8-3 キミが星になるように

 4


 本日二度目の講演を終え、僕と同僚は裏手に戻ってきた。昼時だろうか、行き交う人々の喧騒けんそうが小さくなっているように感じられる。

 僕たちはパイプ椅子いすに腰を下ろし、空調が行き届いていない空間で扇風機を浴びた。同僚がネクタイを緩め、特等席を占領しても僕は文句を口にしなかった。

 彼は僕が変なことを口走らないようにと付き添わされたお目付け役だ。本来であれば、彼も僕も夏季休暇の只中ただなかなのだ。僕は進んで引き受けたけれど、彼は同期入社だからというたったそれだけの理由で僕の見張りを押し付けられた。休出手当は出るけれど、彼の三日間は返ってこない。僕が後ろ暗い思いに駆られるのも無理からぬ話だろう。

 だからこそ、僕は明るく振る舞う。そうでなければ、彼の三日間が非常につまらないものとして終わってしまうからだ。たとえ仕事だとしても、僕と関わる以上はせめて楽しい時間を味わって帰ってもらいたい。


「何?」


 凝視していたせいか、同僚が怪訝そうな面持ちで僕を見つめた。ホットコーヒーをちびちびと口につける僕と違って、同僚はペットボトルのスポーツドリンクをぐいっと喉に流し込んでいる。ホットとアイスを交互に見遣り、僕は弾ける笑顔を見せる。


「交換しよう!」

「嫌だけど」


 だよね。わかってた。自分はペットボトルの飲み物を買っているのに、どうして間違えてホットコーヒーを買えるのだろうか。いや、買えるわけがない。これは休出の原因となった僕への仕返しなのだろう。ならば、その悪意は甘受かんじゅせざるを得ない。人は鏡だ。けれど、全てを反射するわけではない。受け止めるべき感情は返さない。僕はそう考える。

 同僚は不意に何かを僕に投げて寄越した。ペットボトル飲料だった。中身は先ほど彼が飲んでいたものと同じだ。きょとんとする僕に同僚は言う。


「やる」

「おお、ありがとー」


 僕はキャップを開け、中身を喉に流し込んだ。汗のにじむ全身にうるおいが戻ってくる。クールビズと言えども、やはりスーツは暑い。ネクタイを締めている同僚はもっと暑いだろう。というか、どうしてネクタイを締めているのだろう。


「何?」


 シャツをパタパタとめくって風の循環を促しながらも、視線だけは僕に向けられている。


「嫌だった?」

「何が?」

「見張り役」


 同僚は不快そうに眉をひそめ、やがて顔を逸らした。視線は講演スペースの入り口へと向けられている。扉の隙間から来場者の影がのぞき見える。


「構わんさ。用事もないし。業務自体は楽勝だし」

「そう。なら良かった」

「良くもねえけど。休みつぶれてるし」


 さいですか。彼の性格を掴むのは雲を掴むよりも難しい。いや、そんなものは誰が相手でも変わらないか。掴めたと思っているのは自分だけだ。それが正解とは限らない。


「あの話」

「ん?」


 同僚が立ち上がり、入り口の扉へと手を掛ける。もう講演の時間か。僕は床にペットボトルを置き、慌てて立ち上がる。


「どこまで本当?」


 同僚の目に疑心の色はない。単純な疑問を呈している様子だ。

 どんな反応をされても変わらない。僕の答えは一つだ。


「どこまでも本当さ。けれど、真偽なんて重要じゃない」


 どういう意味かと眉をひそめる同僚の代わりに、僕は入り口の扉を押してくぐり抜ける。


「僕がうったえていることは一貫してただ一つ」


 講演台の前に立つ。眼前の椅子にはまだ誰も座っていない。次の講演まで十分以上ある。

 僕は講演台に背を向け、遅れてやって来た同僚へと告げる。


「思考を止めたら、人間である必要がない――ただ、それだけ」

「まるでグリム童話だ」


 教訓めいているという点では同じだろう。子供の情操教育じょうそうきょういくにも打ってつけかもしれない。けれど、僕が最もうったえたいことは対象年齢を指定しない。子供が相手である必要性がない。人間全てを対象としている。

 大人になってからでも遅くない。何事にも遅いなんてことはない。思考できるうちは可能性が無限に広がってゆくのだ。その点では、僕の話は教訓というよりも再確認に近い。普遍的な事実を口にしているだけなのだ。だから、これは童話でも何でもない。


「まさか」


 僕は肩をすくめ、かぶりを振る。革靴を鳴らし近付いてくる同僚へと微笑を向ける。


「ただのお喋りだよ」


 僕の言葉を受けて、同僚は本日初めて笑った。


 5


「さて、本日はお集りいただきまして、誠にありがとうございます。これからお話ししますのは星の世界の物語。死を望んだ僕と、それを望まなかった星との出会いと別れ、そして共存の物語となります」


 午後の講演が始まる。眼前には椅子に座る親子連れが、視界の隅には同僚がいる。相変わらず子供の大半は退屈そうにしているけれど、同僚の眼差しは午前中と異なり真剣そのものだ。少し気恥ずかしくなる。


「夢物語かもしれません。おとぎ話かもしれません。けれど、物語の真偽は重要ではないのです。僕は物語を通して、ただ一点を皆さんに伝えたいだけなのです」


 僕は努めて明るく振る舞う。彼女がそうしたように、冗談っぽくも真実味をもたせて言う。


「思考の旅路へご招待します。水先案内人として、航路を示してみせましょう」


 そして、僕の縁は巡る。今こうして出会えたことも、今こうしてお喋りできたことことも、今こうして胸の高鳴りを感じていることも、全て夏の日の思い出に留まらず、不確かな縁として誰かとつながり続ける。彼とお喋りするために、彼女と出会うために、彼を守るために、彼女と生き続けるために。

 僕は深く息を吸い込み、走馬灯の如く脳裏によみがえる光景を口にする。


「とても幻想的な光景でした――」



 キミが星になるように 完

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キミが星になるように 万倉シュウ @wood_and_makura

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