第五話「悪者」(3)


 悪夢のようなその光景は、時間にすればものの数秒の出来事で。その数秒の時間の間に、グロウの取り巻き達はその若い命を奪われて、その『頭』が転がって来た。胴体から切断されたのであろう人間の頭部が、ごろりとリーファの視界の中に納まって、止まった。

 その頭にはリーファのクラスの担任である男の顔が貼り付いていて、既にその男が絶命していることは明らかだった。

――先生……

 驚きに目を見開いたまま絶命しているその表情から、彼と声の主の力の差は歴然だった。仮に全快の状態であったとしても、絶対にリーファが敵う相手ではない。腹に力が入らないおかげで悲鳴を上げずに済んだことが奇跡だった。

 声の主はどうやらリーファのことを殺したつもりでいるらしい。リーファの上に覆いかぶさったままである、グロウの大きな身体に隠れているからだろうか。彼もまた虫の息ではあるが、生きている。それでもその命が風前の灯火であることには変わりない。この出血は危険だ。もう呻くことも出来ない、朦朧とした意識の中を漂っているようだ。

 リーファの視界には声の主は映っていない。そこに映るのはリティストの首と、ギーラだけで。そしてその彼女がむくりと身体を起こしたものだから、リーファはまるで自分が悪い夢でも見ているような気分になった。

――駄目だ! ギーラ!! 今起きたら駄目だ!!

 声にならない悲鳴は、心の中だけでしか上げられなかった。だが、その彼女の繊細な手に、軍の制服姿の手が差し伸べられる。

「ギーラさんは随分趣味の悪い宴を開かれているようですなぁ」

 声の主が、まるで肉食獣のような欲望を剥き出しにしたような声で笑った。おそらくこの声の主が、愛しい彼女の手にその手を差し伸べているのだろう。そして彼女は、その手を取った。

「ふふ、これこそオリエンスの楽しみ方じゃない。何物にも勝る快楽を与え、その副産物として肉体すらも強化する。まさに『最高の商品』だわ。これでボーデン家も安泰よ」

 凛と、鈴が鳴るような清らかな声で、彼女は邪に笑った。ところどころ破れた痛々しい姿が、今ではまるで、魔界の淫魔の装束にすら見える。欲望を笑いながら謳うその口からは、淫らな雫が筋になって零れる。

「最初に取引の話を貴女のお父上から持ち掛けられた時には、学校内で栽培など随分酔狂な考えだと思いましたが、あながち間違いではなかったようですなぁ。あの特務部隊を二ヵ月も欺くとは」

「汚らわしい犬の正体が、まさか数学教師だったとはね。随分な男前だから目をつけていたのに、残念だわ。何も知らない頃に戻れるなら、一度寝ておきたいぐらいだったのに」

「特務部隊には麗しい容姿の人材が多いらしいですから。ですがお嬢様は、レズビアンではなかったのですかな? 確か数日前には彼女が出来たとか」

「貴方達みたいな変態とは一緒にしないでちょうだい。彼女とは『ビジネスの付き合い』なの。彼女には『オリエンスの風味を整える役目』を担ってもらって、その代わり私は彼女に恋愛ごっこを提供したわ。それに、女性の身体にどれだけオリエンスが効くのかも気になったから」

「男女共に学校内の同級生で人体実験とは……昨日の取引分から風味が『落ち着いた』のは、その彼女のお陰なのですね」

 倒れたリーファの心なんてお構いなしに、二人の『ビジネスの話』は進んでいく。

 確かにリーファは彼女に言った。少し酸味のようなものが強く、飲んでいる最中に舌の上が微かにちくりと痛むような違和感を感じるから、『もう少し深い甘みを足したら誤魔化せるだろうし、味自体もイーストゴールドに近くなって万人受けすると思う』と。

 そんなリーファに彼女は、偽りの好意をちらつかせて、その自身のビジネスを安泰なものまで押し上げたのだ。

 つまりリーファは、彼女にとっての共犯者で実験動物だったのだ。それはリーファだけでなく、グロウ達も。

 渦中の二人に息があることなど思いもしていないであろうギーラは、邪なる思惑を告白していく。

「もうここまで『風味』が安定すれば、流通に関しての問題はクリアしたも同然よ。イーストゴールドに偽装する形で軍部内や……こっそり貴方の国にも流してあげる。感謝しなさい」

 偽造元の風味に寄せるために、彼女はリーファの心を利用した。そして違法なる『オリエンス』は、これから東部の軍内だけでなく、他国への秘なる商品として広がっていく。

――許せない! ギーラも、この声の主も……あたしを、グロウを……こんな目に合わせやがって……

 憎しみの心が身体を突き動かすのは、ある程度身体に自由が利く場合だけだった。憎しみの炎はどんどん湧き上がるというのに、リーファの身体は指一本動かない。

 命というものが零れ落ちそうなその身体からは、もはや軍人の鼻ですら生の匂いを嗅ぎ取ることは出来ないようで、どろりとした血の海に浸かった二人の息を確認するような素振りはない。

「さて、それでは私はもう帰りましょう。貴女には『この現場の被害者』として気を失ってもらっておきましょうか。手荒になって申し訳ありませんが」

「いいわよ。気を失ったふりってのが、私にはどうにも向かないことがさっきわかったから。寒い青春ヤンキーものでも見せられているようで、むず痒くて仕方なかったの。私がいなくても、『売り物の部分』はわかるでしょうね?」

「ここの収獲用の設備を使えば五分もかかりませんからな。そこは問題ありません。茶葉の部分さえ見つからなければ、貴女の罪はお父上がもみ消してくれるでしょう。それでは、機会があれば、またいつか……」

「ええ。ごきげんよう」

 まるで親愛なる別れの挨拶のようにして、軍服の袖が彼女の首に手刀を落とした。糸の切れた人形のように地面に倒れる彼女を追うように、リーファの意識も悪夢の波に囚われるようにして混濁していった。

 再びこの目が開かれた時には、どうか悪い夢を見ていただけだと、愛しかった頃の彼女と笑い合えるように願いながら、リーファはそのルビー色の瞳を閉じた。

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