3 天啓

「花南、自分の罪の証を隠そうというの?」

 遠止美の死骸への処置が完了する前に、扉が開け放たれた。血に汚れた髪すら洗い流さぬまま、村長を連れて現れる久比貴。その後ろには事態を呑み込めずに、不安げな視線を彷徨わせる阿弥の姿もある。

 村長である永久とわは、なにもかも暴かれた遠止美の丸裸にされた死骸を一瞥し、私を睨みつけた。

「説明をしてくれるわね、花南」

 教師のような、頭の上から有無を言わせぬ言葉の重さがあった。しかし、私は永久の言葉には頷かず、久比貴に対して刃を向けた。

「私には復讐する権利があります。彼女は天啓を受けたといった。それはそうでしょう、確かに神の導きがあったのでしょう。しかし、矢傷からは、久比貴が狩りの獲物を遠止美だと認めて矢を射たことが分かります。視認できるほど近い距離から放たれた矢でなければ、頸椎を破砕することなどできるはずがない。彼女は自らの意志で、自らの殺意を以て、私の婚約者を殺害したのです。故に、私が彼女を殺し返す殺意も、また保証されるはずだ。復讐を。そうなることを遠止美も願っています」

 私は小刀の切っ先を久比貴の正中線に合わせて構える。一歩、久比貴へと踏み出す。

「いいえ、先に罪を犯したのは花南と遠止美よ。天啓などなくとも、私はふたりを殺す必要があった。そうしなければならない必然性を説明できる」

 第三者を挟んで、私と久比貴は互いの殺意の正当性を証明し合おうとする。

「花南は妊娠している。しかも、双子だ」

 すでに膨らみはじめ、体型が変化し始めた腹部を示される。当然、太っているわけではない。

 久比貴の言葉を聞き、永久は顔色を変える。すぐさま事情を理解したようだ。

「なぜ、久比貴がそのことを知っている? 医術者である花南ならまだしも、狩人のあなたが知るべき情報ではないはずだ」

 永久が鋭く問うた。私の妊娠にも動揺したようだが、久比貴の知識に対して狼狽した。それもそのはず、久比貴が口にした理由というのは、単なる村人が知り得る情報レヴェルを越えている。機密事項にあたる、本来隠匿された事実だからだ。私の妊娠に危機感を覚えるということは、すべての内情を知り得ているからに他ならない。

「どういうことですか? 天啓なら仕方ないけれど、花南まで殺そうだなんて。久比貴、あなたはなぜそこまで彼女を敵視するの?」

 阿弥が疑問をぶつける。この反応が村人としては当たり前なのだ。

 永久は話すべきか逡巡したが、久比貴は構わず機密を明かす。

「ふたつの赤子は、この船の許容を越えているから。このままでは私たち全員に分配されるべき『小さな幸せ』が滞ることになる。ただでさえ、私たちが享受する『小さな幸せ』は年々縮小しているのに。『小さな幸せ』はさらにささやかになるでしょう。

 そうなった時、この船の人々は、神の導きには決して従わなくなる。一度でも不満を持たれれば、この船の生活は瓦解する。それほど脆い均衡で、この船の環境が成り立っていることを皆が知らなければならない。この船の許容が少しずつ減っているということにも。隠すのではなく、目を向けなければいけない。花南と遠止美が『小さな幸せ』を踏み越えた大きすぎる欲望を表したのも、その証。私たちはこの船を守らなくてはならない。そうでしょう、永久」

 永久は彼女の言葉を否定しない。眉間に皺を寄せて、唸り声ひとつあげない。対して阿弥の方は、まだ十分に理解していないようだ。彼女は教会に籠りきりであることが多く、神への信仰も厚い。環境の変化を実感することもなく、神への疑いを抱くことを知らない。

「私は毎日野山を駆け巡る狩人よ。それが役目である以上に環境の変化には敏感なつもり。獣に魚といった獲物の量、肥えているか痩せているか。森の植生、川の水量、海のプランクトンまで。私はそのすべてを肌で感じている。獲物や山菜が少しずつ、だけど着実に減っている。動物はおろか、水質まで悪くなっている。この船の環境は傾いている。狭苦しい閉鎖系の箱庭だもの、間違いないわ」

 狩人たる久比貴の感覚は確からしい。管理者でもないのに、船の状態を把握し、危険にまで思い至るとは。

「そんな……この船の環境は完全に循環しているはずじゃないの?」

 阿弥がこれまでとは別種の、強い不安を表した。ようやくことの重大さを理解したらしい。鈍い女だ。皮肉でもなんでもなく、そのぐらいの鈍感さがなければ神の従僕という仕事は務まらない。

「今すぐにどうなるという話じゃない。今は村人の一食のうち一口分減る程度に過ぎない」

 阿弥の意識が恐慌状態に陥る前に、永久が補足した。ここまでくれば、下手に誤魔化すより、内情を明かした方がましだと思ったのだろう。

「それは呑気過ぎる意見ね。私たちの神は――欲求を再分配する意識調整AIは、口減らしを求めたのよ。この船の『小さな幸せ』のレヴェルを保つには、人間が多すぎる。花南が孕んだふたりの子供を養うだけの余裕はない、と」

 ここは宇宙を漂う宇宙船のなか。小地球構想の閉鎖系環境を有する世代交代型恒星間航行宇宙船。地球環境の激変に伴い、新たな母星を探すために宇宙へ放たれた人類子孫の箱舟のひとつ。生体系はもちろんのこと、重力環境まで再現した完全な箱庭と開発当初は謳われた。

 神――リソースの範囲を越えないよう、人間の欲求を調整してコントロールすることを主目的としたAI。補助的な機能として、必要に応じた知識の補助も行う。脳内物質の生産を促して、欲求を抑制することもあれば、電気的な刺激をもって神の意志という名の命令を伝達することもある。

 完全循環型の環境を維持する為、はじめに考えられたのは人間の欲求の抑制だった。放置し、個々人の欲求が拡大すれば、いともたやすく箱庭を瓦解させる。文明の発達、科学技術の向上が厭われたのも、大量消費の到来を避けるためだ。人間は神から適宜知識を授かるのみで、自らは無知で無垢な存在として、箱庭にとどめ置かれるべきとされた。生活が原始的なままであるのは、それが必然であるから。技術や文明の発展と消費と欲求の拡大は切り離せない問題である。私が経験則でしか医療を知らないのも、その影響だ。

 しかし、すでに数百年の時を経て、人も環境も変わりつつある。許容、リソースの減少がその最たるものだ。元々、完全な閉鎖系ではなかったのだ。超長距離航行に伴い、宇宙船内部は緩やかに枯渇している。

「その為の生産調整だったはずだ。花南と遠止美が結婚ではなく、婚約止まりとした理由でもある。結婚下でしか許可されない子作りを避けるために。そもそも性転換手術の許可は出していない。神から知識の提供もなかったはず……どうやって手術した?」

 永久が遠止美の股間に付け加えられた男性器を示して問う。阿弥などはその生々しすぎる傷跡から顔をそむけてしまう。私が遠止美に与えた傷――手術痕を醜いと思っているようだ。久比貴は無表情なままだが、きっと内心憤慨しているに違いない。いますぐにでも私を縊り殺したいと思っているほどに。

「経験則ですよ。私たちは神に記憶まで封じられた覚えはない。本来学習というものは経験の積み重ねですから。私が医術者の役割を得て、何度か性転換手術を行いました。それで覚えていたのです。精巣の植え付け方も、ホルモン投与の量もね。私は彼女に傷を与え、彼女は私に痛みを与えた。純潔を破り、生殖器を受け入れる痛みを。双子になってしまったのは、想定外でしたけど」

 出産調整。この船内でもっとも恐るべき事態は人間が増えること。それを押し留める為に、この船には女しか乗っていない。子孫を残す際には適宜、男性化性転換手術を行い、子を成したあとは再び女性化性転換手術を行う。そうして厳密に人間の頭数を調整してきたのだ。

「私たちは証が欲しかった。こんな狭くるしい世界で生きた証を残すことを。だというのに、村では長い間誰も死んでいない。数が減らない。私たちに結婚は許されず、証を残す機会も訪れない。私たちの番がいつ回って来るのかもわからない。それだというのに、遠止美はその美しさで女でありながら女を誘う。久比貴もその一人。私が焦るのもわかるでしょう? 誰かがあの子を犯してしまうこと、あの子が誰かを犯してしまうこと。それだけを恐れた。私たちの先細りする世界で、私だけの種を残したいと考えるのは当然でしょう?」

 私たちは私たちの欲望を優先した。神の導きなどというお為ごかしを信仰するほど、私たちの欲望は生温くない。

 渇望だ。渇きだ。飢えだ。

「生は調整されるのに、死は調整されない。だから、歪なずれが生じる。長生きはこの船にとって罪だ。私たちは産むことを待たされるのに、誰も死ぬことを催促されない。誰かが長生きという『小さな幸せ』を享受している間、私たちは子を成せないという不幸を味わった。代償が押し付けられたのです。神は『小さな幸せ』を平等に分配する計算はできても、不幸を数える気概はない。どこかで誰かが不幸を味わっていることには目をつぶって造られたシステムなのです」

 『小さな幸せ』は導きによって確保される。しかし、この身に受ける不幸からは誰も守ってくれない。私たちは体に傷をつけて幸せを数えた。そして、痛みをもって不幸の数も数えていた。私は彼女に傷を与えた。彼女は私に痛みを与えた。すべては表裏一体として、この世界にあることを常に理解していたのだ。だから、私たちが一方的な不幸を押し付けられたとき、私たちが一方的に幸せを味わう権利もあるのだと思った。

 だから、これは復讐なのだ。

 不幸の数を数えたら、この船はとうの昔に沈んでいる。皆、信じ込んでいるのだ。神を、神の与える『小さな幸せ』を妄信することで平等だと信じこんでいるのだ。不平等に訪れる不幸の大きさを忘れたふりをして生きているのだ。

「久比貴、知っているわよ。あなたはこの船のため、調整のために殺したなんて誤魔化すけれど、私は知っているわ」

「何が言いたいの?」

 久比貴の澄ました顔を歪めてやりたい。彼女の殺意を暴きたい。そんな欲求が沸き上がった。それは私にとって幸せなことか。それとも不幸の続きなのか。私には判断できなかった。

「男になった遠止美が許せなかったのでしょう? あなたは遠止美を愛していた。自分が男になってあの子を犯したいと思っていたから。あなたは遠止美を犯せないという不幸を一方的に押し付けられた。だから、殺して憂さ晴らしをするという幸せを一方的に享受した。それが遠止美や私にとって、一方的な不幸であるということを考えもせずに! あなたは私と同じよ。不幸を理由に、自らの幸せで他人に仕返しする。神はあなたの殺意まで導いていないというのに!」

 図星だったのだろう。久比貴は悲痛な面持ちで押し黙った。私の嘲りに返す言葉もない。自分の欲求に気付かない、愚かな女だ。天啓を自分の欲求とないまぜにして誤魔化そうだなんて、私が許さない。

 その殺意は神が導いた『小さな幸せ』ではない。逸脱した醜い欲望だ。私と彼女は何も変わらない。自制の利かない獣なのだ。

 沈黙が降りた。私は刃を構えたまま、久比貴は私を恨んだまま。阿弥は現実を直視できずに顔を伏せて慄く。

「選択しなければならない」

 沈黙を破ったのは永久の言葉だった。

「遠止美は死んだ。もう一人。新たに生まれる命を受け入れるなら、もうひとり死ななければならない。私はどうあってもこの船を守らねばならない。神の与える『小さな幸せ』を維持しなくてはならない。あとひとり、神には数えられない不幸を受ける必要がある」

 そう彼女が呟いた瞬間、私の脳裏にひとつの導きが現れる。

『殺せ』

 天啓だ。船内の『小さな幸せ』を保障するために、誰かに不幸を押し付ける指示を与える。

 ふつふつと、胸の内に殺意が沸き起こる。

 神による殺意の容認。脳内で行われていた抑制が止まったのだろう。

 神は殺せとおっしゃる。誰か殺せと。『小さな幸せ』のために人を殺せと。

 遠止美が死の標的として選ばれたのは、もうひとりの数を減らす為だ。殺人者を作り出し、復讐によって人口の調整を行う。私を生かすため、私の孕んだふたりの子供を生かすための導きだ。神が私たちの願いを調整した結果だ。

 殺せ、殺せ、と神が囃したてる。

 お膳立てした殺意と動機。神が調整した『小さな幸せ』の代償。私たちが『小さな幸せ』を逸脱した報い。

 血を求める。不幸を求める。

 さらに一歩。私は久比貴に歩み寄った。

 彼女はどう選択するか。受け入れるか、逃げるか。いずれにせよ、だれかひとりが死なねばならない。

 天啓は下った。しかし、選択するのは私たち自身だ。

 私はどうする? このまま久比貴を殺すか?

 この殺意は私にとっての『小さな幸せ』か。それとも押し付けられる不幸なのか。均等に分配される『小さな幸せ』はとっくに瓦解しているというのに。この船はいずれ終わる。私たちが逸脱しなくても、いずれ誰かが欲望を暴走させた。それはきっと、ほんの小さな幸せを求めた結果だろう。私たちはその先駆け。あとに続きやすいように前例を作ってやるのだ。

 幸せは縮小していく。やがて不幸と大差がなくなるくらいに。皆はそれを分かち合って生きるしかなくなるぐらいに。この場で誰かひとりを殺すのは、たかだか数年の延命措置でしかないだろう。この場にいる誰もが気付いている。限界に気が付いている。自分がすでに十分な不幸を、その身に受けていたことに思い至っている。

 『小さな幸せ』を受け入れることは、不幸に目をつぶることだ。

 私は構えていた刃を振り下ろした。

 選択だ。復讐だ。

 神がどのように導こうとも、私たち人間は自分勝手に選択することができる。

 遠止美が死んだときに、彼女が死を選んだときに、決まっていたことだ。ただそれを選択できるか、否かというだけで。

 やがて地獄となるであろうこの船に未練などない。かつて、地上に存在したという本物の神の元へ召されようというのだ。この胎のうちに眠るふたりの子供たちと共に。

 私は自らの頸を掻き切った。自死を選んだ。人間の造りあげた偽物の神の導きには従わない。

 永久、阿弥、久比貴。困惑した表情で私を見下ろした彼女たちをあざ笑う。

 私が彼女たちに残すのは『小さな幸せ』などではない。これから始まる渇望という不幸だ。これが復讐だ。私たち家族は、本物の神の袂で幸せになる。お前たちに生きるという不幸を押し付けて。

 これでいい。私は間違っていない。

 そうでしょう、遠止美?

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天啓的な幸せ 志村麦穂 @baku-shimura

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