右を選べば

真花

右を選べば

 宝くじ売り場で連番を買う。売り子のおばちゃんが「どれにしますか?」とくじ袋の束を指差す。チラと後ろを伺うと誰も並んでいないから、これも遊びの内だ、僕は視線で一つ一つを吟味する。おばちゃんはにっこり微笑んで「ごゆっくり」と言うけど、そう言われると急かされた気がして、彼女の瞳に目が行く。けれどすぐに戻して、三択までは絞れている、その全部を買う予算、いや、気概はないから、深く息を吸ってから吐いて、「これにします」と右端の袋を選んだ。

「大きく当たりますように」

 彼女の笑顔が昔の恋人に似ていて、その恋人は自殺したのだけど、その死にまつわる感情は何も湧かずに懐かしく、僕にささやかな運を運んで来てくれそうで、いつもなら鞄の中にしまうくじの袋をスーツの内ポケットに入れる。彼女といっとき共にいるようで、寒風の中を歩いてもそこだけがポカポカする。でもそれは家に帰れば秘密のこと。彼女のことを妻は知らないし、知るべきではないし、宝くじに小遣いを使っていることも知るべきではない。そして、明日、僕が任命された仕事のことも同じく知るべきではない。

「ただいま」

 妻が玄関まで出迎えに来た。

「おかえりなさい」

「ここまで来なくていいのに」

「臨月って、意外と動いた方がいいのよ」

 彼女が妊娠してから何となく僕も晩酌をやめた。

「もしさ、三択があったとするよ」

「三択ね」

「見た目上の条件は全く同じ。ただ、右、中、左にあるだけ。一つだけ当たりだとしたら、どれを選ぶ?」

「右」

 スーツに入れっぱなしの宝くじが「僕もだよ」と言った。

「どうして?」

「これまで選ぶときに、右を選んで外したことはないの」

「そんなシチュエーションってあるの?」

「あるわよ。だから訊いたんでしょ?」

 目の前に並んだおかずが左から順に、柴漬け、肉じゃが、角煮。右がいいなら、右を選ぼう。角煮を食べる、とろける肉、ジュワっと広がる旨味。

「右で間違いないね」

「この場合は全部当たりかも知れないけどね」

 彼女がふわっと笑う。明日のことがなければもっと平和だったのだろうけど、虫を胸の中に飼っているみたいな気持ちのまま食事を終え、風呂に入る。湯船に浸かってため息をつく。

「死刑執行係。……刑務官である以上選ばれる可能性があることは分かっていた。でもどうして僕なんだ。……いや、業務だ。粛々とする。それだけだ」

 風呂上がりにはいつも妻と観ているバラエティを観て笑う。虫はいるけど笑う。

「今日は早く寝るよ」

「そう。おやすみなさい」

 布団から天井を見る。

 係の内容は頭に入っている。他の二人とボタンの前に座り、合図があったら同時にボタンを押す。それだけだ。それだけで人が一人死ぬ。法の裁きの結果、合法的に殺人がなされ、それは必要なことで、だけど、必ず誰かが手を汚さなくてはならない。僕が選ばれたのはもしかしたら、そう言うことをさせるのに適した人物、恐らく低い評価、そう思われたからなのかも知れない。

「誰だって手を汚したくないだろ」

 そんなことに選ばれたのだから逆に運が舞い込むかも知れないと思って宝くじを買ったんだし、売り子のおばちゃんの笑顔に彼女の影を感じられたことも幸運だと思う。妻もお腹の子供も元気で、僕だって病気をしてない。それはラッキーなのか、それとも普通なのか。僕は執行係に選ばれた。

 真面目に休まず働いて来た。努力をして仕事が出来るように自分を仕上げて来た。もっと評価されるべきだと思っていた。だけど、実際は執行係だ。

「だとしても、任務をする。それだけだ」

 言い聞かせて、何度も言い聞かせて、隣の布団に妻が来てからは心の中で自分に言い聞かせて、心臓がドクドク言い続けて、何度もトイレに行って、やっとうとうとしたら朝のベルが鳴った。

「行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 彼女は僕の顔を見て何か言おうとして、やめた。


 死刑執行係は三名。僕が先頭でボタンのある部屋に入る。ボタンは左、中、右にある。合図のランプ点灯と同時に三人ともがボタンを押して、その内の一つだけが死刑を執行するボタンで、どれがそれかは執行係には伏せられる。すなわち、僕達三人はこれから一生、三分の一の確率で人を殺した人間として生きることになる。

 先頭だから選べる。選ばなくてはならない。

 見た目はどれも同じ。だとしたら右か。妻も元恋人も右を指している。チラと後ろを見ると二人が並んでいるけど、せっつく様子はない。僕は左のボタンを見て、中のボタンに視線を合わせ、右のボタンを凝視する。

 ……右が当たり。当たりならそれが執行のボタンだ。

 僕は左のボタンに座った。次の男が右に、最後の男が中央に座る。後は合図が来るのをひたすら待つだけだ。無駄口を叩くことは憚られるし、それ以前にこれは業務だし、ボタンに指をかけて待つ。

 いや待て。当たりってのは僕にとって都合のいいもののことじゃないのか? だとしたら右こそが執行しないボタン。と言うことは僕の確率は三分の一から二分の一に、跳ね上がった? 

 しかしそんなことを考えられるのも束の間で、今から自分が人を殺める、何分の一かではあるが、そのことに脂汗が滲む。隣の執行係を見ることも出来ずに、ボタンだけに集中する、せざるを得ない。心臓はバクバク煩いし、手のひらにも汗が出る。

 息苦しくはならないし、視界もクリアだから、タイミングを逃すことはないだろうけど、僕は今人間の形をした石になっている。いや、石が三つ。時間の流れすら石になって、僕達は永遠にここで合図を待つ。

 なかなか合図が来ない。僕は息を殺して、石を続ける。

 死刑囚のことは新聞で知っている。残虐で、遺族のことを思えば八つ裂きにされても足りないような男だ。共感する、なのに、僕はこの手がその男を殺すことに躊躇いがある。願わくば――

 合図が灯る。

 ボタンを押す。

 僕も他の二人も、そのまま動かない。

 随分経って、恐らく死体も片付けられた後に声がかかり、僕達は外に出た。手に残っているのはボタンの感触だけで、人を殺した実感は、頭の中で理解したことでしかなくて、でも事実は無根じゃない。

 帰り道に宝くじ売り場を覗いたら、おばちゃんが別の人に変わっていた。右か左かを選ぼうと思っていたけど、彼女の面影がないなら魔力もきっとないからやめて、家に電話をかける。

「塩を用意しておいて」

 妻は何も訊かないで、僕の背中に塩を振った。妻もどこか別人のようだった。

 僕は右を選べなかった。胸の中の虫は脱皮をして、二分の一と表示をしたまま、ずっと居座る、僕の血を吸って育つだろう。

 スーツには入れっぱなしの右側の宝くじ。


(了)

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