しゃぶしゃぶ

一縷 望

しゃぶしゃぶしゃぶ……

 ダシ香る湯気が部屋を満たし、寒さで赤くなった頬がゆるむ。


 今日は、祖父を家に呼んでしゃぶしゃぶを食べる日だ。いつも一人でいる分、賑やかなのが嬉しいのか、次々とビール缶を空ける祖父。


『お徳用 しゃぶしゃぶ肉8枚入り』と書かれたパッケージ(けばけばしい色の『半額!』シールが貼ってあったことに触れてはいけない)が剥がされ、薔薇バラみたいに並べられた、サクラ色の肉が姿を現した。


 おお、と声が上がり……それは自分の声だと気付いて軽く笑う。


 父が菜箸で、肉を鍋のダシにくぐらせる。

 お徳用(半額)の肉は、体をなびかせ、右へ左へ。

 湯上がりの彼女は、それはそれは上品な色をしていた。


 妹の皿にひょいと乗っかった彼女は、ポン酢で湯冷めしないうちに、真っ赤な口へと消える。


 うまそう……。


 妹のポン酢に浮く澄んだあぶらを眺めながらそう思う。


 次は僕だとばかりに鍋を見やった時、祖父がおもむろに、白いトレーに並んだままのしゃぶしゃぶ肉を指差して言った。


「これな、祖母ばーちゃんと食べた時は二枚余るんだ」


 祖母の名をいつぶりに聞いただろうか。言った祖父の顔を見ることができなくて、シワの刻まれた彼の分厚い手をジッと眺める。


 自分の皿に肉が置かれても見続けていた僕が箸を取った時には、肉は冷めて。

 

 上品な彼女なんてどこにもいなくて。

 

 皿のそれは枯れ葉に見えた。





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しゃぶしゃぶ 一縷 望 @Na2CO3

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