1-4
暫くの間、眠っていたようだ。それとも、気を失っていたのか。どちらにせよ、意識を手放していた間に、負傷した右足の治療は終わったようだ。傷は不思議なほど、全く痛まなくなっていた。
その足を治療していた女に視線を向けてみれば、彼女の咥えた煙草からゆらゆらと紫煙が立ち上っていた。その匂いがユオの鼻腔を強く刺激して、思わず顔を顰める。彼の様子に気づいた女は、ユオと反対の方向に顔を向けて、ふっと煙を吐いた。
「ああ、悪いね。今消すよ」
「治療が終わってから、俺はどれくらい眠っていた?」
「私が二本目を吸ってる途中くらいかな」
それが、どの程度の時間を指すのか、ユオには分からなかった。けれどおそらく、大して時間は経っていないのだろう。
「足の調子はどうかな?」
「不思議なくらい痛くない」
「それはよかった」
「何か薬を打ったのか?」
ユオの問いに女は答えず、ただにこりと口元だけで笑みを返した。
「……………姫さま」
控えめな声で、カシヤが女を呼んだ。
「うん、カシヤ。そろそろお別れの時間だね」
「一緒に逃げなくていいの?」
「いいんだ」
女は静かに、拒絶の言葉を口にした。
「今度は、君が自由を手にする番だから」
カシヤは、女をじっと見つめながら、唇を動かす。
「……………私は、」
その時、遠くから爆発音が響いた。部屋が揺れ、天井からパラパラと小さな石のかけらが落ちてくる。動じた様子を見せない女は、ユオへと小銃を差し出した。
「時間切れだね。君の仲間ときたら、無理矢理城を爆破して地下に侵攻してるのか。野蛮だねえ。
さあ、起き上がって。君には、戦ってもらわなきゃならない」
ユオは無言で身を起こして、冷たい銃を受け取った。僅かな装備を一つ一つ確かめ終わると、静かにカシヤへと手を差し出す。
しかしその手を、カシヤは取ろうとしなかった。そんな彼女の華奢な肩に、女が手を置いて力を込めた。
「行きな、カシヤ」
「寂しくない?」
「寂しいよ、勿論。君がいないと寂しい」
「なら、私もここに残る。あなたを一人にはしな────」
そう言いかけて、カシヤは口を噤んだ。女が低く笑ったからだ。先程までの穏やかさとは打って変わって、底冷えするような声音で、女は言う。
「あなたは、何も分かっていない。私が一番に望むものを、分かってはくれない。だってあなたは、純粋無垢なままだから」
女の目は、月の無い夜の海のように光を宿していない。それが、どこか狂気じみているように、ユオには見えた。思わず銃を持つ手に力を込めた彼には気が付かずに、女はカシヤに向かって言う。
「旅をなさい、カシヤ。この世界の醜悪さを、その眼で確かめるために。
分からないというのなら、分かるために何度でも、その綺麗な手を血で汚して。私のためだけに。ね、カシヤ」
囁くような掠れ声で言う女に、カシヤは無表情に頷いた。
「それを、姫さまが望むなら」
そう言って、カシヤは短刀を手に取った。ユオが初めて彼女を目にした時に持っていた、あの短刀だ。彼女は、空いている方の手で、己の長い髪を無造作に掴んだ。そして、躊躇いのない手付きで、銀糸のようなそれを断ち切る。
その髪の束を、カシヤは女にそっと差し出した。
「私はずっと、姫さまのものだよ」
女の暗い瞳が、僅かに揺れた。恐る恐る手を伸ばし、まるで、繊細なガラス細工を手にするかのように、その髪を受け取る。
「………………勿体無いな、私には。でも、ありがとう」
カシヤは真剣な顔で女を見て頷くと、ユオにちらりと視線を寄越してから、しっかりとした足取りで歩き出した。不揃いに切られた彼女の髪先が、長かった時よりも軽やかに揺れる。
向けられたカシヤの小さな背を、女は食い入るように見つめていた。名残惜しむ風でも、悲しむ風でもなく、ただ、一心に目に焼き付けようとするように。
ユオはそんな二人の様子を見つめ、そして、カシヤの後ろを追って、部屋を後にした。
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