第四話「学園内の秘密の取引」(2)
リーファの心に、グロウの明るい笑顔が浮かぶ。裏表のない性格のグロウは、リーファからすればそんな違法な薬草に手を出すような男には思えない。だが、彼が強さを求めていたのは事実だ。彼は事あるごとにリーファに絡んでは、『俺の方が強い』と豪語していたのだから。
「売買先はグロウくん達だけじゃない。どうやら他国の軍にも流れているらしくてね」
「他国? それに軍だって? そんな奴等、この国に入ることすら出来ないんじゃないのか?」
一つの大きな陸続きの大陸の東部にあるハマナスの街は、大陸東部を統べる国家の所属である。東西南北、そして中央部に分かれたそれぞれの国は、今では争いを避けるために敢えて和平条約によって停戦の約束を結んでいる。戦争を繰り返していた遥か昔には、国毎に名前もあったらしいが、今ではそんな名前も捨てて、それぞれのことを地方で呼ぶようになっている。
停戦に合わせて各地方の軍も統合されて、今では通称『本部』と呼ばれる一大組織として“国民”の安全を守る組織として機能しているのだ。しかし元が別々の国ということもあり、表面上は平和を謡いながら、その水面下では際どい小競り合いが起きていることもしょっちゅうだ。
そのためこの東部の街では、街の門には常に検問所が設けられている。怪しい“他国”からの人間は、その検問所を突破することは出来ないという話だが……
「闇に潜む者達が、そんな生ぬるい“表”の調査を破るなど容易いんだよ。まだまだ世の中には、女学生じゃわからない“常識”がいっぱいなんだ」
そう言って怪しく笑うリティストの姿こそ、闇に生きる人間そのもので。その細腕に握るのはいったいどんな得物なのか。その優しい笑みの裏側で、どんな悪意を潜ませているのか。
「……コホン。怖がらせてしまってすまない。とにかくグロウくん達の最近の“鍛え方”は、単純な筋肉トレーニングだけで得られる量を超えている。グロウくんは特に普段から鍛え方も徹底しているようだけど、それでも何か『違法なもの』の力を借りていることは間違いないだろう」
今朝も見た、グロウの身体を思い出して、リーファは思わず自分で自分の身体を抱き締めるように抱えてしまった。
確かにこの二ヵ月程で、グロウの身体はまるで筋肉を膨らませたかのように強靭になっていた。一つ一つの筋肉の束の厚みが、学生のそれではないことぐらい、拳も蹴りも打ち込んでいたリーファもわかっていたつもりだ。だが、そこに違和感を感じ――ないように、自らを騙していたのは、己の心そのものだった。
彼の学生離れしたその身体も、彼の一心不乱な努力の証であって欲しかったのだ。目標に向かって真っすぐに突き進む、それがグロウの良いところで、そんな彼のことをリーファも嫌いではなかったのだから。
「あいつは……そんなことしない……」
文字通り、振り絞るような声が出た。言葉と同じく震える手を隠すために、ぎゅっと両手を握り締める。胸がどくんと跳ねた気がして、その暴れる心臓の上で、彼から貰ったプレゼントがぐんと熱を持った気がした。
――指輪……そうだ、指輪だ。
今朝のやたらバタバタしたやり取りを思い出し、頭が不良仲間のことから恋人のことに切り替わる。己の瞳の色合いを贈った愛しい彼女は、違法な売買の売人側として疑いを掛けられている。
「それは君の目で確かめたらどうだい? 僕はこれから温室<取引先と思われる場所>に向かうつもりだ。君にも“説得役”をお願いしたい。君の交友関係なら、“売り手”にも“買い手”にも説得役として申し分なさそうだからね」
間違いない。彼はもう、リーファのことも一通り調べ上げている。その関係が二ヵ月分だろうが一昨日からのものだろうが、彼はリーファの身辺をしっかりと調べ尽くしている。それが軍部の動きだから。リーファは何度も補導されているので、その細かさもわかっていた。彼は軍人で、そして特務部隊なのだ。
「……先生は、変だって……思ってるよな? その……あたしが女の子と……ギーラと付き合ってるっての……」
震えたままの声が、先程とは異なる理由で揺れる。この街でも大陸全土でも、同性同士が付き合うことは、白い目で見られる行為である。しかし――
「リーファくんは不良なんてものをやっているのに、今更周りの目を気にするのかい? 『普通』の真面目な生活を嫌うのが君達不良じゃないのかい? だったら何を恥じる必要があるんだ」
呆れたような声を上げるリティストに、リーファは驚いてその顔をまじまじと見詰める。その闇の色合いの深い瞳の裏に隠された、異物への嘲笑を探し出そうとするが……
「……驚かない、のか……?」
リティストの瞳には、ほんの欠片もリーファを軽蔑する光はなかった。それが巧妙に隠されたオトナの処世術だと言うならば仕方がないが、それでもリーファにはその瞳は信じられるものに思えた。
「……この学校内の話ではないが……僕の『職場』にも何人かいるよ。彼等も彼女等も本当に愛し合っているし、異性愛者の僕から見ても素敵な男性も多い。だからその気持ちを異端だなんて、思い込んで委縮しないで欲しい」
時に学生とは、世の中から見れば小さな世界の中でもがき苦しむものだと言う。学校という小さな小さな箱庭は、世の中全体から見れば極小さな聖域で。しかしその聖域には、狭い分より濃厚な決まり事が作られていく。リーファが正にそうだった。この小さな小さな箱庭の中での法律だけで、物事を、自身の恋心の善悪を、決めつけようとしていたのだ。
その狭く小さくそれでいて大きな思い込みに、手を伸ばせるのはオトナしかいない。遥かに広い視野をもって、その常識をぶち壊してあげられるのは、その頼りがいのある大きな手に他ならないのだ。壊す勇気がなくても良い。そっとその手を差し出すだけで、狭く小さな海に溺れてしまう儚き手を掬い上げることが出来るかもしれないのだ。
リーファは少なくともこの時、リティストの言葉に心が救われた。異端な恋だと思っていた。ひた隠さなければならない、異常な性的対象だと。男の不良仲間に想いを打ち明けられながらも、それに縋れない自分の心に、その心こそが悲鳴を上げていた。
――女の子を……ギーラを好きでも良いんだ……
思いもしない相手からの肯定に、リーファの心は自然に前を向き始めていた。その前を向いた先――そこには輝く程の陽の光はないかもしれない。だが、そこにいるであろう相手を、陽の光の元に引き上げてやることは出来るかもしれない。
違法な薬草を売る彼女も、それを買う彼も。リーファがリティストに協力すれば、万事上手くいくかもしれないのだ。
「……ありがとう。あたし、先生を手伝うよ」
流れそうになる涙を堪えて俯きながらそう言うリーファに、リティストは敢えて視線を逸らして頷いてくれた。彼の優しい気遣いにリーファの口元が緩んだその時、二人に向かって慌ただしい足音が近付いて来た。
「……どうしたんだい?」
駆け寄って来た人間が二人の前に現れる。息を切らせて登場したのは、リーファのクラスメートである男子生徒だった。赤組に在籍している人間にしては珍しい、文科系の大人しい生徒だ。リーファはおそらくタイプ相性が悪いので、彼とは話したことがなかった。体格もリーファの方が良いくらいだ。不良ばかりに目が行く赤組だが、不良以外にも掃き溜めの住人は多種多様に存在する。
優しい教員の顔に戻ったリティストが問い掛けると、少しばかり呼吸を整えるために時間を空けてから、その男子生徒は懇願した。
「温室で……温室でグロウ達が女の子を襲ってるんだ! あれは普段の悪ふざけな感じには見えないって! “武闘派”な皆はもう帰ってて、学校中探してやっとリーファを見つけたんだ!」
クラスメートの言葉がやけに冷えた頭に落ちてくる。みるみるうちに冷めた目つきになるリーファの肩を、リティストがそれ以上に冷たい目をして叩いた。
「急ごう。どうやら僕が考えている以上に、事態は深刻みたいだ」
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