真相編
「だったら、さっさと本題に行って下さいよ。そんなまどろっこしい言い方などせずに」
「いらいらしてます?」
「し始めてますね」
「失礼。では本題へ。私ね、その仮面にこそ全てを解決する手がかりがあると考えてるんです」
「というと……あっ、仮面に誰かの指紋でも?」
「いや、他と変わらず綺麗なものでした」
「なら、その仰ってる証拠とは?」
「まあ、それはおいおい。それで仮面ですがね、あれねぇ、どぉうも引っかかっているんです。何故他のものは綺麗に壁に飾り付けていたのに、一つだけ床に置いてあったのか? これを解き明かすことこそが、全ての真実を明らかにしてくれるのではないかと、直感ですがね、思っているのです」
「すいません、理解に疎くて。ご説明していただいても?」
「勿論です。ここからは私の推論を多く含むのでご了承を。その仮面、そもそも壁にはかけていなかったのではないかと思ってます」
「では、どこに?」
「写真をもう一度ご覧下さい。ほら、この部分。仮面の並んでいる壁の下には、小さな木製のキャビネットがあります。写真からだと分かりにくいですが、腰までぐらいで、そうですね、80センチないぐらいですかね。上には電話機やファックス、封の開けていない郵便物が何通もありました。肝心なのはここから。郵便物の上に、ほんの少しばかり楕円形の痕がありましてね、調べてみると仮面の大きさとほぼ一致しました。要するにですね、もしかしたらここに仮面を置いていたのではないでしょうか」
「となると刑事さん、別の疑問が生まれやしませんか」
「仰る通り。佐藤さんは何故、そのひとつだけを飾らなかったのか。一応、幾つか可能性は思いついていますが、例えばそうですね……部屋の、正確には仮面の模様替えでもしようと端から順に並び替えようとしていたら、来客があり、慌てて出ようとしてとりあえず置いていた、とか」
「ああ……」
「しかしそうなると、ひとつ考えにくいことがあるんです」
「それは?」
「床の傷です」
「傷?」
「ええ。キャビネットを引きずったような、無理矢理押したような傷が、床に付いていたんです」
「前からついていたのでは?」
「床にキャビネットの形に沿った埃がうっすらと積もってましたから、違うかと。そうなると、動いたのはつい最近。亡くなった当日にキャビネットが動いた可能性だってある。何者かの手によって動かされた可能性もね。いやはや少しでも疑念や疑惑が産まれれば、調べないといけないのが刑事の仕事であり、性分でして」
「刑事さん」
「はい」
「普通はこう考えませんか。誤ってぶつかってしまった、と」
「であれば、すぐに直しませんかね?」
「それこそ、来客があって慌てて出ようとした時に、勢い余って、みたいなことですよ。さっきの写真見せてもらえます?」
「ええ、どうぞ」
「ここに映っている、クリーム色の三人がけソファ。その後ろに玄関方向に繋がるドアらしきものが見えます。こう、こっちからぐるっと反時計回りに来たのなら、あり得なくはないとは思いますよ」
「成る程。けどね、勢い余っても駄目でした」
「でしたって、もしかして試したんですか」
「ええ。私の後輩が押すだけでなく、ぶつかってもみたんです。勢い余る程度の力加減で。結果、鈍い音と奴の短い悲鳴が部屋の中をこだましただけでした」
「びくともしなかった?」
「彼、太ももと腰の真ん中を押さえて、顔を苦痛に歪めてました」
「そもそも、同じタイミングで起きたとは限らないじゃないですか。例えば、傷は何か物でも取ろうとして動かして昨日付いたもので、仮面が落ちたのは今日。ほら、これなら埃の説明もつくでしょう」
「埃の説明は付きます。しかし、また別のことが」
「何ですか。いちいち小出しにして」
「あぁ申し訳ない。階下に住まれている方が亡くなった日に引きずる音を聞いていたんです。足音も、どたばたと。その方曰く、一人の足音ではなかった、と仰るんですよ」
「……あっ、すいません。もうそろそろ行かないと」
「あともう少しで終わるんですが」
「任意同行なんですからいつ帰っても権利として認められているはずです。それでも、ここまで休日返上して協力したんですよ? まだってのはごめんなさい、予定に遅れたくはないんです」
「ちなみに、そのご予定とは?」
「お話しする義務は無いと思いますが」
「差し支えなければ教えて……」
「失礼します」
「では諸々省いて、宮薗さんにこれだけは」
「……何ですか」
「彼女が亡くなった時、部屋には別の人物がいた。その別の人物は、彼女の首をタオル生地のもので絞め殺し、そして自殺に見せかけて、ロープに吊るした。そう、これは殺人。この事件には、彼女を殺した人間、犯人がいるんです」
「まるで、誰なのかもう分かっているかのような口ぶりですね」
「その通り。もう分かっています」
「え?」
「嘘じゃありませんよ」
「なら教えて下さい。誰なんですか」
「ではお教えしましょう。犯人は……あなただ、宮薗さん」
「は?」
「とぼけなくてもよろしいですよ。もう逃げられないんですから」
「な、何なんですか!? さっきから黙って聞いていれば好き勝手に言い放って。いい加減にして下さいよ。ここに来てから私は失礼な質問ばかり。先程の刑事さんよりも酷い。タチが悪い。もう我慢の限界です。第一、証拠は何ですか、私が犯人だっていう証拠は? あの仮面ですか??」
「あの、とは、どの?」
「あれですよ。あの向こうの……あぁもうっ。これですよ。これっ」
「ああ、その仮面ですか」
「腹立たしい……いいですか。この仮面が落ちていたというだけで、どうして私が犯人になるのですか。えっ? 首を括って悶え苦しんだ時に、何かの拍子でこの仮面に当たって、落ちたのかもしれないじゃないですか。仮面に指紋が付いていなかったのは、貴重だからと手袋でもはめて大事に扱っていたのかもしれない。何でもかんでも犯人だと決めつける根拠には、あまりにも弱い証拠ではないと思いますが。そもそもね、私のこと、犯人に仕立て上げようとしてますけど、あなたが言うことはどれもこれも簡単に論破できる。推理というには、あまりにもお粗末だ。空想妄想、無理がある。警察がそういう態度なら、私は帰ります」
「待って下さい」
「任意同行でしたよね。なら、好きな時に帰っても構いませんよね。もう協力は難しいと思って下さい。では、失礼し……」
「確かにっ。あなたの仰る通り、最初に決めつけた時は、確かに証拠はありませんでした。私の空想妄想であったことに異論はありません。認めます。いや、まさにその通りだ。しかし、今は違います。今は、あなたが犯人だという明確な確信があります」
「確信? 確信だけで逮捕なんかしたら、警察の信用は失墜しますよ。地に堕ちますよ」
「当然、証拠もございます」
「たったこの一瞬で? はっ、そこまで言うのなら、ならお見せ頂きたいですね。私が犯人だという決定的なのをね」
「その前に、宮薗さんにお伝えしなければならないことが一つございます」
「何です」
「実は私、あなたに騙していたことがあるんです」
「は?」
「正確には、嘘、ですかね。ええ、警察らしからぬ手段です。卑怯だとは認識しております。しかし、事は殺人。四の五の言っていられないのでね、嘘をついたんです。おかげで効果はてきめんでした。本当に、犯人が誰なのか、ようやくはっきりしましたよ。そして、その事実は宮薗さんの口から引き出すことができました。今ならば、改めて断言できます。犯人はやはり、宮薗さん、あなただ」
「くだらない。同じことの繰り返しばかり言って、ふざけるのも……」
「まだお分かりになりませんか。あなたは犯人であることを、今しがたお認めになったんですよ」
「はぁ? 認めてなんかないですよ」
「いえ、認めたことになるんですよ」
「さっぱり訳が分からない。さっきからごちゃごちゃと訳の分からないことを言っているんですかっ」
「では、ご説明しましょう。誤りなく、お判りになるように。決定的な証拠は、先程の宮薗さんの言動にあります。宮薗さんはわざわざ席を立ち、脇目も振らずに歩き出し、そして、この部屋の端にある机に並んだこの……こちらの仮面だけ手に取り、そして言いました。どうしてこの仮面が落ちていたら犯人になるのですか、と」
「それの何がおかしいんです? 何も間違っていないでしょう」
「ええ。何一つ間違っておりません。だからこそ、おかしいんですよ」
「だから、何がなんですかっ!」
「あなたは何故っ、床にあったのが、この仮面だとご存知だったんでしょうか?」
「……え?」
「この取調室には、被害者の部屋に飾ってあった仮面を並べました。嫌になるぐらい所狭しに沢山。なのに……なのにっ、あなたは迷うことなく、たった一つを手に取った。床にあったのがどの仮面か、私は一言も口にしていないのに。部屋に訪れたことすらないと言ったあなたが、この仮面が、と確かに仰ってね」
「……」
「宮薗さん。多くの仮面がある中で、どうして迷わずに正しい物を選ぶことができたのか。私にも分かるよう、ご説明を願えますか」
「そ、それは……その、写真です。ほら、さっき見せてもらった写真の中に、落ちているのが写っていたからそれで……」
「写真に落ちているのが? 確かですか」
「ええ」
「それはおかしな話ですね。まだ言っておりませんでしたが、実はこの写真、一度片付けた仮面を元あった通りに並べ直したものなんですよ。綺麗に並べましたからね、落ちているはずがない。よろしければ、もう一度確認しますか」
「……いや、そうだ。違いました。勘違いしてました。その日の午前中、学校で会った時に、本人から直接聞きました」
「聞いた? 間違いない?」
「ええ、はい。聞いたのを思い出しました」
「宮薗さん。これ以上、嘘をつくのはよろしくない」
「う、嘘なんかじゃありません」
「いいえ。間違いなく嘘です。あなたは嘘をついている」
「どうしてそう言い切れるんですかっ」
「知らなかったんですよ、亡くなる数十分前まで。あの仮面が届くことを、佐藤さんすらね」
「……え?」
「実はですね、あの仮面、佐藤さんがお亡くなりになったその日に郵送されたものなんです」
「は?」
「少し分かりづらいですかね。では、詳細にお話ししましょう。佐藤さんのお知り合いに古美術商をやっている方がおりましてね、その方から度々購入しておりました。数日前、佐藤さんが前々から欲しいと口にしていたものを古美術商の方が見つけたそうです。頼まれてはいませんでしたが、佐藤さんの誕生日が近かったこともあり、プレゼントとして送ることにしました」
「プレゼント?」
「それがあの日、亡くなる数十分前に届いた。防犯カメラに佐藤さんの荷物を運ぶ宅配業者が映っておりました。業者への確認取れてます。加えて、管理人さんがエントランスに居合わせておりましてね。業者と佐藤さんが会話しているのを耳にしているんです」
「……」
「つまり、あの仮面が佐藤さんの家にあることを知っているのは、宅配された後に訪れてから警察が来るまでにあの部屋に入った者だけなのですよ」
「……」
「私は尋ねました。佐藤さんの部屋に訪れたことはないか。宮薗さん、あなたは、知らない、入った事がない、とお答えになりましたね。そこのガラスの向こうで聞いている他の捜査官たちも聞きましたし、今は可視化の観点から、音声でも映像でも録画しております。では、改めてお聴きしましょう。何故入ったことのない佐藤さんの部屋に、数十分前に届いたこの仮面があることをご存知だったのでしょうか」
「そ、それは……」
「納得のいく説明をしていただけますか、宮薗さん」
「……」
「教えていただけますか、宮薗さん」
「……」
「宮薗さんっ」
「……癖なんか、早く直しときゃよかった」
「それは、自白と捉えても宜しいでしょうかね」
「ええ。私は……僕は彼女を、佐藤さんを殺しました」
「彼女を殺した動機は?」
「刑事さんが仰っていた通り、僕は彼女とお付き合いしていました。もう五年になるかな。結婚も視野に入れ始めて、同棲一歩手前ってところまでいきました。けどね、最近は互いに忙しかったりで、すれ違いも多くて。昔に比べて、喧嘩をする回数が増えていきました。一番悪い時なんか、顔を見合わせれば、なんてこともありましたよ」
「では、学校の口論というのも」
「ええ。まあ、その一つですね。実際に不登校気味の生徒がいて、その生徒の話をしている時に、揚げ足を取るというんですかね、ふとしたことで言葉尻りを捉えて、ねちねちと。だから、口論に。こっそりと会っていたのに、まさか見られていたとはね」
「きっかけはその口論?」
「いえ。口論を重ねていったとはいえね、僕の気持ちは別れたくはなかった。なんやかんやで彼女のことが好きでしたから。そんな時です。街で彼女を見かけました。他の男と腕を組んで、最近の僕には見せない笑顔を振りまきながら。何とも幸せそうにしていました。事件当日は、彼女を問い詰めるために向かっていました。彼女の家で、別の男と仲良く歩いている姿を見た、とだけ。それだけしか話していないのに、彼女、あっさり認めたんです。ほんと簡単に。もう言おうとでもしていたんじゃないかってぐらいでしたよ」
「では、動機というのは」
「ええ。けど、一番の要因は少し違います。彼女がその男と付き合い始めたの、まだ僕と付き合って半年足らずの頃からだったんです。半年ですよ? 要は、僕は、四年半も騙され続けていたんです。自分の鈍感ぶりに呆れながらも、反省しない口ぶりと、むしろこれできっぱり別れられるぐらいだったという清々しささえも醸し出していた彼女の顔を見て、溜めていた怒りが吹き出しました。突沸かの如く、じゅわぁっと。それで……」
「殺した」
「……信じてもらえないかもしれませんが、殺すつもりはなかったんです。少し懲らしめるというか、ちょっとぐらい僕と同じ気持ちになればいいって、苦しめばいいって。だから、近くにあったバスタオルで首を絞めたんです。バスタオルなら大丈夫だろうって、苦しめる程度で済むと思ったので。でも、手に込めた力は、怒りで制御出来なくなったんです。気づいたら彼女、抵抗もせず、ぴくりとも動かなくなっていました。顔からは血の気が引いていて、すぐ分かりました。あっ、死んじゃったんだって」
「だから、自殺に見せようとした」
「ええ」
「首吊りのロープは?」
「既に部屋にあったものを使いました。刑事さんなら判ると思いますけど……ちなみに、あの部屋には行かれました?」
「いえ。写真のみです」
「そうなんですか?」
「ええ。実は。後は現場に行った捜査官から聞き取りをして、おおよその雰囲気は掴んでます」
「あの部屋、雑貨が多かったでしょう。ああいうを吊るして飾るの、彼女好きだったんですよ。慌てて解いて首にかけました」
「仮面については?」
「絞めてる時、まあ当たり前ですけど、抵抗してきたんです。両手でタオルを緩めようとしたり、振り払おうとしたり、動いたり」
「なら、抵抗されている時に誤ってぶつかった?」
「ええ。彼女が後ろに体重かけてきたせいで、思わずよろけてしまって、そのままキャビネットへ。ぶつかった後も、彼女挟むようにして押し込んできたんです。その時に動いて、仮面が落ちました」
「やはりそうでしたか」
「やはり、ということは、察していたんですね」
「後から言ってるみたいで恥ずかしいので、申しますと、物音を聞いたということや、雑貨が均一でない並び方をしていたので。ほら、佐藤さんの部屋の雰囲気から、旅の思い出みたいなこだわりのあるものは高さを揃えたり、色を統一したりと、几帳面に並べていましたから」
「やっぱな。なんか気づいてるような気配はありました。だから、話を逸らしたり、まあ最後は逃げようとしましたけど」
「しかし、一点、どうしても気になります。宮薗さんは何故、仮面を元に戻さなかったのか。いやぁね、元に戻しておけば何ともなかった気がするんですよ。少なくとも私は気にならなかった」
「ああそれですか。こんなこと言うと笑われるか、気味悪がられるかと思うんですけど……怖かったんですよ」
「何がです?」
「あの仮面、がです」
「はい?」
「これ、目の部分だけ開いているでしょう。何も無いのに、いや無いからこそ、じっとずっと見られている気がして。指紋を拭いている時、じとっと汗が出てきました。まるで、俺だけはお前の悪行を見てるぞ、隠しても無駄だぞ、と言われているように感じたんです。ぶつかって落としただけで触ってない。だから無視して、さっさと部屋を出たんです。今思えば、何でそんな行動をしてしまったのか。自分でもよく分かりませんね。もしかしたら、殺された彼女の報復なのかもしれません。それか、神様からの懲罰か。いずれにしろ、悪いことはできないですね」
「お天道様はいつでも見ておりますから」
「……刑事さんが部屋のことを尋ねてきた時、てっきり、入ったことがある、と言わせようとばかり思っていました。けど、実際は真逆だったんですね」
「実を言うと、前に担当した刑事とのやり取り、ガラスの向こうでずっと拝見しておりました。その際、部屋に入っていないということに対しては鉄壁だったということに気づきました。おそらく何度も何度も様々なパターンでシミュレーションを実施したのでしょう、無理も矛盾も言葉の澱みも無かった。私はその牙城を崩すのは不可能だと考えました。そこで別から、それこそ反対側から攻めることにしたんです」
「あぁそうか。だから、あなたに変わったのか。変なタイミングで代わるとは思ってましたが、落とし方を変えるためだったんですね」
「伝えることも可能でしたが、少し間違えれば無意味になってしまうのでね。代わってもらったんです。彼、今はガラスの向こうで聞いてると思いますよ」
「腕組みしながら?」
「癖なんですよ、昔から」
「にしてもまさか、僕から部屋に入っていないという発言を取るために動いていただなんて……全ては矛盾から自白を聞き出すためだった、というわけですね」
「勿論、部屋に入ったと証言が取れれば、それはそれで、また違った方法でも考えてはおりましたけど」
「ははは、どっちに転んでも負けだったってことか。あなたの上司が捜査に加われと言った理由が分かった気がします。ちなみに聞きますが、刑事さんはいつから私が犯人だと思ってました?」
「仮面が床に落ちていた、と仰っていた時から」
「落ちていた……それのどこが?」
「私ね、わざと使わなかったんです。仮面が落ちているとは一言も」
「……えっ?」
「床にあった、置いていた、としか言いませんでした。そんな曖昧な表現なら、壁際に立てかけられた、あの縦長の仮面が床にあったと思ってもおかしくないはず」
「でも、刑事さんが郵便物の上に置いてあったとか言っていましたし、小さいかどうかなんて……」
「私の口からこの仮面がキャビネットの上にあると言う前に、落ちている、という表現を使っておりましたよ。覚えてますかね。私が、仮面が床に置いてあった、と最初に言った時です。宮薗さんは、佐藤さんが落としたのでは、と。つまり、床の仮面のサイズを知っていた。部屋に入ったことすらないと言っているのに。その時に、嘘をついている、と確信しました」
「ほんと、口っていうのは災いの元ですね。それが無ければ、逃げ切れたのに」
「そう簡単にはいきませんよ」
「え?」
「まだお話ししてませんでしたが、いくつか証拠はありました。まず殺人であると思ったのは例えば、そうですね……ロープなどよりも幅広なタオルであったために、僅かではありましたが、首元に引っ掻き傷が。これ、
「溢血点?」
「ご聞きになったことは?」
「いいえ」
「では簡潔に申し上げます。
「それが遺体に出てたと?」
「ばっちりと。それと、被害者の顔」
「顔?」
「赤黒く鬱血していたんです。自殺であれば通常、首にある椎骨動脈が圧迫されるため、頭部へ血液が巡らなくなり、顔面が蒼白くなるのが殆どです。しかし、そうなっていない、ということは、被害者は死亡する時、椎骨動脈が圧迫されずに血が巡っていたということになる。我々もプロですからね、すぐに他殺だと分かりましたよ」
「では僕が犯人だと思ったのは?」
「近くのコンビニの防犯カメラ映像です。犯行時間の少し前にあなたが映っておりました」
「なら、なんでその件で追及をしなかったんです?」
「一番の理由は、決定打に欠けていたから、でしょうか。先程話したカメラのことも、あのコンビニは宮薗さんのご自宅から著しく離れているわけではなかった。他のもそう。どれも弁解次第では、裁判で証拠として効力のなくなる恐れが十分考えられた。だからこそ、あなたが逃げられない確固たるものが必要だった」
「それが、僕からの自白、というわけですね」
「ええ」
「ふふ、仮面のことを話したら、面の皮まで剥がされてしまうとは……なんとも皮肉なお話だこと」
「面と皮が沢山出てきますね」
「冗談はもういいですよ」
「失敬。それでは、改めてお話を伺いますが、その前にこちらで手続きがございますので、一度別の部屋へのご移動を……」
「最後に一つ」
「ん?」
「鴇和田さんにお伝えしたいことがあるんです。事件とは何も関係ないですけど」
「お聞きします」
「数学の証明方法に、背理法というものがあるのを知っておられますか?」
「聞いたことはある気はしますが、詳しいことは存じ上げておりません」
「ではこちらも簡潔に。ある事柄、仮にAとすると、そのAを一度否定した形で論理を立てていくんです。これをBとしておきましょう。もしそのBに矛盾が生じれば、証明は誤り。となればそもそも否定した形で論理立てたこと自体が間違っていることになるので、否定しない元のAが正しいと証明されたことになるんです」
「へぇ……」
「刑事さんってこういうのに近しい問い詰め方をよくするじゃないですか」
「よく、なのですかねぇ」
「だから思うんです。警察の方って実は、数学が得意なんじゃないのかなって。だから、鴇和田さんも実は多分、数学得意ですよ」
「本当ですか?」
「ちょっと訓練すれば、すぐ出来るようになりますよ」
「乗せるのがお上手だ」
「いやいや、本心ですよ。元、教師としてのね」
「なら少し、やってみることにします」
「是非。面白さって些細な所から気づくものですから」
「帰りに本屋へ寄ってみます。しかしまさかこの年になって参考書を開くことになるとは」
「何歳になっても学びは大事ですから」
「ですね。それでは、そろそろ参りましょうか」
背理の仮面〜犯罪の証明法〜 片宮 椋楽 @kmtk
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