第四話「学園内の秘密の取引」(1)


 グリーンローズハイスクールの中庭は、赤組以外の生徒達からは『庭園』と呼ばれ、赤組の生徒達からは『決闘場』と呼ばれている。美しい装飾と草木が、見事な造形の噴水を中心として放射状に広がっている。コの字型の校舎の真ん中に位置するこの中庭は、噴水や整えられた草木、そして歴代校長を模した像の面積を引いたとしても、なかなかの広い空間を保持していることになる。

 噴水前の開けた空間には、隅に何脚かガーデンチェアがあるだけで、円形の広場には何の障害物もない。この空間を決闘のために使うなど、赤組の生徒しか考えないことであろう。だからこそ、この中庭は赤組とそれ以外の組では呼び方が違うのだ。

「すまないね。リーファくん。ここなら、邪魔は入らないだろうから」

 優しい笑みを浮かべながら、リティストがリーファを振り返る。彼は噴水の真ん前に立っており、午後の日差しを受けた彼の姿はまるで天使のように神々しい。しかしその漆黒のジャケットが、どこか闇を引き摺っているようにも感じてしまう。常闇が似合う、不思議な漆黒だ。彼は常に、その色を外さない。

「邪魔って……まるで決闘か、取引でもするみたいな物言いだな」

 不適に笑ってやりながら、リーファは密かに舌打ちしたい気持ちを抑え込む。

 リティストからは明らかに、教員から発せられるべきではない戦いの気配を感じるのだ。彼は、強い。その強さは本人が意図しているかは別にして、他者を圧倒するプレッシャーとして空間を支配することも出来る。

 彼からは明らかに、強者の空気が滲み出ている。およそこんな学校にいるべきではない。例えるならば軍人か何か。

 長年不良をやっているリーファは、もちろん街で治安維持のための軍人さんのお世話になったことも一度や二度ではない。治安維持のために街を監視している軍人達は、下っ端らしく秩序に欠ける人材が混じり込んでいることも多々あり、時たま不審な人間に対するやりすぎな“尋問”が問題になることもあった。

 誇らしげに言うことではないが、リーファが今までそんな治安維持の軍人相手に無事であったのは、自身が女であったということに他ならない。不良仲間であった男子生徒が病院送りにされるなど、それこそ何人も見ている。だからこそリーファは軍人という生物の足運びも熟知しているし、彼等が発する一般人とは違う独特の空気感もわかっているつもりだ。

「取引、か……確かにこれからする話は、取引に関することになるな」

 辺りには人影は全くない。下校時間であるこの時間帯は、一番混み合う校門以外は人の姿が疎らになる。部活動も何種類かあるが、そこまで熱心な校風でもないので、形だけの活動を繰り返している部も多い。中庭は確か生徒会の美化活動の活動場所だったはずだが、おそらく毎日行う程の熱意があるとも思えない。グリーンローズハイスクールにおいて生徒会という活動は、自身の内申点を上げるための、優等生達のためのお遊戯会に近いものがあった。

「取引って?」

 学内ではおよそ聞き慣れないその単語に、リーファは警戒心を隠さずに問い返す。リティストの表情は変わらない。ふいに冷たい風が足元を撫でた気がした。

「……この校内で、幻覚作用のある薬草を栽培し、それをあろうことか流通までさせている生徒がいるという疑いがあってね」

 がつんと頭を殴られたような衝撃だった。リティストの表情は変わらない。端正なる男の冷徹な表情は、鋭利な切れ味のナイフを彷彿とさせる。

 校内で幻覚作用のある薬草を栽培……薬草という言葉に、一番に連想される場所は、あのギーラの『温室』だ。あの温室で栽培されている『茶葉の元』の草花が、いったい何なのかリーファは知らない。茶葉に関する知識は普通の人間より持っていると自負している自分が、その茎や葉を見ても種類を言い当てることが出来ないのだ。

――まさかギーラが? いや、でも……なんで? 理由が、動機が見当たらない。

 幻覚作用のある薬草は、それ即ち『麻薬』である。軍による厳しい取り締まりのお陰で、民間人にその危険な植物が出回ることはほとんどない、と思いたい。少量でも意識の混濁や記憶障害が起こりえる危険がある麻薬は、ここ東部だけでなく大陸全土の法律で禁止されている代物だ。

 それをわざわざ校内で、ギーラが栽培し、しかも誰かに売りさばいているというのか?

 法律で禁止されている物が高値で闇で取引されることは想像に容易い。だが、ギーラは正真正銘のお嬢様である。その家には唸る程の資産があり、彼女自身もその恩恵を受けているはずだ。今朝のリーファへのプレゼントを見ても、それは明白だ。彼女が自由に管理出来る金額は、そんじょそこらの学生の比ではない。

 ギーラには法律に触れる危険を冒してまで、取引を行う理由がないように思えた。金に困っている貧乏学生ならともかく、彼女に限って金のためにという動機は考えられない。しかもどこかの誰かに売りさばく等、それこそ不良仲間のような闇に近しい存在の協力が不可欠だろう。

 リーファは値踏みするようにリティストを見上げる。

 今朝、リーファの心にギーラに対するほんの微かな違和感が芽生えたのは確かだ。しかしその小さな感情だけで、目の前の男への信頼が勝る程、リーファはこのリティストという男を信頼できずにいた。

 今もこちらを闇を纏ったような紫の瞳で見下しているリティストには、教員としての気配は感じない。それこそ軍人、いや、もしかしたらその取引相手がリティストであり、彼からのカマかけの可能性まで考えられる。

「……なんで先生は、そんなことを知ってるんだ? 教員内で問題になってる、ってことはないだろ?」

 もし教員内でそんなことが問題になっているとしたら、その尻拭いに駆り出されるのはリティストではなく『優等生クラス』の担任だ。そしてそんな“面白そうな話”が少しでも話題に上がるものなら、鼻の利く赤組の連中達が黙っているわけがなかった。

「君が僕に協力してくれるなら、僕が何故この情報を知っているかも、どこまで調べがついているかも話そう。君は僕の調べた情報が知りたいだろうし、僕は君の協力を得た方が上手く事が運ぶと確信している。どうだい? 良い話じゃないか?」

「……」

 確かに、リーファからしたら悪くない申し出だ。口ぶりやリーファに声を掛けてきた過程から、どうやら彼はギーラと彼女の温室に目をつけているに違いない。そして、その彼女がリーファと特別な関係であることも予想しているのだろう。思春期真っ盛りな女生徒を陥落させるには、どんな説得のプロよりも恋人の言葉が一番有効であると心得ているのだろう。

 それに、今更後に引けないという感情もあった。彼の冷え切った瞳は、リーファの心を震え上がらせ、その口に拒絶も撤退も零させる隙を与えない。彼は、強い。これまで出会った誰よりも、残虐に――人を殺すだろう。

「わかった……教えてくれ」

 リーファの了承を得て、リティストはひとつ頷いた。

「ありがとうリーファくん。特務部隊東部支部の一員として感謝する」

「特務部隊、だと?」

 リーファの見立ては正しかった。リティストは正しく軍属の人間であった。しかしその所属は一般的な軍人とは異なる。

 特務部隊とは軍の中の暗部を象徴するような部隊である。その活動内容は主に暗殺や誘拐などの諜報活動。今回のリティストのように、本物の教員として敵地に潜入するといった作戦は、確かに特務部隊にとっては朝飯前の任務といえる。

 そして一般的な軍隊と異なる点がもう一つ。それは所属する人間一人一人の戦闘能力だ。基本的には単独での任務が多い特務部隊の人間は、各々が高い戦闘能力を持っているというのだ。存在自体が噂話程度の眉唾ものの情報しかリーファも知らないが、目の前の男を見るに、それらの話もあながち間違いではないような気がする。隙の無い立ち姿は、腕自慢の不良でもなかなか体得出来るものではない。

「僕は教員としてこのグリーンローズハイスクールに潜入している特務部隊の人間だ。もちろん教員としての免許も持っているし、教員としての時間は君達の成長のために全力を尽くしているつもりだ。今回の任務も、学内の風紀を乱す生徒のためへの生徒指導の一環だと僕は思っているよ」

 涼しい顔でそう言ってのけるリティストの姿に、リーファは一人納得した。彼がいつも纏っている漆黒のジャケットは、特務部隊としての組織のカラーを護ってのことだったのだ。もしかしたらそのジャケットも軍からの支給品で、本来の機能とは異なる魔法等への耐性を高めた装備なのかもしれない。

「どうりで“強そう”なわけだ」

「ふふ、僕も案外まだまだだったらしい。気に掛けていたとはいえ、一生徒に見破られている程度ではね」

「心配すんな。まだ皆、騙されてるよ。先生と対峙したグロウとそのお仲間達はわかんねーけど」

「……そのグロウくん達なんだが、僕の調べでは『例の薬草』の購入者である可能性が高いんだ」

「なんだって!?」

 思わず大きな声が出て、リーファは慌てて周囲を見渡す。この闇を纏ったようなリティストが構わず会話を続けている時点でその心配はないのだろうが、それでも自身の声のトーンには注意を払い過ぎているということはないだろう。学内には、人目があるのだから……

「……『例の薬草』には強い幻覚作用による性的な興奮の他に、長期間の服用によって急激な筋肉の増強作用もあるらしい。どうやら摂取した成分の吸収を高める効果があるようで、筋肉増強剤としても売り込まれているらしいんだ」

「グロウが……そんな……」

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