父の予言

常陸乃ひかる

心変わり

 俺の名前は紺藤こんどう。子供の頃から、カップ麺を食べない男だった。

 誰の影響だっただろうか? 今となっては遠い記憶である。


 友人が結婚した。上司が昇進した。弟が留学した。

 俺は足下あしもとの暗い道を、漠然と進んでいた。

 なにが幸せだ、なにが明るい未来だ。零細れいさい企業に身を置き、モニタに死んだ魚の目を向け、取引先には愛想笑いを向ける人生にはとことん無縁なトレンドである。

 なにが幸せだ、なにが――いや、どうせ恨み辛みを吐き出すなら、その原動力を嫌がらせに変換してやる。

「そして俺の生きる源になるが良い。ふふっ……」

 厳密なるスクリーニングの結果、嫌がらせのターゲットは学生時代の友人――赤穂あこうという男に決まった。奴は大学を卒業すると上場企業に入社し、私生活も上々だと語る、言わば勝ち組だ。就職先は、東洋なんとか産という会社だった気がする。

 ――まあどうでも良いか。

 時に、赤穂も子供の頃からカップ麺を食べない奴だった。理由は、

『親が健康志向で食べさせてもらえない』

 だそうだ。

 動機こそ違ったが、それを通じて仲良くなった悪友である。そんな奴に赤いを何個も送りつけてみろ。発狂は必至ひっし、生活に悪影響が出るに決まっている。

 いざ、作戦実行だ! 俺はを郵送したあと、


   紺[お疲れ あるモノをたくさんもらったからお裾分けするよ]

   紺[お前の家に送っといたから 生活の足しにしてね]

  あこ[なんだか知らんけどサンキュー。確認したら連絡するわ]


 日常を装ったメッセージを送った。

 翌日、早速レスポンスがあった。どうやら、もう精神攻撃が効いているようだ。さて、どんな効果が――


  あこ[カップ麺めっちゃ届いた。ありがとう!]

   紺[え? お前カップ麺食わないよな…]

  あこ[それは昔の話な]

  あこ[普段から野菜食って、カップ麺は休日に食えば全然アリだろ]

  あこ[恥ずかしながら、嫁さんに教えられた]

   紺[あぁ…そういうことね]

  あこ[人は変わってくんだよ。結構美味いから、お前も食ってみろよ]


 おかしいぞ。俺のワクワクとは裏腹に、奴が奥さんに懐柔かいじゅうされた情報を得ただけである。男同士の『カップ麺食べない同盟』は、不要になった資料をシュレッダーにかけるくらい簡単に破棄されてしまったようだ。

 新妻には勝てない――道理である。

 まあ良い、トントン拍子に計画が進んでは面白くないからな。

 次なる標的は、上司の小緑こみどり課長だ。課長が緑のたぬき軍なのは周知の事実。ならば、をバラで二十四個ほどデスクのど真ん中に置いて、『おたべ♪』という強迫文を添えれば――

「完全犯罪成立なのでは?」

 課長の錯乱を待ち望みながら、週末が訪れた。花金に浮かれるオフィスワーカーが夜の街に消えてゆく中、俺は残業のフリをしてデスクに居残った。そうして人気ひとけのなくなったのを確認し、俺の心の重さでもあるを課長の机に積み上げてやった!


 翌月曜日。

 週末と変わらず、朝っぱらからいやに赤いに気づきつつも、同僚たちは見て見ぬフリである。薄情な奴らだ! 就業五分前、オフィスに顔を見せた課長はデスクにつくや否や、「なんだこれは!」と怒鳴り声を上げた。

 顔を真っ赤にする課長は、赤の他人を装うオフィスワーカーから、地球外生命体でも見るかのような白眼はくがんをもらっている。

「課長、どうしたんですか?」

 俺はわざとらしく青い顔をし、気を配るフリをした。こうすれば、まず疑われることはないだろう。

「出勤したら、こんなにも机が赤いんだ!」

「見事に赤いですね。誰かの贈り物では?」

 フフッ、見えない犯人に怯えるが良い! そして赤を見過ぎた挙句、補色関係の緑を欲すると良い! 目前もくぜんに真犯人が居るなんて夢にも思うまい。

「贈り物? そうか……そういうことか」

 すると、課長は思い当たったように、わかりやすく目を見開いた。

「実は先週、嫁さんが体調不良で入院してしまったんだ。私はまったく料理ができないし、見舞いも行かなきゃならんもんで、ろくに夕飯を食えてなくてな。外食は金がかかるし困っていたんだ」

 おかしいぞ。俺の期待とは裏腹に、頼んでもいない課長の自分語りが始まり、次第に雲行きが怪しくなっていった。

「でも、これで食事の足しにはなる。誰かわからんが、私の事情を聞きつけて気を配ってくれたのか」

「でも課長は、以前たぬき軍だと……」

「いがみ合いは良くないぞ、考えはどんどん変えていかないと。消費者なのだから選ぶ権利はあるだろう」

 しかもこの課長、すでにきつね軍と和睦わぼくしているではないか。結果、敗北したのは俺ひとりである。嫌がらせ作戦は、ふたたび失敗だ。

 とはいえ、昇進したばかりで奥さんが入院し、職場では上からも下からも、やいのやいの言われているとは。なんだか心が痛い。

 帰宅後、俺は途方に暮れた。

「もう、こんなバカなことやめようかな……」

 ――否!

 外部への嫌がらせは失敗したが、今度は矛先を身内に向ければ良いのだ!

 へこたれるな俺!


 翌週。海外に住む弟に、を大量に送りつけてやった。

 それから数日すると、

『久々に日本の味を感じたよ。ありがとう兄ちゃん』

 感謝のメッセージを送ってきやがった。きつねのスタンプ付きで。

 そりゃそうか。弟はカップ麺が大好きなのだから。

 俺はただ、経済を回しているだけではないか。初めから、東洋水産の株を買っていれば良かった気がする。Please give me 配当金インカムゲイン

「はぁ……なにしてんだか。財布の中がスカンピンだし、もう寝よう」

 こうして嫌がらせ作戦は被害者ゼロのまま、ひっそりと幕を閉じた。リザルト画面が脳内に浮かび、Fランクの文字が灰色フォントでデカデカと表示されている。

 暗闇の中。嫌がらせを受けながらも、なぜか幸せそうにしていた連中の心情が、目の裏に浮かんでくる。虚脱を布団に沈めながら、ふと考えた。俺がカップ麺を食べない生活を続ける、その起因はどこだっただろうか?


 ――我が紺藤こんどう家は、昔から貧乏だった。

『お前も食うか? 休日に食べるカップ麺は格別だぞ。お湯、沸かしてやろうか』

『遠慮しとく。それに土日は母さんが一日パートで、父さんの食料がないだけだろ』

『そう言うな、人は変わっていくんだ。大人になれば、この美味しさがわかる』

『いや、お酒じゃないんだから……』

『それにしても、紺のきつねは最高に美味しいな!』

『赤じゃないのかよ!』

 それでも家族は日々笑ったり、怒ったり、泣いたり、騒がしくも幸せそうにやっていた――俺を除いて。たぶん俺は、『親ガチャ』なんて言葉がある前から父を嫌っていた。良い父なのに、ただ嫌いだった。

 同時に、湯気でメガネを曇らせながら食べているそれも嫌いになっていった。父親憎けりゃきつねまで憎いか。紺のきつねも、たまったものではないな。

 俺が性格をこじらせたのは、誰のせいでもない。現実から目を背け続けた結果である。中学生でもわかる回答だ。

 そうだ、今年の年末は帰省しよう。あまり帰らないと、実家の人間が心配する。

 夢現ゆめうつつの中、俺の意識は静かな刻みに融解ゆうかいし――


 十二月二十八日。

 昼下がりには実家に着き、俺は居間のコタツで背中を丸めていた。座敷から他家の匂いを感じ、視覚情報によってようやく我が家だと認識するくらい、久々の帰省だ。

 山際やまぎわ茜色あかねいろに染まる頃、帰国した弟が実家に顔を見せた。居間のテレビがつき、人声ひとごえが増え、鼻につく石油ストーブの温風と隙間風との相殺そうさいが、夕凪ゆうなぎのように心地良かった。


 年のが訪れると、

「そうだ。あんたたちが帰ってくるって言うんで、こんなの用意したのよ」 

 母が得意げに段ボールをテーブルに置いた。

「年越しそばクジ! ラインナップは、赤と緑と紺!」

「う、うどん混じっとるやん」

 どうやら今年は、母お手製のくじでどのカップ麺を食べるかを決めるらしい。

「ここは兄ちゃんから引いてよ!」

「えぇ……?」

 よくも、四方山話よもやまばなしで盛り上がれるものだ。温度差で風邪を引きそうなので、さっさと赤か緑を引いて、三十分くらい先に年を越してしまおう。

 言われるまま段ボールに手を突っこみ、プラスチックのどんぶりをかき回しながら、掌に吸いついたそれを引き上げた。

 するとどうだろう、

「げっ、よりによって父さんの好物だ……」

 絶妙なネイビーが、蛍光灯を反射した。

「好き嫌い言わずに食べなさい」

 透かさず、台所でお湯を沸かす母にとがめられ、居間の弟に笑われる。俺が好きではなかった日常。今聞くと、不思議とやかましくなかった。

 程なく、母が持ってきたヤカンから否応なしに熱湯を注がれ、ろくに三分も計らず、嗅覚による懐旧かいきゅうを覚える。

 そうして実家での通例のように、小さなお椀に移したそばに、小さく千切ちぎったあげを乗せ、少量のスープを注ぐと仏前に置いた。湯気で位牌いはいが曇ってしまうのがあの時のメガネに似ていて、

「兄ちゃん、なんで笑ってんの?」

 俺は生まれて初めてインスタントそばをすすり、父の言葉を証明するように、自然に笑みを浮かべていた。――人は変わってゆく、か。

「幸せの分別が苦手だから」

 俺の幸せとは、時間経過によって美化された過去の遺物だ。すなわち、この帰省が胸奥きょうおうに沁みてくるのは何年も先だろう。

 山のふもとから、老若男女の煩悩を粉砕する小気味良い鐘が鳴り、スマートフォンの通知音と重なった。


  あこ[やっぱ年越しは、うどんに限るな!]


 友人が送ってきたのは、嫌がらせのごときメッセージと、赤いを新妻とご機嫌で食べている写真だった。

「あんにゃろ! 次は、紺のきつね10ケース送りつけてやろうか!」

 でもまあ、人は変われないということもある。

「兄ちゃんなに言ってんの」

「いや、今度は自分用にアレを……赤いきつねを買おうかなって」

「ふふっ。そっか」

 悪態と微笑の先に、本来の――自分の感情が見えた気がした。


                                   了

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