いつか訪れるであろう誰か(仮題)

繕光橋 加(ぜんこうばし くわう)

いつか訪れるであろう誰か(仮題)

 春がじわじわと歩きながら、街を巡るかのようにやってくると例えるなら、秋はいつも突然に、雨と共に降ってくるのです。画用紙に大雑把に叩きつけた、ハケの痕のような雨雲が、私達の暮らす家々の、屋根の上に垂れ込めましたが、一方で太陽も空にいて、赤や黄に色づいた葉が地を飾るのを、そっと見ている事でしょう。

 慌ただしい季節の移ろいゆく中で、その森は世間に取り残されたかのように、じっくりと身を染めてゆくのでありました。大きく立派なミズナラから、子供たちに摘まれるヤマボウシまで、晩夏から秋にかけての彼らの輝きは、冬の厳しさに立ち向かう、昇りこう配の途の上です。


 そんな森の中に、ひっそりと、目立たぬ小屋が立っていました。その小屋は、昔こそ訪れる人も多かったようですが、あまりに近くの町が栄えたため、今ではとんと、人々の関心に登らぬのでした。そして、街と街を渡り歩く、昔の旅商人たちが、後からここへ来るであろう人へ、残して行った小道具が、台の上にちょこんと置いてあるだけでした。

 台の上にはそれぞれ、火打石、ろうそく、燭台が置いてありました。3つの小道具たちは、人々のさいわいを心から願った道具屋によって作られたものでしたから、置いていかれた彼らは、誰かが小屋に訪れるのを、いまかいまかと待ち続けているのでありました。


「僕たちはここでもう、いくつもの朝と夜を過ごしたけれども、いっこうに人がくる気配がないじゃないか。これほどまで人間の役に立ちたいと考えているのに、いったいどうして、僕たちはこんなに無為な日々を過ごさねばならぬのだ。」

と、口を尖らせたような様子で、火打石は呟きました。それをなだめるように、燭台が丁寧に応えます。

「そうは言っても、仕方がないことです。何度も申し上げている事でございましょう。私どもは今は忘れられているかもしれないけれども、きっといつか訪れる誰かの為に、待っていようではありませんか。」


「そうは言っても燭台さん、それはあなたの生きる時というものが、僕たちより永いから、そう言えるのでしょう?」

普段は無口なろうそくが、この日は横から口を出しました。このろうそくは、市場で皆さんが見る大きさの、半分くらいの大きさまで使われていて、そのまま時が止まっていました。

「もう、僕と同じ時節に作られた、ほかのろうそくたちは、みなとうの昔に、立派に役目をまっとうしているでしょう。未だに使いきられることなく、残っているろうそくなんて、僕くらいのものだ。火打石どんだって、旅に出て使われていたのなら、今ごろずっと小さく、かけてしまっているのでしょう。それに比べたら燭台さん、あなたは金物で体ができているばかりに、僕たちよりもずっとずっと永く生きていられる。だから、こうして待っているときだって、悠長なことを考えていられるのだ。僕は違う。退屈なのだ。いっそのことこの目立たぬ小屋を、燃やしてしまうことができたなら、働く喜びを味わえるというのに!」

燭台はおどろいて真っ青になり、ふるえて反抗しました。

「まあ、ろうそく君!何をそんなに、慌てているのですか。私たちは道具、使われることに意味があるのですよ。自分から働くということは、人間のするわざです。どうしてそのようなことを言うのです。」

火打石も弱々しく、燭台にならいました。

「そうだなあ、ろうそく君の生きる長さの意見にも、一理ある。だが、働きたいというあまりに、乱暴なことをしてはいけないよ。僕たちは、『ここにあってくれて、ありがとう』と、そう言われる価値を、僕ら自身が持っていることを、見失ってはいけないよ。」

 火打石と燭台が、両側から説教を垂れるので、ろうそくはむっとして窓の向こうを見ていました。冬支度を進める森の枝には、小鳥一羽、停まってはいませんでした。



 火打石はしばらくして、こうるさい説教が止まらない燭台を遮って、話をしだしました。

「やれやれ、退屈が体に悪いことは、燭台さんやろうそく君を見ればよく分かるなあ。せめて転がっているのが、林道の端であったなら、夜をゆく星々を見ていることくらいできたろうに。ろうそく君も燭台さんに怒られなかったろう。」

燭台はまだ、ろうそくに不満げでしたが、きまりが悪くなったと見えて、火打石に言いました。

「それではあなたは、ただの石と区別がつかなくなってしまいますね。かねてより言うような、旅人の役に立つ、ということとは、どのように折り合いをつけるのですか。」

「いやあそれが、検討がつかぬ。カツン、カツン、と音を立ててみたいとは思うのだが、人間の生活の他に探せども、馬や山羊のひづめくらいなものだからな。燭台さんはやりたいことで悩むことはあるまい。」

 のんべんくらりと言う石に、半分は怪訝そうな、もう半分は困ったような面持ちで、燭台は言い返します。

「まあ、ごあいさつなことを。私は確かに『期を待つべし』と、従来から申し上げておりますが、私にだって、役に立ちたいと思う筋道があるものです。」

「へえ、意外なものだ。」

「うむ、僕も信じられぬ。」

火打石とろうそくが、示し合わせたかように、同じ反応をしたので、燭台は呆れてしまいました。


「これこれ、お二方とも、私が理想を持てぬとお思いですか。私は、いつか、町の富裕な家に飾られて、幼い子供たちが、親か親族から贈られた、玩具や書物に喜ぶ顔を、ずっと見ていたいのです。子供が好きなのですよ。」

「へええ。ただ、それはよっぽど貯えのある家のことを言っているのかな。君には難しいんじゃないか。」

「いえいえ、毎日そんなさいわいな顔を見ようとは、流石に思いませんよ。年に一回、いや、子供一人につき一回だけでも、そんなに嬉しい思いをしてくれるのなら、それだけで心残りはありませんとも。」

 火打石もろうそくも、感心して話を聞いていました。燭台がそんな理想を語るのは、初めてのことであったからです。そして、火打石はろうそくにも、どのようにして人間の役に立ちたいのかを尋ねました。

 ろうそくは、「役に立つことができるならなんでもいい」と、素っ気なく返すばかりでありましたが、それは、夢を見ることができないのが、本当はろうそく自身だったからでした。

 火打石も燭台も、声に出さなくとも、なんとなく心の中ではそれが分かっていて、ろうそく君もいつかは、夢に生きることができればよいのに、と思いました。 



 そんな森の小屋に、いったい、いつ以来でしょうか、人間がやってきたのでした。3つの道具は緊張してその男を見ました。しかしよく見ると、その男はどうも様子がおかしいようでした。かつてこの小屋に訪れた人間は、旅装束を身に着けたり、猟師の恰好をしていたり、森に行くのに適した恰好をしているものでしたが、彼は上等な羽織を着ている、町の人間でした。

 男は憎々しげに、自分の妻の悪口を言ったかと思うと、壁をこぶしで殴り、大きな音を出しました。荒々しい様子のその男に、3つの道具は縮み上がりました。

(ははあ、こいつは、家出をしてきたんだな。)

小道具たちは思いました。

 すると、その男は台の上に、火打石が置いてあるのを見つけました。火打石は壁を殴った彼の拳より、ほんの少し大きいくらいで、男はおもむろに、ひょいと持ち上げました。

 その持ちやすい事と言ったらどうでしょう。その投げやすそうな事と言ったらどうでしょう!町人は少し投げる真似をしてみました。肩がぱきり、と音を立てました。


 再び、男の目には並大抵でない、妻への恨みが燃え始めました。

 

 とても冷たい炎です。

 

 男はそのまま家へ向かおうと、小屋の出口へ、足を向けました。



「やめてくれ!そんな使われ方をしたくない!」

 火打石は身をひるがえして、自分から手の外へ滑り落ちました。地面にぶつかると、その老いた大きな火打石は、たちどころに真っ二つに割れてしまいました。

 男ははっと我に返ると、火打石の砕けた姿を見下ろしました。そして、自分のやろうとした恐ろしい事が、失敗に終わったことを知りました。「俺はなんと恐ろしい事をしようとしたのだろう、これはきっと、俺の心を見ていた仏様が、よこしまな罪をなす前に、防いでくれたに違いない」と呟きながら、喧騒の家へと足早に去ってゆきました。

 2つの道具は、こと切れた火打石を見下ろしながら、同時に突然のこの惨状を恐れたのでした。


 翌日、今度は女がやってきました。女は農民の恰好をしていました。そして、ずいぶんとやつれて、貧しそうな顔をしていたのでした。外では風がびゅうびゅうと、音を立てて通り過ぎてゆきます。

 その女はさめざめと、家に盗人が入ったことを嘆いたので、2つの道具は小声で、(さぞ困っているんだろうな)

と言い合いました。見るからに不幸そうで、ふらふらと、小屋の中を行ったり来たりしていました。

 ふと、女は台の上の燭台に目を留めました。触ってみると、錫か鉛か、なにやら金属でできているのが分かります。そのまま台から持ち上げると、その痩せた腕では支え続けられません。床に降ろすことにしました。がっしりとした燭台が、床に置かれると、ゴトッという音が漏れました。

 そのとき、女は思い出しました。この森には確か、沼か湖があったんじゃないか。しかもこの燭台のかたち、都合よく枝が付いていて、帯を巻きつけるのにちょうどよいではないか…!


 女の目は冬の沼の底のように、冷たく、暗く、光を失っているようでした。

 

 女は帯をほどいて燭台にくくると、そのまま燭台を伴って、ズリズリと引きずりながら、沼へ歩き始めました。


「やめてくれ!やめてくれ!そんな使われ方、まっぴらごめんだ!」

 燭台は自ら床にもんどりうって倒れました。枝はバラバラに外れ、黒い体はその根元から折れてしまいました。女はバランスを失って、よろけて小屋から飛び出しました。振り返ってみると、小屋の暗がりから、はみ出た燭台のなきがらが、こちらを覗いておりました。お天道様の光を浴びた女は、自分のしようとした事を恐れて、言葉も出ないまま、さびしく貧しい家へ、逃げ帰って行きました。



 最後まで残っていたろうそくは、長い歳月を共に過ごした、2つの道具の成れの果てを見て、それまで感じる事のなかった、計り知れぬほどの恐怖を感じたのでした。そして、今までとは打って変わって、すっかり働くことが怖くなってしまったのでした。

 できる事ならば、働くことなく、誰に見つかるでもなく、平穏に時の流れる様を、楽しむことができたのなら、それはそれで良いじゃないか。そう繰り返し繰り返し思いながら、ひとりの夜を過ごしました。


 あくる日、怯え続けるろうそくの前に、その客はやってきました。大きな笠を右の手に、古びた行灯あんどんを左の手に持った、小柄な老人でした。昼なのに黒い装束と、それに比べて不釣り合いに明るい禿頭で、一度見たなら忘れることはないでしょう。

 それは、お坊さんでありました。

入り口から小屋の中を見て、老人は笠と行灯を、出入り口に立てて置きました。

「やれやれ、こんなにさびしい小屋に、物が散らかっていたのでは、暗いわ、危ないわで仕方がないよ。ひとつ、片付けるか。」

そういうと、通りすがりのお坊さんは、燭台と石の大きな破片を拾って、大きく傾いた太陽の照らす、小屋の外へ出しました。そして中へ入ると、目ざとくも、白く小さな体を見つけ、「よし、このろうそくを拝借していこう、長く使われていないようだ」と、持ち出したのでした。


 袈裟姿のお坊さんは、暗い森を町へ歩きます。すすけた行灯の揺れる中で、かっちり枝を噛んだろうそくに、しゃがれ声で言いました。

「わしらはな、町から町、里から里へと渡り歩いて、昔のお釈迦様が、どんな働きをしたのか、講じているのじゃ。みんな自分が働くので忙しい、誰が聞いてくれるかもわからない。とは言ってもわしは、わしの働きをやめるわけにはいかない。そのうちほんの一握りの、誰かが聞いてくれるだろうよ。」


 秋は日が暮れるのが早いもので、西の空は燃えるというより、火を飾ったようにくすんでいました。お坊さんの後ろからは、既に鼓星(つづみぼし)が、じっとこちらを見ていました。

「お前さんの命は今晩限りか、それとも幾日持つのか分からんが、これから町の人へ、火を点しに行く私の手元で、よくよく働き給えかし。」


 ろうそくは、嬉しくて、嬉しくて、静かにぽたぽたと泣きました。

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