ティラミスは時を刻む

いいの すけこ

ティラミス・クロニクル

 銀のティースプーンで器の中身をすくいとったら、ココアパウダーがぱらぱらと落ちた。

 砂糖も何も混ざっていないココアは苦い。だけど一緒にすくったクリームは、とても甘いから。合わさった二つを口に入れるとよく調和して、とても美味しい。

 このほんのりと黄色いクリームは、カスタードだっけ。でもこれは、確かマスカルポーネチーズが肝だったはず。どことなく、酸味がある気もする。

 スプーンで器の底をついたら、クリームの下から濃い茶のスポンジが覗いた。ココアとスポンジがなんだか土みたいにも見えて、庭作りでもしてるみたいだな、なんて思う。 

 スポンジを口に運んだら、染み込んだコーヒーシロップが口中に広がった。大人の味わいにちょっとだけ怯むけど、クリームの甘さと一緒に飲み込んでしまう。


「いやあ、コンビニもいいもんだよね」

 その声に、私はスポンジとクリームの断層を掘り進めていた手を止める。

 正面に座っていた新淵さんが、私と同じく食していたティラミスを、ひとさじ口に運んだ。

「コンビニスイーツも美味しいですよね」

 プラスチックカップに詰まった、飾らないスイーツ。定番のティラミスはデコレーションとあまり縁がないから、気を遣わずに口に運んでしまえるのもいい。お喋りの合間に、なめらかに口に溶けていく。

「本当に手軽で、便利な世の中になったものだよね。甘いものも気軽に食べられる。昔はケーキなんてクリスマスか誕生日くらいで、普通の日に食べる人は少なかったと思うけど」

「うちもケーキ屋さんの良いやつは、記念日くらいですけど……。でもコンビニでも買いますし、お母さんと買い物ついでに、カフェとか入って食べますね」

 そう言われると、ケーキの特別感は確かに薄いのかもしれない。


「ティラミスなんて、生まれた時からあったでしょう」

「は?」

 唐突で、意味のつかめない言葉だったから、私はつい間抜けな声を返してしまった。

「ティラミスってね、わりと最近作られたお菓子なの。日本で大ブームを起こしたのも、ほんの三十年前」

「三十年」

 その年月を『ほんの』と表すことは、私にはできなかった。

 三十年、四十年は最近なんかじゃない。

 私と新淵さんの生きてきた時間の長さを、感覚の違いを、否応なしに感じてしまう。

 新淵さんにしてみれば、人生の十分の一。私からすれば、人生の倍近い時間。

 この距離は、私が三十年も生きてみれば少しは縮まるのだろうか。それとも、もう十五年分、新淵さんが先に行ってしまうだけなのか。


「……いやだね、年寄りは。すぐに時間の感覚が麻痺して」

 私は辛気臭い顔でもしていたのだろう。気遣うように、新淵さんが口にする。

「普通に考えて、三十年は長いか」

「……生まれてなかったので、わからないだけです」

 言いようのない気持ちを、寂しさ、のようなものを。紛らわすように、私は話題をそのまま続ける。

「ブームって、そんなにすごかったんですか」

「僕は世間に疎いから、イマイチよくわからないけど。確か、イタリアン自体のブームが来たんじゃなかったっけかな」

「あ、ティラミスってイタリアでしたっけ」

「そう。だからティラミスって名前も、イタリア語から来てる」

 それこそ名前も当たり前のように知っていたから、どこの国の言葉かなんて考えたこともなかった。発祥の地の言葉になるのは、当然だろうけれど。

「ティラミスは直訳で『私を引っ張り上げて』って意味になるらしいよ」

「ひっぱり?」

「『私を元気づけて』っていうことみたいだね」


 そう解説して新淵さんは、ティラミスをひと口分スプーンですくいとった。飾り気のないシンプルな銀のスプーンだけど、新淵さんがそれを手元で操るのは、なんだかすごく綺麗だ。

(元気づけて、かあ)

 私にとってのティラミスは、銀の月眼鏡店なのかもしれないな。

 なんてことを思いながら。私ももうひとすくい、ティラミスを口にした。

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