1-3


 夕陽で出来た己の長い影が、ずるり、ずるり、と地を這っていく。コートの内ポケットに入れていた銀貨が、歩くごとにチャリ、と音を立てた。疲労で重い身体には、血と汗と死臭がこびりついている。それでも、ユオは心を弾ませていた。

 雨に恵まれず干からびてしまった畑の代わりに、己が家族の腹を満たしてやれる。真っ白な小麦粉だけで作った柔らかなパンだって、香ばしく炙った塩漬け肉だって、年に一度しか食べられないシュガープラムだって、きっと好きなだけ、皆に食べさせてやれる。

 そのために、たくさん、ヒトを殺した。たくさん殺して、殺して。それだけの理由が己にはあるのだと、信じて。

 これでやっと、枯れ草や木の皮で作ったスープを飲んで飢えを凌ぐような生活から、皆を救い出せる。ぎゅう、と腹が寂しげに鳴いたが、心は満たされていた。見慣れた畦道を進み、一軒の小さな家に辿り着く。貧しいけれど、幸せがたくさん詰まっていた我が家。ドアを開けば、家族が彼を暖かく迎え入れてくれるのだ。



 『──────なんで』



 たとえ、彼が血に染まった、怪物に成り果てていたとしても。



 『どうして………、どうして…………?』



 もう、元の自分には、戻れないのだとしても。








 「……………………ッッ!!」


 目元を冷たい何かが滑っていく。それを、ユオは勢いよく掴んだ。身体は反応できても、頭はぼうっとしていた。己が、まだ夢の中にいるのか、現実を認識できているのか、それすら確証を持てない。

 意識を失う前の記憶を手繰り寄せる。灯りの漏れていた部屋の前で、負傷していた自分は倒れた。ここは、その部屋の中だろうか。彼は、冷たくて硬い何かの上に横たわっていた。周囲の状況を伺おうにも、首はうまく動かない。

 視線だけを動かして、ユオは自分が掴んだものを見つめた。それは、細い手首だった。華奢な人差し指が、僅かに濡れて光っていた。目線を上げると、その手の持ち主の、表情のあどけなさに気付く。


 (子供だったのか。それも、俺と同じか、それよりも幼いくらいの、女の子)


 美しい白銀の長い髪が、彼女の動きに合わせて、夢のように揺れた。


 「離して」


 命じるような強い口調で少女に言われ、ユオは掴んでいた手首を解放した。ぼんやりと彼女を見ていると、ユオの頭上から、少女とは別の、女の声が降ってきた。


 「おやおや、君の小さな騎士ナイトは、出会い頭に君を口説いたかと思えば、泣いたり、急に乱暴を働いたりする。随分ユニークだね、カシヤ」


 ひょこ、と効果音が付きそうな動作で、若い女がユオの顔を覗き込む。肩上で切りそろえられた茶髪に、真っ白な白衣。その女に向かって、カシヤと呼ばれた少女は不満げに声を上げた。


 「こんなの、騎士じゃないよ、姫さま。ちっちゃいし、罠にだって簡単に引っかかったし」


 「大丈夫大丈夫。子供のうちは、まだ伸び代があるから。どちらにせよ、時間がない。

 さて、初めましてだね、坊や」


 女は、ユオの顎下に人差し指を滑り込ませて、くい、と顔を上向かせた。女の灰色がかった緑の瞳と、目が合う。


 「急な話で悪いけど、さっきも言った通り、時間が無いんだ。だから、簡潔に言わせてもらう。君が先程受けた矢は、毒矢だ。今も、意識がぼんやりとしているだろう?

 私は解毒薬を持っているし、君の足の治療をする技術もある。君を、助けることができる」


 ああ、何か良くない話を持ちかけられそうだ、とユオは本能的に察した。


 「要らない。俺のことは、このまま捨て置けばいい」


 「まあまあ、そう死に急ぐなよ」


 顔を近づけられる。


 「君のような眼、知っているよ。生きる目的を失った人の眼だ。ご家族はもう、亡くなっちゃったのかな?」


 ユオはただ、黙って女を見ていた。女が、ふふ、と訳知り顔で笑う。


 「ねえ、君に生きる理由をあげる。それで、もしもその理由だけでは生きられないと思ったなら、殺して貰えばいい」


 「………………誰に」


 「夜燈に照らされた、雪みたいな女の子にさ」


 「姫さま」


 当の本人が、不機嫌そうに声をあげた。


 「私、一人で大丈夫だよ」


 「駄目だ。君はこの先、誰かと一緒にいたほうがいい。それに彼、悪くないなって顔してるし」


 女の言葉に、ユオは顔をしかめた。


 「してない」


 「まあまあ、とりあえず、これで決まりだね」


 ユオは溜め息を吐いた。反論するだけの頭を動かすのが辛い。単純な己の身体を、恨めしく思う。毒矢を受けたと告げられた途端、身体がどうしようもないくらいに気怠かった。


 「ああ、悪いね、もうだいぶ限界だろう。治療を始めるよ。滅茶苦茶痛くなるだろうから、麻酔打つね」


 女がそう言って、白衣のポケットからガラス瓶のようなものを取り出した。その前にせめて、とユオは口を開く。


 「俺を生かして、あんたは、俺に何をさせたいんだ」


 ユオの問いに、注射器を用意していた女の動きがピタリと止まる。


 「カシヤと一緒に、息の根を止めてもらう」


 「何の?」


 女の薄い唇が、弧を描く。ああ、やはりよくない話だったのだ、とユオは今更ながらに思った。

 女は、低くて、静かで、まるで子守唄を唄う母親のような柔らかな声で告げた。


 「この世の、すべての」




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