パズルが解かれた時

吟野慶隆

パズルが解かれた時

 爪庄(つめしょう)慈具(しげとも)は、駅のロータリーから出ると、国道沿いを歩き始めた。

「ええと、たしか、角にコーヒーショップが建っている交差点を左折、だったな……」

 慈具は、足を動かしながら、そんな独り言を呟いた。彼は、四十代前半という年齢相応の、落ち着いた雰囲気の格好をしていた。右肩からは、くたびれたボストンバッグを提げている。

 歩いている途中、リサイクルショップの前を通りかかった。それの、通りに面している壁は、ガラス張りになっていた。なんとなく、それ越しに、店内に視線を遣る。

「えっ?!」

 思わず、そんな声を上げて、その場に立ち止まった。こしこし、と両目を軽く擦った後、あらためて、店内にある商品陳列台を凝視する。

「間違いない……あそこにあるのは、セイバーソー・パズルのアンカタブル・エディションだ……! いくら、インターネットじゅうを探しても、手に入れられなかったから、もはや得ることはできないだろう、と諦めていたが……まさか、こんな所で見つかるとは……!」

 慈具は、興奮した口調で、そんな独り言を呟いた。たまたま近くを通りがかった、中学生くらいの女子が、気持ち悪い物を見るような目を向けてきたが、気にしていられなかった。

 それから彼は、ズボンのポケットからスマートフォンを取り出すと、それのディスプレイを明るくした。今は、午前十時三十五分。約束の時刻まで、まだ余裕がある。

「よし……今のうちに、購入しておこう……!」

 そんな独り言を呟くと、慈具は、リサイクルショップに入った。目当ての品を手に取って、レジに向かう。

 慈具は、幼い頃から、パズルを解くことを趣味としていた。クロスワードに数独、詰将棋にルービックキューブと、パズルの類いであれば、何にでも挑戦してきた。そのため、今や、彼は、世界じゅうにあるパズルの中で、自分が取り組んだことのない種類のパズルはない、という自負を抱いていた。彼が運営している、その趣味をテーマにしたブログにも、「もはや、この世に、自分が経験したことのないタイプのパズルは、存在しないだろう」「そう考えると、少し寂しい気持ちになる」「もう、あの、新しい感覚のパズルを見つけた時、チャレンジしている時の興奮を味わうことは、できないのだろうか」という内容の記事を掲載したほどだ。

 慈具は、目当てのパズルを購入して、退店した。再び、目的地に向かって、国道沿いを歩き始める。

「いやあ、それにしても、まさか、セイバーソー・パズルのアンカタブル・エディションが手に入るとはなあ……今日は、いい一日になりそうだ」顔が綻ぶのを抑えられなかった。「……後は、カックロさんから、例のパズルを、何事もなく買い取られればいいんだなあ……」

 慈具のブログに、「カックロ」という人物からメッセージが届いたのは、今から二週間ほど前のことだ。その内容は、「自分は、とあるパズルを持っています」「おそらく、あなたが経験したことのない、新感覚のパズルです」「もし、よかったら、買い取ってもらえないでしょうか?」というものだった。

 メッセージには、そのパズルの外観を撮影したという画像が添付されていた。慈具は、半信半疑、いや、一信九疑くらいで、それを閲覧してみた。自分のパズル好きを知った何者かが、適当なオブジェを、「これは新感覚のパズルだ」と偽って、高値で売りつけようとしているんじゃないか。そんなことを考えていた。

 その画像には、奇妙な見た目をした物体が写っていた。形は、ぐにゃぐにゃに歪んだ十二面体のようである。各面は、さまざまな色に塗り分けられていて、ルービックキューブのような筋が、直線的あるいは曲線的に刻まれていた。それらの筋に囲まれたマスの中には、奇怪な絵が描かれていたり、見たことのない字が書かれていたり、何もなかったりした。浅い擂鉢状に凹んでいるマスや、チェスの駒のようなアイテムがくっつけられているマス、楕円形をしたボタンが設けられているマスもあった。全体的に、安っぽい玩具のような雰囲気が漂っていた。

 その物体を目にした瞬間、慈具は、「これはパズルの一種である」という思いを抱いた。彼は、幼い頃から、ありとあらゆるパズルにチャレンジしてきたのだ。それらの経験により培われた直感が、びんびん、と反応していた。

 その後、彼は、カックロとメッセージを交わして、詳しい事情を聴いた。なんでも、カックロの父が、数ヵ月前、心臓麻痺を起こして亡くなり、カックロは、遺産を相続したそうだ。父親は、特定の条件を満たす物品を収集する趣味があった。だが、カックロとしては、そのコレクションについて、まったく興味を持っておらず、売れる物は、どんどん売っているらしい。

 そんな中、例のパズルを見つけた、とのことだ。父親は、保管している物、一つ一つについて、ノートに情報を記載していた。それのおかげで、その、奇妙な見た目をした物体が、ただのオブジェではなく、パズルである、ということがわかったらしい。ノートには、「パズルは、まだ、解かれたことがない」「一度、やってみたが、よくわからなくて、諦めた」というようなことも書かれていたそうだ。

 カックロは、そのパズルも売ろうとした。しかし、どことなく安っぽい雰囲気が、その物体に漂っているせいか、大した値を付けてもらえなかった。そこで、フリーマーケットにでも出そうか、と考えて、インターネットを巡っていたところ、慈具のブログを見つけたそうだ。それで、彼なら高く買い取ってくれるのではないか、と考えたらしい。

 最終的に、慈具は、あるメッセージを送った。それは、「会えないでしょうか?」「実際にパズルを見てみたいです」「今のところ、買い取りたいと考えています」「その場合の値段についても、話をしたいです」というものだった。

 対して、カックロは、承諾する旨のメッセージを返してきた。それには、「自分としても、ぜひ、話をしたいです」「詳しい内容は省略するが、いろいろと事情があるので、こちらの自宅まで来てくれませんか?」ということも書かれていた。

「……おっ、この家だな」

 慈具は、そんな独り言を呟くと、ぴたっ、と足を止めた。彼は、今、住宅街の中にいた。

「メッセージに添付されていた画像のとおりの外観だ。表札に書かれている苗字も、同じ。かなりの珍名だから、同姓の別人、という可能性もないだろう……」

 そんな独り言を呟いて、慈具は、門柱の奥に視線を遣った。そこには、ヨーロピアンな雰囲気の漂う豪邸が建っていた。

「ふうん……金持ちなんだろうな……」

 慈具は、そんな独り言を呟きながら、インターフォンのボタンを、ぽちっ、と押した。きんこーん、という、どこか優雅な感じのする──こんな所まで豪華なのか──ベル音が鳴った。そして、しばらくしてから、「はい」という男性の声が聞こえてきた。

「どうも、爪庄です。今日、会う約束の……」

 そう告げると、男性は、「わかりました、爪庄さんですね。少しお待ちください」と言った。ぶつり、と通話が終了される。数十秒後、両開き式である、重厚な雰囲気の玄関ドアが、がちゃり、と開けられた。

 出てきたのは、二十代後半くらいの、若い男性だった。フレッシュな雰囲気の格好をしている。

「初めまして。カックロです」彼は軽く微笑んだ。「どうぞ、上がってください」

「失礼します」

 そう言うと、慈具は、カックロの後に続き、玄関に上がった。廊下を歩いて、LDKに入り、ダイニングテーブルにつく。

 テーブルの上には、バスケットボール大の木箱が置かれていた。慈具の反対側に位置している椅子に座ったカックロは、「これが、例のパズルです」と言うと、箱を、さっ、と持ち上げた。

 箱の底面が、テーブルの上に残されており、そこに、パズルが載せられていた。メッセージに添付されていた画像のとおりの見た目をしている。

「ふうん、これが……」慈具は、数秒間、パズルを、まじまじ、と見つめた後、カックロに視線を遣った。「少し、触ってもいいですか? 手袋を持ってきているので……」

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」

 その後、慈具は、ボストンバッグから手袋を出すと、両手に嵌めた。「失礼します」と言って、パズルを持ち上げる。くるくる、と回転させたり、いろいろな角度から眺めたりした。

 数分後、彼は、パズルを元の場所に置いた。「たしかに、これは、わたしが今までに挑んだことのないタイプのパズルのようですね」少し興奮しているせいで、じゃっかん、声が上擦っていた。「これに関連する品は、ありませんか? 包装の紙箱とか、説明書とか……」

 カックロは、大袈裟でない程度に申し訳なさそうな顔になった。「それが……いっさい、ないんです。父が保管していたのは、この物体だけで……」

「そうですか……」残念だが、パズル本体さえあれば、問題ない。

「……それでですね、爪庄さん。トラブルにならないよう、お売りする前に、お伝えしておきたいのですが……実は、これ、曰く付き、なんです」

「は?」慈具は、ぽかん、と口を半開きにした。「あ、失礼」と言って、閉じる。「……曰く付き、ですか?」

「ええ」カックロは、真面目な顔をして、こくり、と頷いた。「というのも、父は、そういう類いの、不吉な品、禍々しい品の収集が趣味だったんです。所有している人物が、ことごとく心臓麻痺を起こして死亡しているという、サファイアとか、非業の死を遂げた、なんとかいう武将が持っていたという、日本刀とか……」

「はあ……」慈具の顔に、露骨な不安感が現れた。「……それで、このパズルの曰くとは、いったい、どのような?」

「ノートに、詳細が書かれていました。なんでも、『パズルが解かれた時、怪人たちが現れる』というものらしいです」

「怪人……ですか?」

「ええ。ノートには、そうとしか書かれていなくて……。いや、でも」カックロは慌てたような表情になった。「たぶん、いや、十中八九、問題ないと思います。パズルそのものに、実害があるわけではありませんし……それに、あくまで、曰く、ですからね。たとえ、解いたところで、何もやってきやしないでしょう。クライヴ・バーカー監督のホラー映画じゃあるまいし……」

「……まあ、そりゃ、そうでしょうね」

 曰く付き、と知った時は、少し不安に思ったが、聴いてみれば、大した内容ではない。だいいち、自分は、いわゆる心霊現象に対して、かなり懐疑的だし、ホラー映画の類いも、平気で視聴できる質だ。なにより、そんな、真偽のわからないような曰くごときで、こんな面白そうなパズルを避ける気にはなれない。

 そう考えると、慈具は、「わかりました」と言った。「このパズル、ぜひ、買い取らせてください」

「そうですか。それはよかった」カックロは、ほっ、としたような表情になった。「もし、やっぱり要りません、とでも言われたら、どうしようか、と思っていましたよ」ふふ、と微笑んだ。「それでは、値段の件なんですがね……」


「よし……この調子で進めていけば、今度こそ、解けるはずだ……!」自宅リビングのソファーに座っている慈具は、そんな独り言を呟きながら、カックロより買い取ったパズルを弄っていた。

 カックロと会ってから、三か月が経過していた。その間、慈具は、暇さえあれば、そのパズルに挑んでいた。それは、子供でも楽しめるようなシンプルさと、大人でも楽しめるような奥深さを兼ね備えていた。説明書はなかったが、解いたと見なされる条件や解き方などについては、あれこれ試していく中で、見当がついた。

 十数分後、慈具は、ソファーの前にあるテーブルの上に、ことっ、とパズルを置いた。

「よし……後は、この、楕円形のボタンを押しさえすれば、クリアだ……!」

 その後、彼は、そのとおりに行動した。そして、目当てのボタンを、ぽちっ、と押した、次の瞬間、じゃじゃじゃじゃーん、という電子音が、パズルから鳴り響いた。

「?!」

 電子音は、その後も、ぱっぱらぱんぱらぱん、びよんびよよよびよーん、ぼえーんぼよぼよぼよ、などと鳴り響き続けた。いずれも、聞いた者に不気味な印象を抱かせるようなメロディだった。耳を塞ぐほどのボリュームではなかったが、耳を塞ぎたい衝動に駆られた。

 数秒後、電子音は、ぴたっ、と止まった。次の瞬間、しゅぴいいん、という音を立てて、テーブルの周りに、発光物が四つ、現れた。

 それらの光は、すぐに収まった。その後に姿を現したのは、奇怪な見た目をした怪物たちだった。おおよそ人間の形をしていたが、明らかに人間ではない。肌が透き通っていたり、頭が四つあったり、鼻が失われていたり、脚が螺旋を描いていたりしていた。

「……?!」

 その後、人間擬きたちは、自身の体から生えている、複数の、腕らしき部位を動かすと、それらの先端を叩き合わせ始めた。ぺちっ、がきん、ぬちゃ、もぴょ、などという音が鳴った。

 人間擬きたちは、さらに、その動作を行いながら、口らしき器官を動かすと、何事か喋り始めた。声は、ヘリウムガスを吸っているかのように甲高かったり、老人のようにしゃがれていたりしていた。

「PNFEFUPV……PNFEFUPV……QBAVSV LVSJB PNFEFUPV……」

「ひ……ひい……!」

 慈具の顔は、真っ青になっていた。歯は、がちがちがち、と震え、脚は、がくがくがく、と揺れていた。まさか、カックロの父親がノートに書いていた「曰く」の内容が、真実だったなんて。自分は、いったい、これから、どうなってしまうのか。

 十数秒後、人間擬きたちは、腕らしき部位や口らしき器官を動かすのをやめた。それから、そのうちの一体が、手らしき部位を操り、パズルを指した。

「……?」

 次の瞬間、慈具から見て、パズルの手前、テーブルの表面から数センチ離れたあたりの宙に、小さな光の球が現れた。

「……?!」

 光の球は、じょじょに形を変えていきながら、ゆっくり下降していった。そして、それの見た目が、薄っぺらい長方形のようになったところで、ふわり、とテーブルに着地した。それからすぐに、光も収まった。

 直後、人間擬きたちが、しゅぴいいん、という音を立てて、一瞬だけ発光した。慈具は、驚いて、左右の瞼を下ろした。

 彼は、その後、目を閉じ続けたが、何の音も聞こえず、何の気配も感じられなかった。しばらくしてから、おそるおそる目を開けると、人間擬きたちの姿は、消え失せていた。しかし、テーブルの上、パズルの手前には、さきほど出現した、薄っぺらい長方形をした物体が残されていた。

「……?」

 慈具は、びくびくしながら、その物体の表面を覗き込んだ。それは、何らかのカードのような見た目をしていた。表面には、幾何学的な模様が描かれており、未知の文字が記されていた。

 しかし、彼には、その文を理解することができた。

 それは、次のような内容だった。


「おめでとうございます! あなたは、みごと、クヴァームフ・オブジェクト・パズルをクリアしました! 記念品として、正解者認定カードを贈呈します!


 スードック・ホビーランド 天の川銀河店 ※当カードのフォントには全知性体共通理解書体を使用しています」


   〈了〉

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