「好きなものを書くのが一番」と創作界隈でよく耳にします。架空の読者にどう思われるかを気にして、大衆向けの物語を書いても、二番煎じもいいところで味が薄いと。ならば、自分が好きなものを突き詰めて書いたほうが、同じ感性の人間の心に深く刻まれると。
その通りだと思う一方で、だからと言って設定を盛り盛りにしてもわかりにくいのではないかと危惧しています。
「異能バトルが好き」
「バディものが好き」
「ざまあ系が好き」
好きなものを好きなだけ詰め込んでも、逆に雑多な味になってしまうのではないでしょうか。設定盛り盛りでも面白い物語はたくさんあります。ですが、それは著者の技術によるものなのではないでしょうか。
凄腕シェフは数多の食材・調味料を組み合わせて神の如き味わいを生み出します。ですが、一般人が真似しても味のまとまりがなく、食材を無駄にするだけ。それは、こと創作についても同じことが言えるのではないかと私は思っております。
はじめに物語の方向性を決めるのは良いと思います。どういったものを書きたいのか考えることも。ただ、設定とは書きたい「展開」に付随させたほうがまとまりが出るような気がしています。
私は最近、大まかな話の流れを決めてから、書きたい「展開」を考えるようにしています。そして、「展開」に合う「設定」を考えるのです。どうしても「設定」から考え始めますと、それに合う「展開」や「キャラ」を考えてしまい、味が薄くなってしまうのです。
料理のたとえに戻りますと、「食材」という「設定」ありきで料理に入るのではなく、「味」という「展開」ありきで料理を始めるのです。好きな「味」に必要最低限の「食材」「調味料」を使うことで、シンプルな旨味を得られるのではないでしょうか。
とは言え、「展開」ありきで考えるのもまた別のベクトルで難しいものです。「展開」に統一感がないと物語全体のまとまりが無くなってしまうのです。和洋折衷とは言いますが、みそ汁にパンと麻婆豆腐では、単品で美味しくても、わざわざ組み合わせる意味がないでしょう。「シェフの気まぐれランチ」なんてものは、凄腕シェフだからこそ「絶品」になるのであって、一般人が真似しても「よくわからないもの」にしかならないのではないでしょうか。
自作に関して言えば、どういう物語なのか端的に一言で言い表せるようにしたいところです。