X6 ヤンデレ女に愛されて夜も眠れない日々のこと
大学を卒業して3年が経った。
念願の教師にはなれたものの、教職というやつは俺の想像を超えてハードなもので、帰りは遅いし土曜出勤もしょっちゅうだ。
生徒は可愛いしやりがいはあるからなんとか続けられている、というのが実情である。
さて、本日は待ちに待った日曜日。今日こそはゆっくり過ごして日頃の疲れを取らないとな……
「みたいな感じのことを考えていたのでしょう。人生とはままならないものですね」
「他人事みたいに言ってるけど、休日をぶち壊しに来た張本人だからな。君は」
「なんと。では再びステルスモードに移行しましょうか」
「それはそれで落ち着かないからやめて」
午前8時。なんとなく嫌な視線を感じて部屋の外に出ると、案の定リーちゃんがドアの後ろに張り付いていた。(忍者みたいな隠れ方だ)
脱兎のごとく逃げ去ろうとした彼女を捕まえると「ナガさんの安否確認に参っただけです」と開き直りやがる。
追い返したところでまた現れるだろうし、朝飯を食わせてから帰してやることにした。
腹が膨れればすんなり帰ってくれることもあるのが彼女の愛らしい部分だ。
たまに全然帰らずひたすら後ろをついてくるのは本当に勘弁してほしいのだが。
比較的害のない彼女は部屋に侵入したイモリだと思って接するようにしている。
「時にナガさん、今年でおいくつになりましたか」
「25歳だよ。知ってるだろが」
「なるほど男盛りですね」
「言うほどそうか?」
「そろそろ彼女とか欲しいんじゃないですか」
「いらねえって言ってんだろ」
そう、大学時代から引き続いて俺には彼女がいない。我ながら寂しい男だと思うが、最近はもう彼女が欲しいという気持ちすら薄くなってきた。
性欲が無くなったとかそんなチャチな話じゃない。問題はもっと根深く、ほとんど人間不信に陥っている状態なのだ。
「彼女じゃなく妻ならどうですか。ヘトヘトで家に着いても、あたたかいご飯とお風呂が用意されている贅沢な環境ですよ」
「それはまあ……有り難い存在だろうけど」
「そこで一家に一台、令和最新版リーちゃんをですね」
「不良品じゃねえか。返品する」
「ナガさんは使ったことのない商品に低評価レビューをつけるタイプですか。ネット社会の敵ですね」
「見えてる地雷を踏むバカがいるか」
誤解されては困るので弁解しておくが、別に俺はリーちゃんのことは嫌いではない。むしろ友達として結構好きな方だ。
ただ、今の彼女を恋人や配偶者にするのはかなり抵抗がある、というだけの話で。
「そう言えばナガさん、昨晩は平均より3分ほどイビキが長かったですよ。お疲れのようでは?」
「やめろ。俺の健康を管理するな」
「割と真面目に心配はしています。それから、シャツもしばらくクリーニングに出していないでしょう。わたしが代わりに持っていきますよ」
「……嗅ぐつもりだろ」
「嗅いだ後にクリーニングに出すので清潔なままお返ししますよ」
「気持ち的に嫌なんだよ。わかんねえかなあ……」
こんな風に半分ストーカー、半分過保護な母親のような振る舞いを見せてくるリーちゃんなのでどうしても付き合うとかそういうイメージは湧かない。
かと言って、本人に悪気はなさそうなのであまり邪険にはできないのだが……
「あっ、ナガさんバナナももらっていいですか?」
「押しかけた人間の態度じゃないな」
「照れますね」
「誉めてないが!?」
リーちゃんを宥めすかしてなんとか帰らせると、もう昼近くになっていた。
今から料理する気も起きないし、牛丼屋にでも行くか。
外に出ようとドアノブに手をかけた瞬間、再び玄関チャイムが鳴った。
今度は誰だ? 警戒してドアスコープを覗くとそこには。
気恥しそうに前髪を整える浅井先生が立っていた。
たぶん「いつもの」やつだろう。
「こんにちは、武永先生。お昼ご飯作りすぎちゃって……」
「丁寧に弁当箱に詰めてるし、わざとだよな?」
「本当なの! 武永先生のことを考えてたら気づいたら二人分に……それで急いでお弁当にしたから」
「ほぼ毎週作りすぎてない? 俺が先に昼食取ってたらどうするつもりなんだよ」
「じゃあ食べない?」
「もらうけどさ……もったいないし」
しぶしぶ浅井先生を部屋に招き入れると、彼女は満足そうに微笑んだ。
昔と違って彼女とも緊張せず接することができるようになった。その代わりに失ったものはデカいが。
「弁当、開けてもいいか?」
「もちろん。今日は腕によりをかけたわよ」
「へえ、そりゃ楽しみ……だっ!?」
弁当箱を開けると、何やらドス黒い物体がその中央に鎮座していた。
しまった、今日は「ハズレ」の日だったか……
浅井先生が料理を持ってきてくれる時は七割くらいの確率で普通の料理が出てくるのだが、残り三割はゲテモノ料理が飛び出してくる。
ご丁寧に毎回違う種類のゲテモノが用意されているので、未だに慣れることは無い。
「な、なんだよこれ……」
「チイリチー。沖縄の伝統料理よ」
「名前じゃなくて原料を聞きたいんだが」
「血よ。豚の血」
「オエッ」
血だと? 見た目と相まってなおさらグロテスクに見えてきた。
血なんか食えるのか? でも肉を食う際にも血は混じってるだろうし、ゲテモノ度はマシな方なのかも。
ダメだ、だんだん感覚が狂ってきてるぞ俺。
「あら……これも変?」
「変だな」
「やっぱり食べるのやめる?」
「男に二言はねえよ」
小さなプラスチックケースに入っていたドス黒くドロドロしたものを思い切って口に運ぶと、見た目通りの濃厚さが舌にズシンと乗っかってきた。
意外にも血の生臭さはほとんどなく、味も食感もかなり食べやすい部類に入るくらいだ。
いつも見た目で判断するのは良くないと、頭ではわかっているのだが……
「美味しい?」
「うん。予想以上にうまい」
「ふふ、そうでしょう」
俺に一通り飯を食わせると、浅井先生は名残惜しそうに帰っていった。
浅井先生の滞在時間は割と短い。彼女曰く「長い時間武永先生と同じ空気を吸い続けると正気を保てなくなるから」だそうだ。
正気を保ってない状態がどんなものかは気になるが、試すリスクが大きすぎて彼女を引き留める勇気は無い。
しかし、家が近いわけでもないのに毎回律儀なものだ。
彼女のことだ、おそらく「胃袋を掴む」というやつを実践しているのだろう。掴むどころか肝を潰されることも多いが……
ここで俺が拒否するでもなく、かといって全面的に受け入れるでもないという中途半端な対応を取ってるから、余計に話が拗れるんだろうな。
わかってはいる……わかってはいるのだが……
少し昼寝をしていると、もう昼の3時になっていた。
ずっと家にいても身体がなまりそうだ。用もないが近所のコンビニにでも寄るか……
コンビニに入る手前で、見慣れたロリィタ服の女性を見かけた。
とっさに身を隠そうとするがもう遅い。ヒールの高いブーツを履いてるのに足が速いからな、アイツ……
「やあ武永くん、奇遇だね」
「何が奇遇だ。狙ってただろ」
「それは自意識過剰というものだよ。ボクだって四六時中武永くんのことを考えてるわけじゃない」
「それもそうか」
「一日のうち、せいぜい23時間くらいかな」
「寝てる間も!?」
村瀬に手を引っ張られ、コンビニへと引き込まれる。
強引なところは大学時代とまったく変わらない。
こんな奴でも生徒には慕われているっぽくて不思議だ。
まあ、昔を思い返せば強烈な個性を持ってる先生って割と好かれてたような気もするしな。
俺も個性出していった方がいいのか? でも空回りしそうだしな……
「武永くんは今のままがいいよ」
「そうかい」
コンビニの駐車場で二人、コーヒーを啜る。
ロリィタ服の女とカタギの青年という取り合わせは、世間からどう見えるのだろうか。
村瀬のざっくばらんとした性格は嫌いじゃないし、どう思われても別にいいのだが。
「ところで武永くん、プラスサイズの新作ロリィタ服が手に入ったんだが」
「もう着せるのは勘弁してくれ。生徒に見られたらどう釈明すればいいんだ」
「見られたらマズいという背徳感がいいんじゃないか! 正直、この前も興奮しただろう?」
「嫌な汗かいただけだよ!」
相変わらず村瀬の世話になることは多いのだが、その見返りにインモラルな遊びに付き合わされるのも変わっていない。
そのうち週刊誌に見つかって「変態教師たちの秘められたる日常」とか面白おかしく特集されたらどうしよう。
まあ、事件さえ起こさなければ大丈夫……なのか?
「最近ね、実家の親から結婚相手はいないか探られてるんだ」
「だからなんだよ」
「キミを彼氏役ってことにすれば親も安心すると思うんだがなあ。どうだね、一度岡山に……」
「そのまま既成事実を作ろうとしてるんだろ。その手には乗らんぞ」
「ダメかあ」
悪戯っぽく笑う村瀬。どんどん俺に対する好意が露骨になってきているなコイツ……
そもそも女性が好きなんじゃなかったのか、という疑問をぶつけたこともあるが、「武永くんが性転換してくれたらパーフェクトなんだけどね」と本気なのか冗談なのかわからない返しをされた記憶がある。
「おっと、そろそろ交代の時間かな」
「何の話だ?」
「こっちの話さ」
村瀬は日傘をクルクルと回して挨拶の代わりにし、スタスタと去っていった。
気分屋の彼女にとって、今日はあっさり立ち去りたい気分だったのかもしれない。
コンビニから遠回りして家に向かう。もう日が暮れかけてきた。10月にもなると夜も近いものだ。
わざとゆっくり歩いて、意味もなく帰りを遅らせるこの時間が好きだ。
家にいるのが嫌いなわけでもないのに、なんとなく外のぬるい空気に触れていたくなる。夏の名残を楽しむ、とでも言うべきか。
小さな教会の横を過ぎたあたりで、ふと首筋に冷たい感触が走る。敵襲か!?
謎の冷たさの正体は触った瞬間にわかった。
爬虫類独特の、ひんやりとした質感。
「レア……それに、千佳」
首に巻きついたレアに触れ、後ろを振り返ると千佳が立っていた。
「おどかすなよ……」
「ごめんね。あんまり無防備だったから」
千佳も徐々に悪戯心が芽生えてきたのか、前より俺に気安く絡んでくるようになった。
どことなく陰は消えないような気もするが、それでも以前と比べればいくらか明るくなったように思う。
「今日はよく人と会うな、どうも……」
「そうなの? 誰かに迷惑かけられなかった?」
「大丈夫だ。温厚なタイプにしか会わなかったから」
「危険人物に会ったら言ってね。ウチが始末をつけるから」
レアが目の前で鋭い牙を見せつけてくる。危険という点では千佳も劣っていないんだが、余計なことは言うまい。
少なくとも俺に危害を加えたことは一度も無いしな。
「千佳、家の方はもう大丈夫なのか?」
「なんとか。腹違いの兄とは色々揉めたけど、こうして神戸に住んでるし」
「そうか……大変だったな」
「ううん。お兄と一緒にいるためなら犠牲の一人や二人くらい」
千佳は妖艶な笑みを浮かべた。暗闇に白い肌がよく映えるが、それがかえって不穏な印象を強める。
やっぱり危険人物じゃねえか……冗談だよな? 千佳の兄さん生きてるよな?
「お兄も消したい人間がいたら教えてね。後処理まで含めたら数ヶ月はかかるけど」
「生々しい数字を出さないでくれ……」
日に日に千佳の発言が物騒になっている気もするが、それを諌める資格は俺にはないはず。
なので、とりあえず笑って受け流すようにはしているが……
「お兄を心配してるのは本当。3年前みたいなことが起きたら嫌だし」
「わかってるよ。ありがとな」
その後は千佳と定食屋に寄って、帰って風呂に入るとすっかり夜も更けてきた。
時計はてっぺん近くまで昇ってきている。今日は4人の女性に会ったが、一番出現率の高い人間が顔を見せていないのが気がかりだ。
明日は仕事なのでこのまま寝かせてほしいものだが、そう都合よくはいかないだろう。
あのガソリン散布事件から多少暴力は控えてきているが、飽きもせずしつこく寄ってくる点は変わらない。
たまにマッサージをしてくれたり、朝ごはんを作ってくれることもあるが、すべてアイツの機嫌次第なのであまり期待しない方がいい。
さて、今晩は何を仕掛けてくるのやら。
……何だろうな、この感じ。まるで俺が「アイツ」を待ってるみたいじゃないか。
そんなつもりは毛頭ないのに。俺はただ早く眠りたいだけなのに。
アイツが来て、追い返して、ようやく俺は安心して眠れる。ただそれだけだ。
ベッドのうえであぐらをかき、わずかな物音に耳を澄ませる。
外からかすかに聞こえるエレベーターの稼働音。ほら来た。
今日ぐらいは、俺から驚かせてやろうか。
【ヤンデレ女に愛されて夜も眠れない日々のこと・完】
ヤンデレ女に愛されて夜も眠れない日々のこと 馬草 怜 @umakusa
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