とある酒場にて
どの町でも酒場といえば大抵、墓所からもっとも遠い場所に作られている。
一夜たりとも“静寂”に包まれることのないあの空間が隣人とあっては、たとえ一度は指を組んで眠った者であれ、やれやれと身を起こさざるをえないことが理由だろう。
それはこのフェダルの町酒場、『きのこの傘なんてくそくらえ亭』も例外じゃないい。適度に明るく暗い店内では、町の常連どもや少しの悪党たち、そしておれのような流れ者が入り乱れて卓を囲んでいる。打ち合わせたジョッキが奏でる高らかな歌をさかなに、おれは隅でひとり静かに酒と食事を楽しんでいた。
大義も、冒険とやらも無関係。おれはただ行く先々で金になるものを入手し、売り、その余り金で少しばかり観光する。そんな浮き草のような者は、こういう酒場で守るべきルールをちゃんとわきまえているもんだ。
その一、とにかく目立たない。
「主人よ、この町の名物料理を出してくれ。自信がないなら出さなくていい」
「あんだぁ、兄ちゃん。初顔にしゃ大層なクチきくじゃねえか」
「俺は主の口に入る食事すべてに気を遣らねばならん」
「へん! そこまで聞いて引き下がれるかっての。ちっと待ってな、最高の“フェダル香草焼き”を用意してやっからよ」
……その二。妙な声かけは犯罪のはじまり。穏便にかわすに限る。
「よぉよぉ、そこのかっこいい服のお兄さん。フェダルは初めてかい?」
「ああ」
「そりゃ嬉しいね! こんな小さな町だが、なかなか見どころもあるんだ。ゆっくりしていってくれよ。おおいアニータ、この御仁にエールを」
「酒は飲まん。仕事中だ」
…………その三。酒場で一番の美女が出てきたら要注意。いよいよ
「やだぁん、お兄さん鍛えていらっしゃるのね! す・て・き」
「おい、そんな酒も食事も頼んでないぞ。あと、その格好であまり近寄るな」
「遠慮すんなって、奢るからさ。こんな遅くまで仕事たぁ、お兄さんはマジメだねえ。主のために食事の下調べだって? よっぽど高貴なお人なんだろうな」
「言えん。たとえその名を耳にしたところで、信じないだろう」
「ほーお、そんなに……」
………………最後に、その四。タイミングよく出てきた悪党どもは大抵、全員グル。全力で逃げるべし。
「おうおうおう、オレ様たちの酒場ででかいツラしてるヤツってのはてめえか?」
「貴様らが店を営んでいるわけではないだろう。静粛にしろ」
「なんだぁ、気取りやがって! やっちまえ!――と言いたいところだがてめえ、相当に強いだろ」
「……懸命な判断だな」
「ちゃんと手入れされたそのご立派な剣を見りゃ、オレたちみたいな小悪党だって怯んじまうってもんよ。そんな時はこれ! “フェダル式飲みくらべ”セット!」
「何?」
あーあーあー。やっちまってるよ。おれの『良識ある旅人のルール四選』を正面から叩っ斬ってるヤツがいるよ。
でかいタッパにこの地方じゃ珍しい金髪頭、品よく着こんじゃいるが目を引く真っ赤な剣士服。若いが精悍な顔つき。こんな酒場に普段近寄る人材じゃないのは一目瞭然だ。
店の主人や売り子はもちろん、話しかけた男や小悪党も全員手を組んでるな、あれは。おれは早くも鎮魂の祈りを捧げながらスープをすすった。
「この町での男の強さってのは、どれだけ空の酒瓶を生み出したかで決まる! オレたちにとっちゃ、このグラスが剣の代わりってわけよ」
「そうか。なら毎日しっかり磨いておくのだな」
「ちっ、ノリが悪ぃな。こりゃあ別の遊び相手を探しにいったほうが早いかもなあ。たとえば、町の東の――“ヤギのねぐら亭”とか」
「! なぜ俺たちの宿を知っている」
ああ、これはさらにまずい。店に入ってくる前からすでに目をつけられていたのか。きっとお仲間たちも、寂れた町では少々目立つような見目なのかもしれない。あの宿自体は見たところまともだが、その周りに臭いネズミが集まろうとしているというわけだ。
「怖いカオすんなよ。別にまだ何もしちゃいない。オレたちはただ、この町の良い酒を飲んで、楽しい旅の思い出づくりをしていってほしいだけさ」
「……その酒呑み勝負とやらに勝てば、俺たちに近づかないというのだな」
「察しは良いなァ、お前とは良い酒が呑めそうだ! おーい、持ってこい!」
手下どもがてきぱきと“呑み比べセット”を机上に並べていく。当の青年は逞しい腕を組んで座っており、一歩も退く気配はない。おれはキノコの山草焼きを頬張りながら、この騒動を見学していくことに決めた。
おれがそんな珍しい決断をした理由は、青年の自信ありげな顔だ。もしこの若者が大酒豪であり、勝ちを決め込んでる小悪党どもの鼻を明かすような展開になったら? 年甲斐もなくそんな大逆転を思い描いて、心を躍らせたのは秘密だ。
*
「うっ……」
「ハッハァ! おいおーい、その程度かぁ? まだ三杯目だぜ!」
全然だめだった。なんだったんださっきの表情。もしかしてあのキリッとした顔つきが普段の表情なのか。そういう呪われた面でもつけているんじゃないだろうな。
杯を重ねるごとに、金髪青年の動きが鈍くなっている。顔は耳まで真っ赤に染まり、琥珀色の目も据わりはじめていた。
「ま……まだ、まら……!」
「気合いだけはあるようだな? いいぜ、もう一杯勝負!」
赤ら顔の男の声掛けで、二人の間にあるグラスに飴色の液体が注がれる。瓶のラベルを見、おれはさらに心中で額を押さえた。この町で一番高い酒だ。
このままいくとあの青年は酔い潰され、相手の分まで酒代を払うのはもちろん、朝まで目を覚まさず居座り続けた延長料金などと言いがかりをつけられて無一文になるだろう。
だが悪いな。おれはそういういざこざに乱入してかっこよく助けてやれるほど強くないんだ。命まで取られはしないから、これも社会勉強だと思って反省するといい。おれは安い酒をちびちびと飲みながら、盛り上がるばかりの一行を見ていた。
「はっ……は……!」
「ほーぉ、呑んだか。その若さにしちゃ気張ってやがる。だがもう立ち上がれねえだろ?」
「なん、らと……!」
「見たところ凄腕の剣士のようだが、今ならオレがそこのフォークで挑んでも勝てそうだ。こんな不甲斐ねえやつを
品のない笑い声が、狭い店内に響き渡る。正面切って勝負を挑むことはできない小悪党どもの、お楽しみの時間だ。気分が悪くなる前に、そろそろおれも退散しよう。
「そもそも主人も、見る目がねえんだな。きっとどこかのボンボンで、頭はからっぽだ。この町に泊まったのも、豪華な遊覧中の気まぐれってとこだろう」
「……」
「金持ちってのはそうに決まってら! 当然、下僕は何人もいるんだ。下手すりゃお前、ここに置いてかれちまうかもなあ? そしたらオレが可愛がってや――ッ!?」
騒がしい酒場が、墓場のような静けさに包まれる。財布の中身を確認していたおれはぎょっとし、その冷たい空気が吹き出す場所を見た。
「……」
のけぞった男の喉元に突きつけられていたのは、つまみのために添えられていたフォークだ。けれどおれには、銀の輝きを放つ騎士様の長剣にさえ見えた。
フォークの主は、なんとか椅子から転がり落ちないよう奮闘していたはずのあの若者だった。しかし全員の視線を集める酔いどれ青年は、机上に手をついて乗り出した姿勢のまま微動だにしない。酔いから覚めたというわけではなく、おそらく――強い意思だけが彼を突き動かしたのだろう。
「きさまが……ひめさま、の……なにを……しって、る」
「ひ、姫様って……お前のお嬢様か? 悪かった、悪かったって――!」
「……っ」
男が涙目になって叫ぶのを聞いてか聞かずか、“フォークの騎士”は派手な音を立てて机上に倒れ込んだ。グラスと酒の空き瓶がいくつか落下し、ガラスの雨粒へと変わる。唖然とする皆の顔を見上げることはなく、青年はそのままぐっすりと寝入ってしまったらしかった。
「な、なんだ、びびらせやがって……! おい、こいつの荷物開けろ」
「でもようボス、こいつさっき、姫様って言ってやしたぜ。まさか本当に、城付きのお偉いさんってこたぁ……?」
「バカ、お姫様気取りのどこかの金持ち女に決まってんだろ。本当の王女がこんな町に泊まるかよ。取るもんとって、裏道に放り出しとけ」
「ごめんねー。ちょっと邪魔するわぁ」
「!?」
場にそぐわぬ呑気な声に、おれも小悪党たちも飛び上がった。いつの間に入ってきたのだろう、見逃すはずもないすらりとした長身の男が散らかったテーブルのそばに立っている。ついでにそのうしろに、太い身幅を持つ青年もいた。クマでも簡単に切り裂いてしまえそうな、どでかい戦斧を背負っている。
「や、こんばんは。賑やかな店だね」
店の女たちがすでに小声で囁き合っている先で、妖艶な微笑みを返す美男。その長い髪は紫、連れの斧男の短髪は青と、なかなかに目立つ風貌だ。ということは――。
「あっ、ボス! こいつら、この金髪の仲間ですぜ!」
「なに! ……っと、おいおい、慌てるこたぁ何もねえだろ。――ようこそこんな酒場へ、おふたりさん。あんたたちは、この赤い兄ちゃんの連れかい?」
「そうなるねえ」
手触りの良さそうな上等なローブに身を包んだ美男が、突っ伏して眠る青年をちらりと見下ろす。傍に屈んだ青頭が、くんくんと鼻を動かして顔をしかめた。
「……酒臭いぞ。こいつ、呑むのか」
「いーや。俺っちのありがたいお誘いを何度も無下にしてきたリンちゃんが、こんな行きずりの店で呑むはずないよ」
「じゃあ呑まされたのか。……そいつらに」
「ひっ!」
こちらからは彼の表情は見えなかったが、青頭の向こうにいた小悪党どもが身を寄せ合って怯えたのはわかった。しかしボスと呼ばれる男は大きな鼻を鳴らし、ずいと優男の前に出る。
「ちょうど良かったぜ、お連れさん。この兄ちゃんと酒呑み勝負をしていたんだが、結果はこの通りでね。悪ィが二人分の酒代と、割っちまったグラス代を置いて行ってくれねえかい?」
「それは困ったねえ。俺っちたち全員の小遣いを合わせても足りないだろうし」
「はあ? 下手な嘘ついてんじゃねえぞ。そんな上等な着物ヒラヒラさせといて、そりゃねえだろうが」
「これはお手製なのよ。ホントに今、お金もってないんだわ〜ごめんね」
けろりと言ってのける美男はたしかに、手荷物のひとつも持ってはいない。それは斧男もそうだ。彼らは純粋に、戻らない仲間を探しにきたのだろう。いよいよボスのこめかみに、青い血管が浮き出してきた。
「ふざけんじゃねえぞ! じゃあ美男さんよ、あんたの顔の良さで女から金取ってこいよ」
「それじゃあお釣りが出るじゃないの。んー、そだねえ……じゃあ、さらにひと稼ぎする
「なに?」
「俺っちと酒呑み勝負を続行しようよ。威勢が良かったとは思うけどうちの子、あんま相手にならなかったっしょ? 俺っちが負けたら三倍払うよ」
「……」
もたらされた破格の提案に、ボスは考え込む顔になった。たしかに勝負――稼ぎとしてはイマイチだったのだろう。おれは清算のために持ち上げた注文票をふたたびテーブルに伏せ、乱入者たちを見つめた。
「だがオレはもう四杯呑んでる。そっちだけ素面からスタートってのはなぁ」
「あっそ。んじゃこれでいい?」
「!」
美男は線の細い肩をすくめたあと、おもむろに小悪党のひとりから酒瓶を奪い取った。栓を開け――気のせいでなければ、中から勝手に押し出されたように見えた――、ぐいと一気に中身を煽る。褐色の細い喉へぐびぐびと酒が吸い込まれていく様は、まるでそう……魔法のようだった。ちゃんとしたものは、見たことはないが。
「んん、美味し。俺っち、この町の酒好きよ」
「ほ、ほほーぉ、ちょっとはやれるみてぇだな。よし、その勝負乗った! 新しい机とグラス用意しろや!」
「じいさん、オレも手伝うぞ」
「未成年は黙ってること。お肉でも食べて待ってて。好きなモノ頼んでいいよ」
「わかった」
*
「あーらら、もうおしまい? まだまだ夜は長いよ?」
「うるにゃああ、こにょ……やしゃ、おとろ……」
珍しいことに、酒場は今宵二度目の静寂に包まれていた。聞こえるのは先に酔い潰れた青年の寝息と、今まさに潰れようとしているボスの呟きだけだ。呂律が回っていない彼の顔は、赤を通り越して土気色をしている。
高く積み重なったグラスの向こうで、紫の瞳を涼しげに細めた男がにっこりと笑んでいた。
「そろそろ勝負から降りたほうがいんじゃない? 店の酒、ほとんど無くなったと思うけど……お支払いのほうはだいじょぶ?」
「ふぬう……‼︎ あれだ、ありぇ、もてこい!」
「へ、へい!」
むしゃむしゃと肉料理を貪っている斧青年の脇を恐々と抜け、手下が持ってきたのは古めかしい瓶だった。あッとおれは思わず声を上げそうになる。あの特徴的なラベルは間違いない。一度取引で見たことがあるが、相当に高価な酒だ。
いや。一番の問題は、値が張ることじゃない。
「こいつで……しみゃいだ……‼︎」
「へえ、いいねえ。素敵な夜と、あたたかな旅の出会いに――乾杯!」
グラスに並々と注がれた液体は、一見酒とは思えぬ青色の液体だ。相対者たちはグラスを一度ぶつけ合い、口をつけてぐいと一気に傾ける。
「ぼ、ボスぅーーッ!」
がっちゃあんと派手な音を響かせ、顔の上に青の液体をぶちまけながらボスが床に崩れ落ちた。完全に意識が飛んでいる。
「な、な、なんだこいつ……‼︎ 今の、
「じゃあこう考えてみたら?」
空のグラスから形の良い唇を離し、男は迫力のある笑みを浮かべた。
「――“普通ではないもの”が目の前に在る、ってね」
ざわざわと、空気が奇妙にうねる感じがする。まるで見えない刃を首筋に押し当てられているような重圧。風もないのに吊ってあるランプの灯が揺らめき、おれの視界がちらちらと明滅する。その合間に、紫と黄金に輝く異形の瞳を見た気がした。
ぱっとその重圧が消え去ると同時、明るい声が響いた。
「さあて、これで勝負はついたってことでおっけー? 他にやりたいひといる?」
取り囲む手下たちは、誰もが力なく頭を左右に振る。
「あ、もし力自慢がいるなら、この子と腕相撲対決でもいいけど?」
手下たちは各自が持てる運動神経のすべてを使い、ぶんぶんぶんと高速で頭を振った。それを見た斧青年は、つまらなそうにプッと鳥の骨を吐き出す。のそりと立ち上がり背から斧を外したので全員が息を呑んだが、どうやら仲間を背負うためのようだ。
「それじゃセイちゃん、宿に戻ろっか。君の妹はお怒りだろうねえ」
「知らん。怒られるのはコイツだけだろう」
「んー、どうしてリンちゃんはこんな勝負に乗ったんだろうね。普段はあんなに吠えてても、根は賢い子なんだけど」
「あ……あの」
優男と金髪青年を背負った斧男が振り向き、おれを見る。思わず声をかけてしまった自分に、おれ自身が一番驚いていた。『良識ある旅人のルール』ではもちろん、こんな行動は奨励されていない。けれど――。
「その彼……あなた達に危険が及ばぬよう、頑張ったんですよ」
「……あー、なるほどねえ。宿の周りでこそこそしてた奴らは、ここから湧いてたってわけか」
「そんなもの、来てから追い払えばいいだろ」
「あらゆる騒動を未然に回避させるのがこの子の仕事なんだよ。うん、でも理由は大体わかった。これでなんとかエルシーちゃんも許してくれそ」
不服そうな斧青年に苦笑したあと、彼は仲間の背で眠りこけている金髪青年の頭にコンと軽く拳を当てた。
「にしても、相変わらずひとりで頑張りすぎるんだから。やっぱ、ちゃんと酒の呑み方を伝授してやらないと」
「はは。それはたしかに言えますな」
「君、教えてくれてありがとね。お互いに、良い旅を」
女なら卒倒しそうな美しい笑顔をおれに向け、男は軽やかにそう告げた。ドアベルの音を引き連れ、颯爽と闇へ消えていく。
「……」
背後では倒れたボスを取り囲み、手下達が後片付けに奔走している。悪党どもの大失敗に、店のやつらが大損だと文句を言い始めた。いつもの煩雑な賑やかさの中、ひとり佇むおれのことを気にする者などいない。でも少しだけ、心がふわふわとしていた。
語り継がれる英雄譚の主人公にも、人々に畏れられる存在にも、おれはなれない。
ただその一端を、この目で見ることならできる。
「さて、おれも帰るか。明日も早い」
どんなに不思議な物語にだって、目撃者は必要なのだから。
–とある酒場にて 完–
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