恋と言うには穏やかで 愛と呼ぶには儚くて with 沖田ねてる

沖田ねてる

前編


『久方ぶりなのだ』


 猛禽類があの人を啄んでいる中、不意に声をかけられた。思わず、「えっ……?」と声を漏らしてしまう。その声が、あまりにも懐かしいものだったから。チラリ、と振り返ってみると、そこには彼女がいた。昔見た時と何一つ変わっていない、彼女の姿が。

 美しく長い金色の髪の毛を揺らし、白い華があしらわれた紅の着物は裾が短く、白い素肌を多く露出させ、豊かな胸の谷間まで見えている。喋り方は何処か子どもっぽいのに背丈が自分より高い為、その雰囲気は極めて妖艶なものであった。そして金色の髪の毛と同じ毛に覆われた、頭の上についている狐の耳。そしてお尻の部分から広がる、先っぽの一部だけが白い九本の尻尾。


「……やぁ、本当に。いつぶりだろう?」


 切ったばかりの黒髪を弄りつつ平静を努めていた僕だったけど、ちゃんと普段通りにできていたであろうか。こちらに戻ってくるのも久しぶりだったし、彼女の家からは遠いところだったから出会わないと思ってたけど……彼女の声を聴いて、姿を見て。心の何処かで喜んでいる僕もいた。

 ああ、そうか。僕はまだ、彼女に対してこんな思いを持っていたのか。


『お主が来なくなってからだ。ざっと……二年か?』

「そんなに、か……随分、待たせちゃったかな……?」

『そうでも無いとも。儂の歳月、甘く見積もるなよ?』


 謝罪の意味も込めての言葉だったけど、彼女からしたらそうでもないみたいだ。確かに、彼女が積み上げてきた歳月は、僕なんかとは比べ物にならないだろう。

 彼女は九尾の狐。その生命力は人間を遥かに凌ぐもので、僕の何倍も長生きしているらしい。その癖、何処か幼いというか、あどけない感じが彼女にはあって、妙に親しみやすい空気を纏っているという、不思議な人だ。いや、人って言い方はちょっと違うかもしれないな。不思議な方だ。


「ふふ、そうだったね……でも、そんなに会っていなかったのは、なんだか残念だなぁ……」

『そういうものか?』


 思わず出てしまった本音に、彼女が狐の耳をピクっと反応させる。確かに、僕は彼女に全然会いに来ていなかった。自分で決めたこととはいえ、内心で密かに悔やんでいたのも事実だ。だって僕は、彼女のことを……。


「……そういうものさ」


 いや。これ以上はやめておこう。蓋をしたのは自分だ。自分で破ってどうするんだよ、全く……。


『ところでな? これは何をしているのだ?』


 僕らの目の前で、猛禽類らが相変わらずあの人を啄んでいる。両親の紹介で出会ったあの人。こんな僕でもしっかり見てくれて、僕もそれに応えて。このまま一緒になるものだと、そういう流れになるものだと思ってたから……正直。悲しみよりも驚きの方が、まだ大きい。

 どんどんと無くなっていくあの人だったものを見ていても、何処かまだ、現実味がないような感覚を覚えていた。


「これかい? 人の弔いだよ」


 行っているのは鳥葬。亡くなった人の身体を清めて、専門の職人さんに準備してもらって。あとは猛禽類がいる場所に置いて、食べてもらうという弔い方。魂の抜けたご遺体を、亡くなった方を、天へと送るための神聖な儀式だ。

 正直な話、この国じゃ公的に許された方法ではないんだけど……僕の故郷には、風習としてひっそりと残っていて。生前のあの人にもこうして欲しいと聞いていたから、故人の遺志をくみ取ってこうすることになった。ただ実際に行うと、一部ショッキングな絵面も垣間見える為、結局その経過を見るのは僕だけだ。彼女の方は、身寄りのいない天涯孤独だったしね。事が終わった後に、業者にも連絡しなければならない。


『弔い……聞かぬなぁ』


 へー、と言った様子の彼女。っていうか、長い年を生きてきている筈なのに、今までこういった事はしてこなかったんだろうか? 加えて、割とグロい部分も見えているというのに、彼女はキョトンっとした表情のまま、それを見ている。どうやら耐性はあるみたいだ。


「いなくなってしまった人に、ありがとうとさようならを伝える儀式さ」

『いなくなった後にか? なんの意味があるのだ?』


 彼女がそう尋ねてきた。なんの意味があるのか、と。長い時を生きている彼女だが、もしかしたら“死”というものの捉え方が、僕らとは違うのかもしれない。死んだらそれまで、というやつだろうか。


「無いよ。でも弔いをして、気持ちの整理が出来れば……その人の事を思い出す時、少しでも長く笑顔でいられる、と思うから。せっかく誰かに思い出して貰うならさ……笑顔で語ってくれる方が、嬉しいんじゃないかな?」


 これが世間一般の弔いに対する意見だとは露程も思えないけど、少なくとも、僕はそうなんじゃないかと思っている。事実、僕だって今、あの人の死が何処か現実に思えていない部分がある。

 でも、あの人の身体がどんどん無くなっていってて……上っていって……ようやく、受け入れられてきている気がしてる。もうあの人はいなくなってしまったんだって。もう僕に笑いかけてはくれないんだって……少しずつ、呑み込めてきた。僕の気持ちも、少しは整理できてきたのかもしれない。


 ちゃんと理解できた今なら。あんなこと、こんなこと、あったでしょう。なんて、あの人のことを笑顔で語れそうだ。もし、あの人が高いところからそんな僕を見つけてくれたのなら、喜んでくれるだろうか? 笑って、くれてると良いな。


『そういうものか?』

「そういうものさ」


 だから、彼女のその言葉に、僕はすっと答えることができた。そういうものさ、と。僕だって思い出してもらえるなら、笑顔で話して欲しいと、そう思うから。

 例え僕にとってのあの人が目の前の彼女の代替で……諦めた想いの代わりだと、心の奥底で解っていたんだとしても……せめて僕は、笑顔であの人のことを思い出そう。それくらいは、しなくちゃいけない。


 じゃなきゃ、ただ純粋に僕のことを想ってくれていたあの人に対して、申し訳が立たないじゃないか。僕はずっと、あの人に彼女のことを話さなかった。必要ないからと、そう思っていたからだけど、時折、あの人は僕に対して悲しそうに微笑むことがあって……それなのにあの人は、僕に何も……。


『……そうだ、先日はお主以外の者が来たぞ! 三年前にお主が連れてきた、何といったか……そう、ジュケンセイちゃんなのだ』


 不意に、彼女が声を上げた。先日、彼女の元に来客があったのだと。ジュケンセイちゃん、か。それってもしかして、従兄妹のあの子のことかな? って言うか、名前を憶えていないんだろうか、ちゃんと自己紹介はしたのに。思わず、僕は笑ってしまった。


「それは名前では無いよ。妹ちゃんと呼ぶようなものだ」

『むぅ……笑わずとも良かろうに』


 どうやら本当に覚えていなかったみたいだ。二回も会ったのに、名前を憶えてないとか、そんなに関心がなかったんだろうか。それとも名前なんかどうでも良くなるくらいに、話に花が咲いたんだろうか。

 しかし、僕を介さずに一人で彼女と会っていたあの子。なんでわざわざ、彼女の元を訪れたんだろうか。気になるなぁ。


「でも、そうか……なんだか、その繋がりの中で僕が生きているみたいで、嬉しいな」


 そして気になる以上に、僕は嬉しかった。彼女をあの子をめぐり合わせたのは僕だけど、その縁がちゃんと繋がっていたことが解ったから。その繋がりの隣に僕がいることも、感じることができたから。


「葬式に人が集まるのは、そういった意味もあるのかな」


 だからこそ、故人となった時にその繋がりが明らかになる。天に上ることになった時に、どれだけの人が見送りに来てくれるのか。僕がその時になった時も、ちゃんとみんな、来てくれるのだろうか。こんな、自分勝手な僕でも……もしかしたら、みんな……。


『嬉しいのか?』

「……もちろん。何も無くなる様に消えていくのは、寂しいものだからね」

『そういうものか?』

「そういうものさ」


 うん。誰にも知られないまま、一人で何もなかったかのように死んでいくのは、やっぱり寂しいや。願わくは、僕の最後の時も、目の前の彼女も来てくれると……嬉しい、な。浅ましくて、自分勝手で、そして叶わない願いかもしれないけどさ。心の中で願うだけなら、誰にも迷惑はかけないしね。


『……確か、お主が初めて来たのも、人に連れられてだったな』

「そうだね、隣の家のおじさんに、近所を教えて貰っていた時だ」


 思い返されるのは、彼女と初めて会った時のこと。そう言えば僕も、隣の家のおじさんに連れられて、だったな。あの時の縁で、僕は彼女と巡り会えたんだ。


『あやつな? 儂の所なぞ、年に一度と顔を出さんのにしたり顔で語るだろう? おかしかったぞ』

「だから笑ってたんだね。とても素敵だったよ」


 初めて彼女を見た時の衝撃は、今でもよく覚えている。こんなに素敵な方がいるのか、と子どもながらに放心してしまったのだ。得意げに彼女について話していたおじさんの言葉も聞かないで呆けていた僕に対して、彼女は優しく笑いかけてくれていた気がする。その笑顔もまた、素敵だった。


『今日は口が軽いのぅ。しかし、儂はいつも素敵だろうて』

「違いない」

『むぅ……笑うところでは無いぞ?』

「ごめんね」


 今度は自分で胸を張って、鼻高々な様子の彼女。それを見て思わず笑ってしまった僕に対し、彼女は頬を膨らませていた。大人びて見えるのに、どこか子どもっぽい彼女。アンバランスな、でもしっかりと“らしさ”を持っている彼女。うん、やっぱり彼女はとても魅力的だ。魅惑される妖術にでもかかってしまっている、なんて言われても納得してしまいそうだった。


『しかし、長いなぁ。人は不可思議な事に労力を使うのだな』


 僕らが話している余所で、猛禽類らはまだあの人の身体をつついている。だいぶ無くなってはきたけれども、確かに結構時間がかかるものなんだな、と僕も思っていた。こんなことは初めてなので、他と比較してどうこうなんてことは言えないんだけど。

 と言うか、彼女と話していたらいつの間にか、内側にあったグチャグチャした気持ちも、無くなっていた。偶然か意図的かは解らないけど、少なくとも、彼女のお陰であることだけは確かだ。


「……そうかもね。大きすぎる、そして複雑すぎる感情って宝を、持て余してるんだよ。だからこそ、最後の時も時間がかかっちゃうのかも……」


 あの人も背が高くて物理的に大きいから、なんていう話じゃない。僕と一緒で、あの人だって今まで多くのものを経験して、感じて。そうして生きてきた筈だ。内側に抱えていたものは、決して小さいものなんかじゃないだろう。

 誰もが持つ感情ってやつは、その人にしか解らない大きさと、重みがある。他の人には解ってもらえない、でもみんなが抱えているような、そういうものが。それは時に持て余してしまったりも、するんだろうけどさ。


「……でも、それが良さなんだろうね、きっと」

『そういうものか?』

「そういうものさ」


 だからこそ、それが個々人の良さへと繋がっているんだろうなと、そう思える。大きければ大きいほど、最後の時間がかかって当然だろう。

 そんな大きいあの人を見送りながら、僕は思う。浅ましい思いを持っていた僕の最後は、果たして時間がかかるものになるのだろうか、と。でも、最後まで何も聞かなかったあの人や、変わらずに接してくれる彼女と違って、こんな矮小な僕は、きっと……。


「……ごめんね。そろそろ行かないと……」

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