陽だまりのなかで

 魔獣の姿もない、町から町の道中にある小さな森。小鳥たちがさえずり、りんごの甘い香りが漂う平和そのものといった森のはずれで、フィールーンは愛用の手帳に静かにペンを走らせていた。


「ミミクイヤブリは結果、誰の耳にも寄生していなかった――と」


 自分たちにちょっとしたトラブルを引き起こした細長い魔獣のスケッチと記録文を、満足げに眺める。葉の間から差し込む陽光に目を細め、スカートについた葉を払って立ち上がった。そろそろ休憩が終わる頃合いだろう。


「リン、お待たせしました。皆さんの所へ戻りましょう」

「かしこまりました」


 合図の声を送ってようやく、近くの木立の陰から自分の側付を務める男が現れる。こちらが記録に集中できるように、わざわざ気配を消してくれていたのだろう。側付と並んで集合地点を目指し、誰かが踏み鳴らした道を歩く。


「記録は捗りましたか、姫様」

「はい! つい熱が入って、少し長くなってしまいました。ミミクイヤブリの実物は見られなかったので、スケッチは私の記憶頼りですが……」

「……。そのような生物、遭遇せぬのが一番です」


 耳を押さえてどこかげっそりとしているリクスンだったが、すぐに彼は太い眉を寄せて立ち止まった。フィールーンも足を止め、前方を見る。


「皆さん……?」


 集合地点としているひときわ大きな樹木の前には当然、仲間たちの姿があった。しかしいつもの賑やかさがない。背を寄せ合い、樹木の幹に隠れているようだ。


「姫様。念のため、俺が安全を確かめるまでは――」

「あっ、見てください。エルシーさんが」


 こちらに気づいたらしい緑髪の少女が、小さく手招きをしている。彼女のとなりで腕組みをしている師アーガントリウスも、その足元であぐらをかいているタルトトにも、緊張した表情は見られない。むしろ誰もが、どこか穏やかな顔をしている。


 側付と頷きあい、フィールーンも樹木の陰に入る。極力声量を落とし、状況を尋ねた。


「何かあったんですか、皆さん」

「ゆっくりここから覗いてみて。珍しいものが観察できるわよ」

「えっ……?」


 面白がるような声でそう答えたエルシーが、少し場所を空けてくれる。フィールーンはそろそろと幹から顔を出した。


 幹の後ろには、ここを休憩場所とする決め手となった小さな泉が湧いている。そしてその向こう岸には――。


「セイルさん」


 綺麗に並んだ木立、その一本の根元に蒼頭の青年が座り込んでいた。立てた片膝の上に、よく鍛えられた太い腕を乗せている。魔獣の皮をなめして作ったという胸当てが側に置かれているのを見るに、彼も休憩をしていたのだろうと王女は見当をつけた。


「……」


 気持ちの良い風が森を渡り、仲間の短い蒼髪を揺らしていく。少しうつむいた顔の中、しっかりとその瞼が降りているのがわかった。


 幹の反対側から同じ光景を見たらしい騎士が、抑えながらも呆れた声で言う。


「まだ寝ているのか、ホワードは。なぜ誰も起こさん」

「いんや、ただ眠ってるんじゃないよ。よく見てて」


 師がのんびりと放った言葉に首を傾げつつ、フィールーンは仲間の居眠り姿を見つめた。胸当ての近くには、彼の象徴たる大戦斧が静かに横たわっている。まるで共に昼寝を決め込んでいるようだと思った瞬間――


「!」


 ぴしゃん、と音を立て、泉から小さな水柱が上がった。魚が跳ねたらしい。集中していたフィールーンは驚きの声を上げそうになったが何とか耐え、急いで木こりを見た。


「あ……」


 そこには先ほどとまったく変わらない体勢のままの仲間がいた。フィールーンは空色の瞳を瞬かせ、先に観察していたらしい仲間たちを見る。


「セイルさん、熟睡していらっしゃるんですね」

「そういうことでやんす。さっきなんか、肩に蝶々が休みにきてやしたぜ」


 きっと丸太と間違えたんでしょうよ、と笑いながら、商人はお気に入りの菓子袋を開けた。


「あ、タルちゃん。俺っちの茶葉も出してくれる? もう一杯淹れる時間はあるっしょ」

「ほいきたでやんす。リクスン様はどうしやしょう?」


 手際よく携帯用の茶器を準備しはじめる仲間たちに物申したのはもちろん、誰よりも生真面目な性格の騎士だ。


「待て、まだ休むのか? もう出発の時間だ、起こせば良いだろう」

「あたしがお願いしたのよ」


 指先であっという間に湯沸かし用の火を作り出した魔法使いの隣に座り込みながら、エルシーが静かに続ける。


「午前中は歩きやすくて、けっこう距離が稼げたでしょう? もう少しここでのんびりしたって、夕方には次の町に入れるわ」

「それはそうかもしれんが……」

「お兄ちゃんがあんなに深く眠ることって、滅多にないの」


 しなやかな膝を抱えた少女が、ちらの背の幹へ視線を投げる。フィールーンにはその明るい茶色の瞳が、幹を透かして兄を優しく見つめているように思えた。


「小さい時は、どこでも深く眠れるひとだったわ。でも竜人になってからは、いつでも少し気を張ってるみたいだった。あたしを守ろうとしてくれているのね」


 小鍋の中で、湯がこぽこぽと踊る音だけが響く。フィールーンは親友の声に耳を傾けたまま、静かに眠る木こりを眺めた。時折かくん、と蒼い頭が揺れている。


「野営の時も、誰よりも長い時間見張りで起きてくれてるもんねえ」

「たしかにそうっすね。あの睡眠時間で次の日もしゃんと歩けるんだから、やっぱり竜人ってのは大したモンでやんす」

「そうね。別にお兄ちゃんは無理してないわ。でもたまには何も心配せずに深く眠って、夢の中だけでもあの斧を手放してくれたらいいなって……あたしは思うの」


 カップを細い指で撫で、少し照れ臭そうに少女は微笑んだ。


「だから今、兄がああやってぐっすり眠れているのはみんなのおかげ」


 種族も歳も違う仲間達をひとりひとり見回し、エルシーは優しく言った。


「タルトちゃんが危険の少ない道を選んでくれて、リンさんはフィルだけじゃなく、みんなの安全に気を配ってくれてて。料理をしてるあたしのそばには、アガトさんもいてくれる――だからお兄ちゃんは、何も考えずに寝ていられるの」

「エルシーさん……」

「もちろん最後にはいつも、あなたが起こしにきてくれるしね?」

「ええっ!?」


 意味ありげな笑みを向けられ、フィールーンは顔を赤くした。ハッとして手で口を押さえ、泉の向こう側を見る。すやすやと気持ちよさそうに寝ている木こりを確認し、胸を撫でおろした。


「……俺も茶を一杯貰おう」

「そうこなくっちゃあな。ほら、おつまみもありやすぜ」

「宴までは開かんぞ。居眠り木こりが起きたら、すぐに出立する」


 どっかと座り込んだ騎士が腕組みをし、ふんと鼻を鳴らした。フィールーンもその輪に腰を下ろし、くすくすと笑う。最後に少し背を反らせて首を伸ばし、離れたところで眠る仲間を見た。


「おやすみなさい、セイルさん」



 今日の終わりにはまた一ページ、旅の記録を綴ることになりそうだ。





 時が経ち、木陰で踊る光も少し弱くなった頃。

 集合場所へと戻った木こりは、驚くべき光景を目にしていつも眠そうな目を少し大きくした。


「……なんでこいつら、全員まだ寝てるんだ」

(さあてね)


 揃いに揃って眠り込んでいる仲間たちの寝顔を見、セイルは首を傾げた。おそらく心中からことの成り行きを見守っていただろう賢者が、そよ風のような声で提案する。


(たまにはいいんじゃないかい。こんなに気持ちの良い午後なんだもの)

「……そうか」

(君もまだ眠り足りないだろう? 周りは僕が見ておくよ)

「わかった」


 木こりはそう呟き、葉の間から笑いかける日差しを見上げた。ちらちらと揺れるその光を見上げていると、瞼がふたたび下がってくる。


 今日はとても眠い。

 そして珍しく――眠ってしまってもいいと思える日だった。

 



 結局全員が目を覚ますころにはずいぶんと陽が傾いており、一行は息も絶え絶えに次の町の門を叩くことになるが――それはまだ、少しだけ先の話。

 


***


こちらはいただいたFAから想像して書いたお話です。

詳しくはこちらから。素敵ないただきものイラスト、絶対見ていってください……!!

近況ノート:

https://kakuyomu.jp/users/fumitobun/news/16818093082949414982

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りゅうじんのぼうけんしょ。 文遠ぶん @fumitobun

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