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 麦畑を抜けた先には、石造りの古城がひっそりと佇んでいる。城とは言いつつも、華やかさは一欠片もない。装飾などはなく、そびえるように高く石を敷き詰めて作られた、頑強な城壁。城と呼ぶよりも、要塞と呼ぶ方が似つかわしいように思えた。

 しかし、堅牢である筈の城門は、見張りの気配がない上に、僅かに開かれていた。警戒しながら中を覗き込むと、地面にひとり、男が倒れている。喉と胸にある深い切り傷から、赤黒い血が流れ出ていた。おそらく、斥候が殺したのだろう。

 敵がいないことを確認すると、ユオは城内へと身を滑り込ませた。中では、徐々に混乱が広まりつつあった。悲鳴と銃声は連鎖し、不協和音となって広まっていく。念のために装着していたサプレッサーを外して、ユオは獲物を探し始めた。

 上官からは、見つけた者は全て殺すように言われている。中でも、必ず殺してその死体を引き渡すように言い含められていたのは、幼い少女だった。参考に、と回ってきた白黒の写真は、ピントがボケていて、顔の特徴もイマイチはっきりしない。写真を見せられた時、よくユオの世話を焼いてくれるスリガラが、『なあ坊主。この子の髪色はな、シルバーブロンドなんだってよ』と教えてくれた。しかし、ユオにはシルバーブロンドというのがどのような色なのか、よくわからなかった。


 (要は、見つけた人を全員殺せばいいだけのことだ。手柄は要らないんだから)


 けれども、床に転がっている死体を見つけるたび、隠れていた人間を撃ち殺すたび、つい、その髪色を見ていた。茶色、赤、灰色、そして、ユオと同じような黒。ブロンドということは、先ほど見た麦畑の色をしているのだろうか。そんな髪色は、きっと夕暮れの中で綺麗に映えるだろう。

 また、一つの部屋のドアを蹴破る。足を踏み入れれば、毛長の豪奢なカーペットの感触が、安物のブーツ越しに伝わってきた。ユオ達は薄い寝袋にくるまって、ゴツゴツとした冷たい地面の上で眠ることも多い。けれども、この寝室で眠る者は、このカーペットよりも更に柔らかくて、温かなベッドで眠るのだ。ユオはベッドに近付いて、繊細なレースで飾り付けられた枕をそっと撫ぜた。その上に、一本の長い髪が抜け落ちているのを見つけて、拾い上げる。


 (…………白髪?)


 部屋に差し込む光で、透き通るように輝いている。白銀だ。まるで、ランタンの灯火を静かに照り返す、雪のような。その髪が、ふわりと風に靡いた。この部屋に窓はあるが、閉ざされている上に、引かれたレースのカーテンも動いていない。ドアも入ってすぐに閉じている。ならば、風の出所は何処なのか。

 髪の靡く方向を頼りに、部屋を歩いていく。歩き回って分かったのは、何も無いはずのただの壁から、風が漏れ出ているということだった。空色に若葉の緑を混ぜたような色合いの壁紙に触れて、ぐっと押してみる。すると、壁の一部が後ろへ押し込まれた。ユオが何もせずとも、それは勝手に、キャビネットの引き戸のように横へとスライドして、壁の内側に収納された。奥に見えるのは、隠し扉だ。ユオは拾った髪をポケットに仕舞い込んで、息を潜めながら扉を開けた。

 真っ暗な扉の向こうに、夕日が差し込む。照らし出されたのは、下り階段だ。ユオは中に入って扉を閉めると、暗闇に目が慣れるのを待ってから、階段を降り始めた。階段は螺旋状になっているようで、あまり足の踏み場のない中心を避けながら進む必要があった。下るほどに、空気はどんどん冷えていく。暗闇の中では、僅かに確保できる視界と、一段一段と階段を踏みしめる足の感覚からしか、情報を得られない。故に、とても長い間、階段を降りているような気がした。

 やがて、前方に一筋の光が見えた。ゆらゆらと揺れているから、蝋燭や、ランタンの類があるのだろう。暖かみのある灯火に吸い寄せられるように、足を進めていった時だった。ヒュッと空を切り裂く音がユオの耳に届き、次の瞬間、右足に衝撃が走った。何かが足を貫いたようだった。痛みはまだやってきていないが、それはつまり、そこそこの深手を負ったことを意味する。咄嗟なことに体勢が崩れ、階段を転げ落ちていく。その間、彼はなんとか武器が壊れないように抱きしめていた。けれど、落ちていく間に、負傷した足を何度も階段や壁に打ち付けていたので、武器が無事なところで、きっと満足には戦えないだろう。

 やがて勢いが衰えていくと、片腕を使って転がっていく身体を止めた。冷たい石造りの床の上に横たわる。目の前には、半開きになったドアがあり、その隙間からは例の灯りが漏れ出している。随分な距離を転げ落ちてきたようだ。

 意識がぼんやりとしている。そういえば、頭を強く打ったような気がする。負傷した足のことは、考えたくなかった。酷い状態に違いない。呻き声はなんとか堪えていたが、灯りの向こうに居る者には、物音で気付かれているだろう。小銃を構える気にはなれなかった。一般的に言えば短い人生だったが、未練と呼べるほど執着できるものは、もうこの世に残っていない。

 ユオの視線の先で扉が軋みながら開き、暗闇の中に優しい光が溢れた。最期に、己の息の根を止める者の顔を見ようと視線を上げる。眩しい光の中、先ず目に飛び込んできたのは、短刀だ。あれで殺されるのは辛そうだ。簡単に殺せる方法を教えたら、言う通りにしてくれるだろうか。そんなことをぼんやりと考えながらも、それが叶えられないことは分かっていた。もうすでに、城の者を殺し過ぎた。目の前に立ちはだかる誰かにとっては、身内だったに違いない───────


 (……………あ)


 灯りに目が慣れてきた頃になって、ようやく気が付く。彼の視線の先で、さらりと揺れる何か。白銀だ。夜空の星々を紡いだような銀糸。或いは。


 「夜燈に照らされた、雪みたいだ」


 思わずそう口にしていた声が、掠れている。目に見えるもの全ての、焦点が合わない。意識が徐々に薄れていく。ああ、よかった、と彼は思った。これで少なくとも、ナイフで切り裂かれる苦しみからは、逃れられるのだから。

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