檻
杜松の実
小説家はマゾヒスト?
■
あなたは黒い四角を見ています。
それは目の前にあるのではない。
遥か遠方、遥か下方にあります。月と鼈です。
あなたが四角に興味を持つ時、重力場は仕事を思い出し、あなたもまた重力に応じ、吸い寄せられるでなく、引き絡め取られるでもなく、落ちるとしか形容なくして、位置エネルギーを失っていく。
ここは形而上の世界ですが、あなたの仮想能力がある閾値を超えているならば、息を詰まらせる無色の膜と達した大気圧や、慣性によって反対に持ち上げられる臓腑から、落下の恐怖を形作るかもしれません。
落ちる先はかの黒四角であり、当然時間進行に伴って、黒四角が迫って来る錯覚を齎す。
近づく毎に黒四角の一辺尺は増長し、果ては四辺全ての境界はあなたの視界からフレームアウトして、ただの黒面と映る。但し、あなたはその黒面がまだ望外下方に位置するのを分かっている。むしろここからが長い。
自由落下であれば、そのようなことはあり得ない。落下速度は、二点間距離が縮小する程に、急速に増加していく。であれば、ここからが長い、ことはなく、速度を表す単位を持たないこの世界における最大速度で以て、ここからは瞬く間に黒面に打ち付けられる筈である。ここに待ったをかけるのが、黒面の持つ二点間距離三乗分の、で定義された甚大な斥力である。
斥力はある一点で重力と正確に拮抗し、その点より僅かにでも黒面方向へ落ちたとき、斥力は重力に勝り、落下速度の単調な増加は転じて単調な減少となる。単調な減少は、いずれは速度零となるが、重要なのは速度が零となるのが、あなたが黒面に触れる前か後か。
国際天文単位が最も適する超超超高高度が変じた運動エネルギーに因って、あなたは斥力の壁を通過する。あなたはその為に、極度遠方からの垂直降下を試みた。
黒四角から全ての余白が消え去り、黒面へと映りを変えて久しく、落ちていることだけは確かで、落ちた理由をあなたが忘れ始めた頃、あなたは漸く気付く。気付いたに違いないが、気付いたことをあなたは恥じ入る。それは気付く以前に、あまりに自明で、気付く気付かざると扱われる事象ですらなく、気付いていなかったと吹聴すれば白々しいと、気付かぬ理由こそ何故と証明しなければならない、そんな羞恥心だ。
黒面はただ黒いばかりでなく、形而の上下を繋ぐ唯一の存在であり、形而下の上界に属し、形而上の下界に属する有形物、つまりは文字だ。
ただ漠然とした文字の集合ではなく、意味を持った文字列であり、ある男、何某の人生を綴ったものである。この文字列は今もなお、その先端は拡充の一途を辿っているが、それをあなたが見ることはおそらくない。
あなたは文字列平坦曲面に降り立つ。
太陽の無いこの世界に
その場に立って、全周ぐるりと見まわして分かるのは、全ての地平線は文字であり、この世界には文字の他、何も有形物が無いことだけだ。
黒四角として初めあなたの遥か遠方に見えたそれは、文字列平坦曲面であり、概して円柱の形をしている。円柱をある点から正対すれば、ただの四角■と錯覚する。またある一点から見れば、円○とだけ見え、あなたが初めに見たものが円であれば落ちることも無かった。
文字列は円柱を螺旋状に取り巻く。無論、これは視覚的な認識であり、正確な描写を尊ぶのであれば、一連の文字列が螺旋状に隙間なく拡充され続けている為に、円柱構造が形成されている。文字列を針金とした、丁寧に巻かれたコイルが相応しい例えとなる。
先ほどの
あなたは歩くことにした。この世界で歩くことは読むことに相当した。この世界では好きに歩く向きは決められない。この世界では
一万字ほど歩いて振り返る。あなたが降り立った座標、初めの一字は、目と鼻の先にある。
この世界であなたの他にも動く者がある。ある男、何某である。何某は時に歩き、時に走り、時には
何某は小説を書いていた。何某は文字列円柱に組み込まれた文字列を用いて小説を書いていた。
何某は円柱型文字列平坦曲面の外へ出て、小説を書くことをしなかった。円柱の外にも文字列があることは知っている。活用もしていたが、それは平坦曲面の上に立って、両手を宙空へ振り回して触れた文字列を利用する程度だった。
かつては円柱型文字列平坦曲面の外部、補集合にて執筆したこともある。小説を書くとは、その一見何もない空間に創造を施すことだと思い、自分にはそれが出来る、そう何某は思っていた。
平坦曲面から一歩、足を放して空に段を作る。二歩、三歩と段を増やして昇って行く。四千字段ほど昇って読み返して見る。それはひどくみすぼらしい、今にも崩れそうな細々とした一線の階段だった。駄文字列線だった。
その階段的文字列線は直ぐに打ちやってしまい、再び小説を組み始めた。今度は慎重に一歩一歩踏み締めて昇って行く。出来た階段的文字列は、先程の物よりは装飾が凝られている。それでも一線の階段であることには変わらず、それは何某がそれまで読んで来た小説とは雲泥の差であった。月と鼈である。
何某は幾本もの階段を作ることになるが、それらは飽く迄階段止まりで、いずれも小説足り得ることはなかった。
何某が円柱型文字列平坦曲面から文字列を抜き出し小説を書くことに思い至ったのは、階段の上より見下ろして、そこに自身の人生を綴った文字列面を発見したからではない。夏目漱石を読んだからである。太宰治を読んだからである。
これなら書ける。まさかそんな風に思ったりはしない。それでも僕は、読者をジェットコースターに乗せるように、一息に駆け抜けるような臨場感溢れる、奇想天外、伏線跋扈、ミスリードの応酬、読者を裏切り引き寄せ、楽しませる小説は書けない、そう思った。
何より、夏目漱石が、太宰治が、谷崎潤一郎が、川端康成が、国木田独歩が、井伏鱒二が、彼ら文豪と呼ばれる小説が好きなのだ。
だから何某は彼らを真似るように、自身だけが持つ円柱型文字列平坦曲面に降り立ち、実感を、彼らの文体に憧れて編んだ。そうして幾作の小説と呼ぶことに憚ること能わざる文字列を組むことが出来た。
何某は今また、平坦曲面の外に物語を想像しようと試みる。ただの階段であってはいけない。
何某の考えはこうだった。文字列を螺旋状に展開していき、文字列の灯台を作ろう、と。モンブランみたくクリームを絞るように、渦巻いて文字列を積載させる。灯台の灯は、そうだ、この小説の主題だ。テーゼだ。すなわち灯だ。その灯は何を照らすのか、と余計なことは考えなかった。照らす先が文字列平坦曲面だけでも構わなかった。
出来たそれは、果たして螺旋形階段的文字列だった。壁のない灯台、内部構造である螺旋形に回転して昇る階段だけがある。壁のない灯台に灯を置けるだけの基礎はない。
何某は諦めることを拒否することに成功した。クリップボードに書き留めた文字列を一線、螺旋形階段的文字列外縁に下から左官職人宜しく塗っていく。一息で最上までは塗れない。また別角度から、文字列を一線、下から塗っていく。そうして何度も、螺旋形階段を囲う、合成板が張られて行く。
組み上がった小説は、壁が骨組みだけのスケルトン構造をした、灯台的文字列に過ぎなかった。鳥籠のようであった。それでも、どうだろう、灯はかろうじて置けた、と思った。
灯は弱い。時折、僅かに明らめるもすぐさま凋む。灯の拍動は如何にも息も絶え絶え然として居る。
しかし、どれだけ弱かろうと、原理的には地平線の存在しない平坦な
何某はここで力尽きる。諦めた。もう十分と自分に言い聞かせつつ、やはり満足いかず。しかし、気力は尽きてしまった。
スケルトンな小説でなく、質実堅牢な壁を持つ、細部まで想像し尽くされた小説、そこまでは辿り着けなかった。
何某はこれからも歩く。
檻 杜松の実 @s-m-sakana
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