1-5

 ひっそりとした空気を、二人分の足音が揺らす。騒がしかった爆発音はいつの間にか止んでいた。つまり、ユオが辿ってきたような隠し通路を、傭兵団も見つけたということだろう。

 地上と地下を結ぶ通路は幾つもあるようで、カシヤが先導する道もその中の一つだった。それでも、傭兵団と遭遇する可能性は十分にある。ユオは周囲に気を張り巡らせながら、一方で、標的だったはずの人物の護衛役を充てがわれてしまった奇妙な状況に、内心溜息をついていた。

 元々、所属していた組織への忠誠心はなかった。しかし、義理堅いわけでもないので、怪我を治してもらった恩があっても、女の頼み事を無視したってよかった。

 そんなどちら付かずな己に、女は生きる理由を与えると言って、カシヤを示した。


 (………………無責任だ。あのひとも、俺も)


 その時、今まで辿ってきた道の方向から、金属が地面に落ちたような音が微かに聞こえた。聞こえ方からして、音の発生源からユオたちのいる場所までの距離は遠い。

 小銃を抱えたまま音のした方を向くと、カシヤが声を掛けてきた。


 「追手じゃないよ」


 何故分かるんだ、という顔でユオがカシヤを見ると、彼女はぽつりと呟くように言った。


 「あれは、姫さまのナイフの音」


 その言葉を聞いたユオは、部屋に残ったあの女の、一つの結末を想像した。


 「……………戻るか?」


 「戻らない。姫さまはきっと、望まないから。ああ、でも」


 思い出したように、カシヤはユオに手を差した。


 「"弔い"をしなくっちゃ。何か食べ物はある?」


 「どうするつもりだ?」


 「死後の国への旅路で、お腹が空かないように、死んだ人にお供えするんだって」


 彼女の説明を聞いて、ユオは口をへの字にした。


 「死人は空腹にならない。でも俺たちは別だ」


 「……………そういえば、私、空腹になったことない」


 「死人と金持ちは空腹にならない」


 ユオが所持しているのは、配給されていた、僅かな量のペーパーミートだけだった。弔いだとしても、死者に施す余裕などない。


 「いずれ、あんたも空腹を経験することになる。その時になって後悔したって遅い」


 「……………ケチだね」


 「そうだな」


 そう返しながら、ユオはカシヤの顔を見た。道を照らすためのランタンの光を受けた彼女の表情からは、なんの感情も窺い知れない。


 (あのひとが死んだのに、泣いたりしないんだな)


 ユオは静かに息を吐いて、彼女から目を逸らした。

 暫くの間、狭い通路を進み、階段を登り続ける。そして、先導していたカシヤは足を止めた。二人の目の前には、扉があった。


 「ここだよ、出口」


 開けようとする彼女を制止して、ユオはランタンの明かりを消した。扉を僅かに開く。さわさわと、麦の穂が揺れてぶつかり合う音が聞こえた。

 隙間から吹き込んでくる風は、夜の湿り気をはらんで、少し冷たい。閉ざされて澱んだ空気と、ランタンの煤と油の匂いで満たされていた肺に、新鮮な外気が流れ込んでくる。それと共に、ユオは別の、醜悪な臭いを嗅ぎ取っていた。


 「カシヤ、走れるか?」


 「何で?」


 「俺の仲間が居る。まだ気付かれていないが、それも時間の問題だ。囲まれる前に、逃げなきゃならない」


 「戦わないの?」


 「俺は、俺の仲間の戦闘力を信頼してる」


 「それなのに、裏切るんだね」


 ユオが振り返ると、カシヤの瞳と目が合った。雲越しに差し込んだ淡い月光が、彼女の目元を照らす。カシヤの眼は、あの女と同じ、暗い夜の海の色をしていた。


 「そうだ」


 あの地下室で初めて目を覚ました時、目元に冷たい何かが触れたことを思い出す。今考えればきっと、己は昔の夢を見て泣いていたのだ。そこから呼び覚ましてくれたのは、おそらく彼女の、冷たい指先だったのだろう。


 「あの時、あんたが俺の涙を拭ってくれたんだな。なのに、悪かった、手首を乱暴に掴んで」


 いや、違うか、と呟くように言う。


 「ありがとう」


  彼の言葉に、カシヤは目を伏せた。僅かに鼻を啜る音が聞こえる。泣いているのかとユオが狼狽えていると、カシヤは思いの外はっきりとした声で言った。


 「まるでこれから、死ぬみたいな雰囲気だね」


 そして、顔を上げる。風に流された雲の隙間から、直接月光が降り注ぐ。青白い光が、彼女の虹彩に流れ込んだ。その瞬間、夜闇に沈んだ海の色が、一変する。


 「走れるよ、私」


 ユオは鼻の頭を掻くと、銃を構え直した。


 「じゃあ、行くぞ。俺から離れないで」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る