第170話 最終話 見習え奈良時代

日本は、彼らによって究極の権益者優位主義社会へと変貌をとげ、閉塞状態となっている。日本は過去何度か権益者優位主義の体制の修正を試み、その都度のみ込まれ、太平洋戦争で途方もない犠牲とあわゆる膨大な物資の損害を出したにもかかわらず、性懲りもなく、旧体制が変わらない。

これは、日本の闇の深さの深刻度が底知れないものであると物語っている。

称徳の信念は、日本では達成できないのだろうか。しかし、称徳天皇の信念を古代の人々も待望し応援していたふしがある。その根拠に、名前がある。

古代日本には言葉にも魂があると信じられ、天皇の名にも何らかの意味が込められてつけられた。称徳天皇という名は、称えるべき徳のある天皇という意味である。この称えるという文字をいただいた天皇は、称徳天皇しかいない。この意味で、称徳天皇は称えるべき天皇と日本が認めた唯一の天皇である。

しかし、今の日本の極悪人は称徳を認めていない。日本の極悪人は、日本の意に反して日本を否定した政策をし続けている。彼らは日本を否定し、自分たちが都合のよい体制をあくまでも固守する覚悟である。この日本を否定する政策は、日本をおとしめる背信行為で本来恥ずべき行為である。この行為を恥じらうことなく堂々臆面なくするのが、日本の悪いところである。

しかし日本を変えるには、正しいことと悪いことをハッキリしなければならない。これを正さねば始まらないと思うのは、筆者だけだろか。

しかし私は日本の未来は、日本人の意識で変えられると思っている。

 


あとがき 

私は奈良に住みながら奈良時代の歴史は興味がありませんでした。子供の頃は戦国時代や源平合戦の真田幸村や源義経などの悲劇の英雄が好きでした。そんな私が称徳天皇を書こうとしたのは偶然でした。悲劇の人物に興味がある私は前作で文徳天皇を描いた。その関連で称徳天皇が登場し、なぜか興味がわいた。しかし称徳天皇のことはマンガの日本の歴史の程度の知識しか知らず、私が書くには勇気がいった。そこで私は称徳天皇陵にいった。当時はここが本当の称徳陵でないことすら知らなかった私だが何故か書こうと決意した。私は称徳の信念が私に届いたと後で思うようになった。私は当初称徳の死の真相を書こうとしただけでこんな長い話になるとは思ってなかった。始め私が集めた資料は称徳の死に関する書物だったが、次々と知識が入ってきて、いつも書こうとすらことが自然とわいてきた。私は称徳の固定概念がない分、素直に称徳天皇を描くことができた。そのため、本作はこれまでの称徳像と全く違っている。しかし私はこれが本当の称徳天皇だと思っている。称徳天皇のことを全く知らなかった私がここまで書けたのは、称徳天皇の信念が私を動かしたからに違いないと思ったからだ。私はこの話を少しでも多くの日本人が読んでくれることを願っている。もうけたいとか称徳の名誉とかそんなことではなく、未来の日本のためと思うからだ。私は今でも本作は称徳の信念が書かせたと信じている。今でも日本人は月を見るたびに世襲政治を止め、優秀な人材による政治を目指したかぐや姫を思い、世襲政治の打破を誓っている。かぐや姫は今でも日本人に愛され続けているのは日本人にとって大事な人だと皆が認めているからである。

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こんな日本に誰がした?奈良時代を見習え!!「西大寺の変」 @michiseason

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