



「おお!! 二人の相性あいしょうはバッチリやね。もう二人が付き合うのは不可避ふかひの運命や!」


「不可避……」


 トンボがポツリとつぶやくのがかすかに聞こえる……。







 一週間後。



 教室には見慣みなれた面子めんつ



 トンボと池田の仲は順調じゅんちょうに深まった。


「い、池田君! あ、あの、私……」



 今日は最後の日。



「シュッ! シュッ! クリンチ止めろや!」


 女占い師は廃業はいぎょうした。昨日突然とつぜん『時代はボクシングや!』と叫び、以来グローブをはめてボクっ娘とスパーリングしている。男子が審判しんぱんだ。


 ややさわがしいが、二人を邪魔じゃまする人間はいない。


 作業の休憩きゅうけいちゅう雑談ざつだんからふと『好きな人はいるか』という話題がまろる。


 それからはもう一直線いっちょくせん。机を突き合わせる二人はクイズを出し合うみたく互いの気持ちを確かめ合う。二人とも初々ういういしく顔をしゅに染めていった。

 ボクサー達もその様子に気付くと手を止め、食い入るように見守みまもる。


「わ、わ、私……わ、私……」


「いや、関谷、いいよ」


 いつまでも言い出せないトンボにれて、池田がその肩に手を置く。


 いよいよ、その時。

 今回は本当に辛かった。

 だが俺は平気だ、それが運命だからだ。

 これを乗り越え、俺はまた次のBSSを待つ。





「俺も、好きだからさ、関谷のこと。付き合わないか?」


「……うん、私も貴方のことが好き!」




 俺の脳に極大の破壊が訪れる――
















「そして、今好きじゃなくなりました。別れましょう」


「えっ!?」


 えっ!?




 誰もが目を丸くする中、トンボは椅子いすから立ち上がると首を振ってポキポキ鳴らした。

 それから、こちらを向いてビッと俺を指差ゆびさす。


「不可避の運命なんて、明日の時間じかんわりと変わらない! 嫌な授業は寝て過ごして、放課後遊んで忘れればいいだけ。長田はいつまでも最初の失恋しつれんきずり過ぎ! あーあ、散々さんざんなやんでそんした!!」


 思う存分ぞんぶん怒鳴どなると、彼女はおもむろに伸びをしてこの部屋から出ていった。


「あの空き教室で待ってるから」


 最後に俺にそう告げて。




 しばらく静まり返っていた室内だったが、やがてボクっ娘と男子が訳の分からない様子の池田を訳の分からないなりになぐさめ出す。


 俺はトンボの元に行かなければならないと思った。

 戸口に向かおうとすると、何となくボクサーと目が合う。


「これは占いやなくて、クラスメイトとしてのアドバイスやけど」


 彼女はちょっと口元に手を当てて、言葉を選ぶように喋った。


「――あの子はけっこううそきやから、気を付けるんやで」







 空き教室までの道のりは恐ろしく遠く感じられた。


 辿たどく頃には夜になってしまうかと思われる程だったが、戸を開けると窓からそそぐ夕陽で目がくらんだ。


 その光を受けて赤々とる机や床の中に、小さな彼女が立っている。

 俺を見ると、唇をえかにたわめて笑った。


「トンボ、俺から話していいか」


「何?」


「お前の気持ちは、わかる。でも、受け入れられる気がしない」


「どうして?」


「今、頭の中がメチャクチャだ。あの日以来信じてきたことが一瞬で壊れて、何の予感もしない。でも、俺はやっぱり運命に従うBSS以外の生き方がわからない。誰かに本当に好かれるなんて、信じられないんだ。お前の気持ちを疑いながら一緒にいる事は……したくないよ」


 彼女は笑みを崩さない。


「そうなんだ。今度は私の話をしていい?」


「うん……」


「実は、私、長田以外の人とも普通ふつうに喋れるんだ」


「え?」


 意味が分からなくて表情をうかがおうとする前にトンボはクルリと俺から背を向けてしまう。


「両目2.0だからこの眼鏡にも度は入ってないし、本当はトンボって名前も嘘」


「……何の為に?」


 フフッと、笑い声。

 彼女はブレザーに手を掛け、脱ぎ始めた。


 困惑こんわくする俺は放置ほうち

 何でもないようにシャツのボタンを外し、肌があらわになる。


「本当のことがバレない為に」


 生えていた。

 彼女の肩甲骨けんこうこつ辺りから、うすく長く広がる四枚のキチンしつが。


 それはとおって網目あみめじょうみゃくが走る蜻蛉カゲロウはね


 わずかに羽搏はばたいて、空中のほこり絢爛けんらんう。






「は、はは、マジかよ」


 俺は、それを見て吹き出してしまった。

 トンボも首だけこちらに向けてニヤニヤしている。

 ニヤニヤしたまま、彼女は口を開く。



「私、長田のこと、好きなんだ。ずっと一緒にいたいな」



 笑いを必死でみ殺す。


 なるほど、『あの子はけっこう嘘吐き』か……。

 俺は、最後は背中の翅で俺の元から飛んで行ってしまうかもしれない彼女に、なるべく真面目まじめな表情で返事をする。



「ああ、俺も前からずっと好きだった。俺と付き合ってくれ」



「いいや、それは違うよ」



 彼女が次に言う言葉は、何となくわかる気がした。






「私の方が先に好きだったんだから!」





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