後編
やがてほとんど食べ終わったのか、猛禽類の彼らも順に飛び立ち始めていた。既にあの人の身体はほとんどなくなってしまっている。まだ最後の一部まで食べようと、残っているのもいたが、じきに飛び立ってしまうだろう。そうしてあの人の全てが、天に上るんだ。
「……ありがとう」
そして最後に出たのは、彼女へのお礼だった。それは何に対してのお礼だったんだろうか。わざわざ会いに来てくれたことだろうか、久しぶりにも関わらず、いつもの調子で話してくれたことだろうか。それとも単純に、僕のことを覚えてくれていたことだろうか。
種族が違う彼女に恋をして、彼女もおそらく僕に思いを寄せてくれて。そしていずれは彼女を一人にしてしまうのではないかと勝手に思って距離を取った、こんな僕のことでも……。
僕の内側にあるのは、酷く単純なことだった。彼女と出会った僕は、一目で恋をした。一緒にいたい、僕を好きになって欲しい。幼かった僕は、そんな真っすぐな思いを滾らせていた。
でも僕はある時、とある物語を見て衝撃を受けた。それは寿命が違う者達の、恋物語。いや、悲恋と呼ぶべき、そのストーリー。命の長さが違うからこそ、残される方がいる。一緒にいられる一時がどれだけ幸せなものであったとしても、それは二人で終われるものではない。必ず残される方がいる。残された方は、ただ、一人で……。
そんな物語に、僕は彼女を重ねてしまった。どんなに頑張ろうと百年も経たない内に、僕は彼女を残して死んでしまう。先に天に上る僕は良いだろう。彼女に看取られて死ねるのなら、悔いなく終わることができる。
でもそれは僕だけだ。彼女は僕が死のうが、まだまだ生きていくことになる。僕が死んだ世界に彼女を残してしまうことになる。残された彼女は、どう感じるのだろうか。二度と取り戻すことのできない日々に、思いを馳せることになるのだろうか。それはとても、辛い日々なのではないだろうか……?
もちろん、実際は彼女は僕のことなんか忘れて、新しい誰かと一緒に生きていくことになるんだろう。大きくなった今は、そういうこともよく解るようになった。でも幼い時の僕は、そんなこと考えもしないまま、自分が仲良くしてたらいずれ彼女を悲しませてしまう。それならいっそ、仲良くしない方が良いのではないか。
そんな風に考えが凝り固まってしまって、僕は彼女から離れた。自分勝手に彼女のことを可哀そうだと決めつけて、あまり会わないようになった。そうして他の人を好きになろうとあの人を紹介してもらったのに、先に旅立たれた結果、なんと僕が残される側となってしまった。これは、僕に対する運命の皮肉なんだろうか。それとも、罰なんだろうか……。
本当は毎日でも会いたかった。素敵な彼女と、もっとたくさんお話をしたかった。そんな思いに蓋をして、僕は彼女と会わないように努めた。それが彼女の為なんだと、自分でそう決めたのだから。
でも実際は。従兄妹のあの子を紹介したりと、何かしらの理由をつけて、彼女に会いに来ることもあった。自分で決心した癖に、結局は会いにきている自分の未練たらしさが、弱さが、僕は嫌いだった。そして、その都度会えたことに喜んでいる自分がいることも。
『のぅ、主……次はいつ来る?』
「……ごめんね、約束は出来ないかも」
おそらく優しい彼女は、僕が行けば喜んでくれるのだろう。いつもの妖艶で無垢な笑顔を、僕に向けてくれるのだろう。今日は会えると思ってなくて用意してなかったけど、いつもの餡団子を持っていけば、お茶だって用意してくれるに違いない。そのまま穏やかに、お互いの近況なんかについて、ゆっくりお話できるに違いない。
だけど、僕は変わらなきゃいけない。これ以上、彼女に甘える訳にはいかないからだ。自分で決めたことを守れるような、そんな強い人になりたい。勝手に彼女から離れておいて、結局彼女に甘えているなんて……カッコ悪いにも、程があるだろう?
「……でも、覚えていたら。きっと真っ先に行くだろうさ」
『そういう……ものなのだな?』
「そういうものにするさ」
言葉をかみしめるかのように、彼女がそう言っている。うん。覚えていたら、真っ先に行くよ。すぐには無理かもしれないけど、また大きくなれたと、強くなれたんだと実感できたら……僕はきっと、君に会いに行くよ。
『儂はな、お主を忘れんよ。来るのを楽しみに待つとも……それは、嬉しいものか?』
彼女からの言葉は、僕には過ぎたものだった。ずっと昔から生きている彼女。彼女からしたら僕なんて、長い歳月の中のとある一幕に過ぎない筈だ。なのに、彼女は僕を覚えてくれているという。一時の出会いであった僕を、忘れないと言ってくれた。こんな、僕なんかの、ことを……。
「……そうだね、とても嬉しいよ。でも、もしそれが苦しみになるなら、捨ててくれて構わない……と、言い切れないような弱い男だけどね、僕は……それでも待ってくれるかい?」
嬉しすぎて、僕の心が揺れた。しばらくは彼女に会わない決意をした筈なのに。これ以上、彼女に甘えないようにと心を決めた筈なのに。つい、そんな言葉を吐いてしまった。ああ、やっぱり。僕はまだ、弱いんだなぁ……。
『無論だとも。早く来いよ、若いの』
「……そうするよ」
初めて会った時と同じように、優し気に微笑んでくれた彼女。そして僕は、ありがとう、の言葉を飲み込んだ。それが、僕の精一杯の強がり。意地、なんて言い方もできるかな。今の僕が出来る、一生懸命なカッコつけ。僕だって、いつまでも彼女に甘えるだけじゃないんだ。そんな思いを表情にも込めて、僕は笑い返した。妖艶で無垢で可愛らしく、そしてとても優しい、僕の初恋の貴女……僕は絶対に、忘れないよ。
啄み終わった最後の猛禽類が、飛び立っていく。僕もここから、飛び立とう。あの人と、そして彼女にくっついていた、弱い自分から。僕はまた、ここから始めよう。少しでも高く、上れるように。
・
・
・
「おねえさん、そこでなにしてるの?」
儂が自分の家の縁側でのんびりと空を眺めていた時。不意に声をかけられた。おや珍しい。誰にも連れられずにここに来るとは。
『うん? そうだな、人を待っておる。坊はどうしてここへ?』
「ここね、おばあちゃんの思い出のばしょなの。初恋の人と、おねがいしに来たんだって。ぼく、こっちにこしてきたの」
その坊は、子どもっぽい愛らしい笑顔で、そう言った。ふむ、初恋の人とお願いにきたとな。その言葉と坊の見た目から察するに……。
『……そうか』
おそらく、あやつの系譜か。と言うか、あのジュケンセイちゃんの面影もあるのう……と言うことは、遂にやったか、あの朴念仁相手に。大金星じゃのう。しかし、儂はこんなに待っておるというのに、お前らはこんな坊までこしらえたのか……上手くいったのなら、儂にも教えてくれても良かろうに、全く。
だが、坊の大きさから察するに、いつの間にか、そんなに時間が経っておったのだなぁ。月を数えることを止めてから、随分と過ぎて行ってしまったみたいじゃ。
「おじいちゃんには、しー、だよーって言われたの。そういうものなのかなぁ?」
『……そういうものなのだろうな』
ふふふっ。しー、ときたか。何を言っておるのだあやつは。儂との邂逅は、秘密にせねばならんようなものだったのか? 全く。
「ここ、どんな所なの?」
キョロキョロと好奇心を抑えられないのか、周りを見渡しておる坊だ。そういう所も、あやつと似ておるな。あの得意げな奴に連れられてきた時も、こんな風に周囲を見回しておったのう。
『儂の家なのだよ、ここは。おばあちゃんも、少しばかし知っておるぞ』
あれから会ってはいないが、あやつに初めて連れてこられた時と。そしてその後に、思いつめたような表情で一人でやってきたことも、よく覚えておるぞ。
「そうなの!? おねえさん、すごいんだねぇ」
『覚えていてくれる人がおるからな』
だが、儂が覚えているように、あやつらも儂のことを覚えてくれているらしい。まあ、それだけで、十分嬉しいことではあるか。欲を言えば、というやつもあるが。
「わすれられないと、すごいの? んー? ……そういうものなの?」
『そういうものだとも』
ああ。人は忘れる生き物だからのう。それは残酷で、冷酷で……そして優しさもある、人間の力じゃ。どんなに嬉しいことでも忘れられる厳しさ。どんなに辛いことでも忘れられる温かさ。清濁を併せ持った忘却というその機能。全てを覚えておかざるを得ない儂なんかからしたら、なんと羨ましいものか。あやつには忘れんぞとは言ったが、正しくは忘れられん、じゃからなぁ。
そして、そんな中でも儂のことを忘れずにいてくれるということが、どれだけ凄いことであるのか。坊には、まだ解らぬかもしれぬな。今はまだ解らずとも、頭の片隅にでも残っていると良いの。
「おねえさん、どんな人を待ってるの?」
『いつも、また来たよ、と餡団子を三人前持ってきて、二人前食べるような奴だ』
「ぼくも好きだよ、あんだんご~」
あの食いしん坊は、まだ餡団子を食べておるのだろうか。遺伝子はキッチリ仕事しておるみたいじゃが……まあ、その辺はあのジュケンセイちゃんが上手く操縦しておると良いの。偏食は短命になってしまうぞ?
もちろん、彼女の名前も憶えておる。だが、あの時のあやつは何故か沈んでおったからの。ジュケンセイちゃん、と冗談めかして言ってやったら笑ってくれたわ。全く、世話が焼ける奴よ。ただ、思った以上に笑っておったので、少しムッとしたのも事実じゃがの。儂はワザとそう言っておるというのに、忘れたんだね、みたいな雰囲気を出しよってからに。
『そうかそうか。そして従兄妹を魅了しても気づかんような、罪深くて鈍い男じゃ』
「みりょ……つみ?」
おっと、この辺の機微はまだ解らぬ年頃か。このくらいの年頃の童と話すのも久しぶりじゃからのう。ついうっかりしておったわ。
『バカな者、という事だ』
「そういうものなの?」
『そういうものなのだ』
そういうもの、で今はええじゃろう。じきに、そういうものに対する興味が湧いてくる年頃になる。本当にあっという間に、な。
『ほれ、童は帰る時間ぞ』
夕日が傾き始めたのを見た儂は、坊に帰宅を促した。聞き分けのない坊だとここでまだ帰りたくない、とか言われたらちと面倒なことになるのだが……。
「あ、ホントだ! ごめんね、おねえさん」
『……あぁ』
やはり、あやつの坊だからか。思った通りの素直であったのう。全く、本当に、良く似ておるわ。
あやつと出会ったのは、あの得意げな人間に連れられてきた時のこと。儂のことをペラペラと口にしていたあの男の話には耳も傾けず、じっと儂のことを見ておった。その瞳に、恋慕を混じらせて、な。
まあ、儂も長く生きてきた。あのような目で見られること自体、よくあることであった。人間の雄から見ると、儂はどうも魅力的であるみたいだからのう。だが、あんな幼い子にそういう目で見られるのは久しぶりであった。だから儂も、戯れに微笑んだ。あやつはそれに、心底嬉しそうにしておった。
だが、所詮は人と儂よ。生きる時間が違い過ぎる。今までに幾人もの男児が儂を好いてくれたが、みんな儂を置いて先に逝ってしもうた。儂は別に、それを悲しんだりはせんよ。会えなくなるのも、また時の常の一つ。ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、等と昔異国におった際に一緒にいた男が言っておったのう。全くもって、その通りじゃ。
じゃから儂は、ただ一緒にいる時間を大切にしたい。例えいずれは流れていき、そして二度と戻らないような間柄であろうと……出会えたことは偶然なんかじゃないからの。ならばそのひと時を慈しみ、実りあるものにすることこそ、大事ではないかえ? それが、儂なりの愛じゃ。
だと言うのに。何をゴチャゴチャ考えておったんだ、あやつは。ただ、一緒に居てくれれば。その時間が、少しでも多ければ……それで良かったと言うのに……全く、たわけが。坊の話を聞く限り、お前も相当な歳になったのであろう? 早く会いにこんか。儂はずっと、待っておるぞ。忘れんとな。
「あ、そうだ!」
すると、真っすぐに帰っていた筈の坊が、こちらを見てきた。しかも足は止まっておらぬ。なんと危ない。
『前を向け! 転ぶぞ!』
「明日もね! ぼく来るね! また来たよ、ってあんだんご、あげるね!」
坊のその言葉に、儂は言葉を失ってしまう。まさか坊から、不意打ちで、一番欲しい言葉をくれるなんて、思わんかったから……。
『お主に言われれば、満足じゃろうな……』
思わず、そう呟かずにはいられなかった。ああ、全く。これだから人間というものは愛おしいものよ。そうじゃ。儂が欲しいのは、人間同士で育むような愛ではない。一緒にいる時間、語り合う時間。そしてそれが終わった後の、たった一言だけなのじゃ。
「おねえさん、またね!」
『あぁ、またな!』
またね。その一言だけで、儂はまた千年は待てるだろう。それが、儂なりの愛であるが故に……さあて、儂もそろそろ夕餉にするかの。坊のお陰で気分も良いし、久しぶりにご馳走でも作ってみようか。たまには、そんな日があっても良かろうて。
そしてあやつよ。儂はいつまでも待っておるぞ。また餡団子を持って、下らない話を聞かせておくれ。お前と過ごす時を、儂はいつでも楽しみにしておるからの。
恋と言うには穏やかで 愛と呼ぶには儚くて with 沖田ねてる 沖田ねてる @okita_neteru
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