ハロウィンの夜に
翌日のハロウィンパーティーは、毎年の事ながら盛況で、夕夏は亜希と一緒にあちこちの出店を回った。
交換のために用意していたお菓子はすっかり無くなり、代わりに貰ったお菓子で袋が一杯になる頃、終了のチャイムが鳴った。
このパーティーは他校で言えば文化祭に当たるので、当然片付けもきちんとしないと、後で先生たちから厳しく注意される。
飾りつけの少ない1年生たちと違い、凝った装飾を施す3年生が夕方まで片づけに追われるのも、もはや風物詩となっていた。
それでもこの一週間では一番早く、陽が沈み切る前に校門を出た夕夏は、いつものように空き地を目指して走っていた。
いよいよハロウィン当日だ。
昨日の割れたカボチャの事は気になっていたけれど、今夜はどんなカボチャが待っているんだろうと、夕夏はわくわくしていた。
しかし空き地に着くまで、その日は一つのカボチャにも遭遇しなかった。
どうしてだろう、今日はここを通るのが早すぎたんだろうか、と思いながら、夕夏は空き地に向かった。
校門を出る時はまだ日没前だったとは言え、ここはもう自宅のすぐ近くだ。
とっくに日は沈み、辺りは暗くなっていて誰も居ない。空き地にはこれまで夕夏が並べたカボチャたちが、いつものように光っていた。
「今日はもう、新しいカボチャは無いのかな……」
辺りを見回してそう呟きながら、夕夏はカボチャの方へ足を向けた。
その時だった。
「トリックオアトリート!」
不意に目の前から、そう大きな声がした。大きな声と言うよりは、大勢の声、という感じの声だ。
びっくりして足を止めた夕夏の前には、これまで並べて来たカボチャのランタンたちしかない。
周囲に人影はまるでなく、近くにスピーカーなども無いただの空き地だ。
「トリックオアトリート!」
再び目の前から声がして、夕夏は腰を抜かしそうになった。
この声を発しているのは、明らかに目の前のランタンたちだ。人が隠れられる場所も無いこんな場所で、他に声を出す者など考えられない。
そう気が付いた瞬間、夕夏の肩にずっしりと何か重いものが圧し掛かって来た。
「お菓子をくれないなら、悪戯しちゃうよ」
その声はまるで、耳元で死神にでも囁かれるような、恐ろしく気味の悪い声だった。
それと同時に、肩が締め付けられるように痛んで、夕夏は何が何だか分からないまま、必死で足を踏ん張った。
唐突に、亜希が教えてくれた話が頭に浮かんだ。
毎年一番最初に、カボチャのランタンを作って灯りをともした人は、ハロウィンパーティーの日に行方不明になる、というあの噂だ。
「お菓子ならいっぱいあるわ!今日はみんなにあげようと思って来たのよ、だから悪戯なんてやめて、みんなで食べよう」
鞄からお菓子の袋を取り出しながら、夕夏は声が震えそうになるのを堪えて、必死で肩の上の何かに呼び掛けた。
ずっしりと体重を掛け、夕夏の背中を覆うように絡みついて来るそれが、何なのかはまるで分からない。
出来る限り首を捻ってみても、黒い霧のようなものしか見えなかった。
「嘘だね。お前はそんな事思ってない」
「嘘じゃないわ、本当よ。今日はみんなにあげようと思って、こんなに沢山集めたんだもの」
それは本当だった。
ハロウィン当日の今日は、きっと最後のカボチャがやって来る。
そうしたら、空き地に集めたカボチャたちに、持って帰ったお菓子を配ろうと、夕夏はいつもより熱心にお菓子を集めたのだ。
「そんな事言って、僕らが怖いくせに。お菓子なんてやらないって思ってるくせに」
「違うわ、びっくりしただけよ。それにこんな風に怖い言い方をされたら、怖くて当たり前じゃない」
「ほーらみろ、やっぱり僕らが怖いんじゃないか!」
肩の上の黒い霧は、ねばつくような声を出すと、そう言ってせせら笑った。
一体どうすればいいのだろう。
今まで行方不明になったという生徒たちは、この黒い霧に消されてしまったんだろうか。
だけど自分は何もしていない。このわけの分からない何かに、何をされる
どうしてこんな事になったのかも分からないのに、自分は殺されるんだろうか。
夕夏が思わず泣きそうになったその時、不意に目の前のカボチャたちが声を上げた。
「このお姉ちゃんはお菓子をくれた」
「毎日毎日、僕らに話しかけてくれた」
「僕たちみんなに、名前も付けてくれた」
「怪我をした僕を、治そうとしてくれた」
「だからダメ」
「きみには食べさせない!」
カッ―――!
最後の言葉と同時に、とても眩しい光が、カボチャのランタンたちの小さな目や口から溢れ出した。
夕夏は思わずその場に両手をついた。そうしないと、自分がどこに立っているのかも分からなくなるような、明るく強い光だった。
「ギュアアアアッ」
肩に圧し掛かっていた黒い霧のようなものは、金切声のような悲鳴を上げた。
まるで光に押し飛ばされるように、夕夏の背中から浮き上がり、それでもしがみつくように肩に残ろうとする。
しかし光はなおも眩しく、空き地全体を真っ白にするほど輝いた。
夕夏ももはや、目を開けていられないほどの光だ。
やがてふっ、と夕夏の肩を掴む何かの気配が消えた。
振り返ると、黒い霧のような何かは、その光に呑み込まれるように消えて行った。
――夢を見た。
どこか悲しくて、やりきれなくて、けれど心の底からホッとしている、誰かの、誰かたちの夢だ。
「僕らを作ったのは、魔法使いのお母さんだった」
「毎年毎年、子供たちを楽しませたくて、ハロウィンの一週間前から、僕らをひとつずつ作った」
「そして毎年毎年、僕らを庭に置いて、子供たちと遊ばせてくれた」
「オレンジは1番目、グレイは2番目、ビッグは3番目、グリーンは4番目、リトルは5番目、ダルマは6番目、そして最後の子を7番目って、僕らは呼び合ってた」
「でも」
「子供たちは大人になってしまった」
「僕らとは遊んでくれなくなった」
「だから僕らは、僕らと遊んでくれる子供たちの家を訪ねて行くようになった」
「僕らはたくさん子供たちと遊んだ」
「すごくすごく、楽しかった」
「だけど」
「5年前、僕らはこの町に来た」
「最初、あの子は僕らを可愛いって言ってくれた」
「毎日遊んでくれた」
「子供が作ったみたいなランタンだね、って、いつも自分のランタンを自慢してたけど、でも僕らはあの子が好きだった」
「だけど、あの子はハロウィンの日に、急に怖い顔になった」
「僕らを怖いって言いだした」
「あの子は、喋るカボチャなんて『まもの』だって言った」
「僕らにはよく分からないけど、6番目の子が一番怖い、って言って壁に投げつけた」
「すごく、すごく、痛かった」
「僕らはみんな、怖くなった」
「だから、7番目の子が、一番魔法の力が強かった子が、あの子を食べてしまった」
「そして、僕らは呪われてしまった」
「あの子と一緒に、いつまでも同じことを繰り返す呪いにかかってしまった」
「お姉ちゃんが来てくれるまで、僕らには、どうすることも出来なかった」
「ありがとう、お姉ちゃん」
「いっぱい遊んでくれて、元気になるまでお菓子をくれて、ありがとう」
「僕らは、やっといける」
「いきたいところに、やっといける」
「だからばいばい、お姉ちゃん」
すうっ、と自分の目尻を涙が伝う感覚で、夕夏は目を覚ました。
昨日の夜、眩しい光に覆われて目を閉じた夕夏が、恐る恐る目を開けた時には、もう何もなくなっていた。
空き地に毎晩並べたカボチャのランタンたちも、背中を覆っていた黒い霧も、そして袋いっぱい集めたお菓子も。
自転車籠に入れて持ち帰った張り子のランタンだけが、まだケミホタルの光が残っていたようで、うっすらと光っていた。
何もかもが夢だったかのように。
夕夏はベッドから体を起こすと、カーテンをそっと開いた。
11月の最初の日、陽が昇るのは遅い季節だ。けれど空はもう、うっすらと淡い紫に染まりつつあった。
あの子たちは、どこに行きたかったんだろうか。ちゃんと行けたんだろうか。
もう二度と、辛い思いをしなくてすむようになったんだろうか。
そんな事を思いながら、夕夏は徐々に明るさを増していく朝焼けの空を、しばらくぼんやりと見つめ続けた。
ハロウィンの夜に しらす @toki_t
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