第二話「秘密のお茶会」(3)


 昼飯のために訪れた食堂にまで、グロウとその取り巻き連中は付き纏ってきた。ここまでされるといくら気心がしれた友人という相手でも、そろそろ面倒になってくる。

 教室八部屋分はありそうかという程大きなこの学生食堂は、昼間の時間帯はそれなりに盛況だ。家からお抱えシェフの力作ランチを持ってくる富裕層も多いこの高校で、唯一褒められる部分であるとリーファは思っている。

 どんな学生でもお腹いっぱいになるであろうボリューム満点のメニュー達が、リーファだけでなく学生達の心を掴むのだ。だが、そんな至福の時間も、余計なおまけのせいで素直に楽しめない。

 食堂は何も赤組のためだけに開放されているわけではないので、遠巻きながらも他クラスの生徒達が何事かとこちらを窺っている。この段階になってくると、グロウも羞恥心すらなくなったのか、極めて直球な言葉を口に出していた。

「だからよ、あんなお高くとまった女なんて放っといて、俺と遊びに行こうって」

「お前にあの子の何がわかんだよ? 予定が空いてたとしてもお前とは行かねえ。さっさと失せな」

「そ、それは……」

 大きなカツサンドを頬張りながらリーファがしっしと手を振っても、ハンバーグ定食を言葉の代わりに素早く口に放り込みながら、それでもグロウは引こうとしない。この学食のテーブルは四人掛けばかりなので、取り巻き連中は隣の席で三人とも北部のご当地丼を食べている。

「とにかく! 俺らがあの女を知ってようが知ってまいが、そんなのどうでも良いじゃねえか! 放課後、俺に付き合ってくれよ」

 これではまるで口説き文句じゃないか。事の経緯を知らない周りの人間達は、皆が皆冷やかしのような目でこちらを見ているのが気配だけでもわかる。大声で、こんなところで話す話題ではない。

 リーファはそう結論付けてカツサンドをさっさと口に放り込むと、グロウ達なんて目にも入っていないかのように席を立つ。慌てて立ち上がったグロウを視界の隅で確認すると、もうハンバーグ定食は綺麗に食べ終わっていた。取り巻き連中も立ち上がり――おいおい、なんで更に四人も増えてんだ?――ついてくる。

 食堂から少し離れた廊下に差し掛かったところで、ついにグロウがリーファの前に立ち塞がる。まだ昼飯時のこの廊下は、教室に続くそれとは違う。もう疲れてしまったリーファは午後からの授業はサボってしまおうと、屋上に向かうこの廊下を選んだのだが、それがグロウのおかしなスイッチを入れてしまったらしい。

 背後では四人増えて合計七人の取り巻き達が、文字通りの通せんぼの形をとる。これでは食堂の方から見ても、どういう事態になっているのか窺うことは出来ないだろう。この廊下の奥は屋上への階段と普段から使用されている教室と言えば音楽室ぐらいしかない。人通りが少ないことは嬉しいことだが、この状況には少し問題だった。

「おい、リーファ!」

 グロウが馴れ馴れしく名前を呼んでくる。名前を呼ばれること自体はいつものことなのに、何故か今は非常に不快だった。その自分の心の変化に驚きながら、リーファが手を考えていると、階段から降りてくる人影が視界に入った。

「何してるんだ?」

 グロウの手がリーファの肩に掛かった瞬間、その人物は目を見開いてこちらに駆け寄ってくる。漆黒のジャケットが見えて、リーファは思わず舌打ち。

 その人物はリーファ達のクラスの担任である数学教師のリティストだった。常日頃から漆黒のジャケットに身を包んでいる担任がこちらに向かって走って来ても、グロウも取り巻きも焦る素振りすら見せない。それもそうだ。

 リティストは問題児ばかりのクラスを担当するには、誰が見ても役不足な若い男であった。数学が得意ですと言われたら誰もがそうだろうなと頷くその細い体格は、女で、しかも学生であるリーファですらも『自分が殴ったら倒せる』と思わせる貧弱ぶりで、赤組の生徒達からの尊敬なんてものは皆無である。

 教職というストレス環境のせいか金の短髪は輝きが弱く、その下で光る紫の瞳がやけに印象に残る。好青年や男前といった形容が似合うはずの顔のパーツなのに、問題児達に疲れ果てた風体がその全てをぶち壊してしまっている。

「なーにもー?」

 グロウがわざとらしいくらいの笑みを浮かべて、リーファの肩から手を離す。その手をそのままリティストの肩に乗せ変えて、今度は凄みの効いた真顔で低い声で言う。

「先生、クラスメート達が仲良くしてるの止めるんすか?」

 肩に手を掛けられたままでは教師生命的によくないと判断したのか、よせば良いのにリティストも伸ばされたグロウの腕に手を掛けた。身長だけはリティストの方が高いが、その腕の太さは丸太と針金。両者違う意味で血管の浮き出た手に、ぐっと力が入ったのがわかった。

「グロウくん。君とは少し話した方が良さそうだね?」

 針金から、いやに低い声が響いた。全てを凍てつかせるようなその声は、ぞくりとした背筋の冷えと共に廊下に広がる。喧嘩に明け暮れた不良であるリーファにはわかった。この空気は――殺気。

 取り巻き達の顔からニヤついた笑みが消えた。対峙しているグロウの顔からは、表情というものが消えている。

「っ……また今度な」

 野生動物ばりの感覚でその空気を察したのか、グロウはそれだけ小さく絞り出すと、さっさと食堂に向けて踵を返した。それに慌ててついていく七人は、酷く足をもつれさせながら歩いていく。さすがは赤組の中心人物。相手の危険度を見極める鼻は、リーファよりも優秀かもしれない。

「ふぅ、大丈夫かい? リーファくん」

 大袈裟に溜め息をついてから、針金――じゃなかった、リティストが笑顔で振り向いて言った。先程感じた寒気等、まるで最初からなかったような笑顔だ。

「は、はい……ありがとうございます」

 どう考えても逃げ遅れたリーファは、逃げ延びたグロウの背を追って食堂への廊下に向かって視線を投げた。くそ、この流れはマズい。

「いったいグロウくんと何があったんだ? これはクラス担任として、放課後にでも面談しないといけないな」

 やはりこの流れになってしまった。数学教師なんてものを好き好んでやっているこの男が、クソ真面目じゃないわけがない。おまけにこれまでは『担任』というだけだった面談の対象が、これからは『逃げられない程強い担任』とランクアップすることになるのだ。

――いったいこいつ、何者なんだよ?

 今まで喧嘩してきたどんな相手にも感じたことのない殺気を、この担任は先程放っていた。針金みたいにヒョロヒョロの身体からは、そんな気配を感じさせない。ならば魔力だろうか。

 こうなったら面談なんてさっさと終わらせて、どうせ逃げられないならばこいつの強さの秘密を探ってみようと考え直して、リーファは素直に担任に向かって頷くのだった。

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