5.エリィは新聞配達人 後

「えっと……エリィさん、魔法使い、だったんですか?」

「そ」


 拘束された二人を見ながら、エリィは軽く頷く。拘束されながらキーリは目を覚ましたが、ダンテは険しい顔で目を瞑ったままだ。二人を見て困惑した様子のスゥに、エリィは「あなたがやったのよ」と教えてやった。


「でも、私、こんな――」


 どのような魔法を使ったかもわからない、と言いたげなスゥに、エリィは肩を竦めてみせた。


「スゥ、あなたは自分の魔法を影魔法だと思っていたようだけど。あなたが使ってるの、影魔法じゃなくって、“闇魔法”よ」


 じりじりと、肌を粟立たせる嫌な気配、は消え去ったわけではない。ダンテと、キーリから漂ってくるようで、目を覚さぬダンテは元より、目を覚ましたキーリも錯乱気味に苦悶の表情を浮かべている。スゥがますます困惑した様子で、「闇……?」と首を傾げた。


「とてもよく似ているの。わからないまま闇魔法を使っていたのだとしたら、制御装置を与えられるほど、強い力の持ち主だってよくわかるわ。

 闇魔法はね、あらゆる闇を操るの。例えば、心の闇とか」

「心の闇……」


 それで、改めてスゥがダンテを見下ろした。硬く目を閉じたダンテは、何かをぶつぶつ呟いているようでもあった。低く小さな声で、口の動きも少ないので、なんと言っているかは聞き取れない。


「私、大体どんな魔法でも得意だけど、一番得意なのは精神操作系の魔法なの。だから今は、私の力であなたの暴走した魔法を抑え込めているけど、自衛できずに飲み込まれたその二人は、あなたじゃないと解き放つことができないわ」


 エリィはそっとスゥの肩を押した。ダンテの前に座り込んで、スゥは「私が……」と呟いた。自分が齎した魔法の結果に怯えているようにも、戸惑っているようにも見える。エリィはもう一つ、教えてやることにした。


「あなたが落ちこぼれだって思い込んでるのは、得意な影魔法、も、うまく扱いきれなかったからじゃないかしら。でもそれはしょうがないわ、だって影魔法だと思って使っているものが、闇魔法だったんだもの」


 きちんと理解すれば、きちんと制御できるはず。

 続けて言えば、スゥは思い切ったようにダンテの頭に手を伸ばした。

 そっと、スゥの白い指がダンテに触れる。ダンテの顔が一層苦痛に歪んだが、スゥがそのまますっと指を上に向けると、ダンテの体内からずるりと闇色の塊が抜け出てきた。闇色の塊、は、やはり嫌な気配が色濃くしている。ぞわぞわと悪寒を感じながら、エリィはスゥの魔法を見つめていた。


「ダンテさん」


 スゥが小さな声で続ける。ダンテは、闇色が抜け出る度にびくり、びくりと震えていたが、全て抜け出るとほっと安堵したような表情を見せた。


「ごめんなさい」


 それから、小さく謝罪する。不用意に巻き込んだことへの謝罪だろうと思えた。


(まあ、襲って来たのはあちらだから、構わないとも思うけど)


 そこまでは告げずにいる。

 スゥがダンテから抜け出た闇色に向き合うと、闇色はもやもやと動き出すと、その中心に何かを浮かび上がらせた。


「これは……」

「今スゥが抜き取った、ダンテの闇の部分じゃないかしら」


 闇色の中で、少しばかり白んだ何かが絵を浮かび上がらせる。煙のようなそれは綺麗な女性と、可愛らしい子供の姿を形作ったが、その一瞬後には腹に剣を突き刺されて死んだ形に変わってしまう。白い煙、は、闇の中で次々と形を変える。キーリに似た女性が笑みを浮かべている様子。彼女が一人一人、誰かの首筋に噛み付いていく。


「スゥ、ダンテから魔力の気配があるの、わかる?」


 一通り煙は形を変えると、やがて闇に紛れて消えてしまった。と、同時に、闇色の塊そのものもさっと空中に溶けて消えてしまう。スゥが戸惑ったようにエリィを振り返ったので、エリィは安心させるように笑みを浮かべた。

 それから、ダンテの方を指し示す。今は穏やかな顔をしているが、先ほどの闇が真実なのだとしたら、彼は自分の妻子をその手で殺害し、何人もをキーリの食事として差し出していることになる。それを、彼自身が「闇」だと認識していたことが、幸いなのかどうか。

 スゥは目を細めると、じっとダンテを見つめて、それから「わかります」と答えた。


「ダンテさんは、キーリの使い魔にされていた、ようですね」


 キーリと同じ色が見えます、と、スゥは言った。エリィは頷いて「そうね」と答える。

 元々、クォーツ自警団第一小隊隊長のダンテという男は、見目も良いし優秀で、ぶっきらぼうだがそつなく任務をこなす人気の隊長であった。誰か一人に入れ込むようなタイプではなかった。隙がない隊長だったからこそ、レストラン・アゲートで夫婦喧嘩が目撃された折、噂になって、記者が取材しようと動き出したのだ。

 キーリの父も母の使い魔だったと言っていたが。使い魔とは、魔法使いから魔力を分け与えられた人間のことを指す。正しい手順を踏まなければ百パーセントの確率で悪魔憑きとなるが、正しい手順を踏めば人間でも魔力を持ち、資質によるが魔法を使えるようになる。(悪魔憑き、の、使い魔を、ただの使い魔と言ってしまっていいのか、わからないけど)

 エリィは考えながら目を伏せた。例えばエリィが得意とする、精神干渉系の魔法で操られていたただの人間であるならば。闇を取り払われたダンテは再び元の人間としてやり直すことができるかもしれない。妻子を殺した罪は消えねど、元のダンテの性格ならば償って生きることを選んだだろう。

 けれども使い魔であれば話は違う。一度でも魔力を取り込んだ人間は、もう、人間ではないのだ。


「合意の上だったのかわからないけど……使い魔である以上、このまま討伐してあげましょう」


 エリィが促すと、スゥは悲しそうな顔で「はい」と頷いた。

 スゥがそのまま、ダンテの頭を抱えて自分の膝に乗せた時だった。使い魔も魔法使いも悪魔憑きも、広義では魔物の一つ、である。討伐とはつまり単純に殺すことを指すが、スゥがそのために魔法を使おうと手を掲げたところで、不意にぷつりと何かが切れる音がした。

 エリィはぼんやりと頭上を見上げた。スゥは音に気づかない。客室の天井、しっかりと固定されていたシャンデリアが、急に金具を切らしたようだった。

 がしゃん、と、激しい音と共にシャンデリアが落下する。驚いたスゥが身を硬くするのと、ちょうど、スゥが抱え込んだダンテの、体にシャンデリアが直撃するのと同時だった。スゥの目の前で、床に拘束されたままだったダンテが息絶えてしまう。膝の上に乗ったままの、ダンテの顔はけれども穏やかな表情だった。


「……えっ」


 一拍遅れて、スゥが驚きの声をあげる。ガラスの破片が飛び散ったが、幸いなことにスゥは怪我一つしていなかった。横で立っていたエリィも同様である。


「ああ、そうか」


 エリィは思い出したことがあって頷く。スゥがこちらを見上げた。


「彼、私を連れ去るときに、素肌に触れたの。だから、仕方がなかったのね」


 急に気持ちが沈んで、エリィは顔を歪める。スゥが気がついたように「あ……」とエリィの手元を見た。

 エリィは記者志望の新聞配達人であるが、それと同時に、触の魔法使いだった。

 触の魔法使いは素肌に触れたものに災厄を齎す。原理などよく知らないが、きっと触れた誰かの幸運を吸い尽くしてるんだろう、と、エリィは考えている。

 程度はその時々で様々だけれど。ダンテのように、死にいたる災厄が存在するため、エリィは普段から素手で誰かと接触しないよう、気をつけている。髪の毛はどうも反応しないようなので、髪だけは気にしていなかったが。

 エリィはスゥの腕を取ると、ダンテの首を床に置かせて立ち上がらせる。スゥは戸惑いながらも立ち上がり、まじまじとエリィを見返した。


「ごめんなさい。私の災厄だったのに、あなたに看取らせてしまったわ」


 正直に謝罪すれば、スゥは「いえ……」と軽く首を振った。

 首から下がシャンデリアで潰されてしまったので、ダンテはもう生きていない。魔力に侵された肉体は、闇を取り払われたおかげで悪魔憑きになることはなさそうだった。せめてスゥが闇を払い終わった後でよかった、と、エリィは思う。


「とにかく、今はキーリのことを考えましょう。朝になればダンテが来ないことに気がついた、自警団の誰かが来るわ。そうなる前に、キーリを処理しなければ」


 エリィが促すと、スゥは「そうですね」と同意してキーリに向き直る。


「討伐を、スゥ」


 キーリは一部始終を見ていたはずだが、自身の苦しみに必死だったようで、唸るだけで何かを言うことはなかった。巨体になったままの、ギラギラとした瞳がエリィとスゥを睨みつけている。

 スゥは石が外れて壊れてしまった指輪を指から抜くと、石の台座をカチリとスライドさせて小さな針を出した。キーリに向き合うと、キーリは「嫌だ!」と叫ぶ。


「嫌だ嫌だ嫌だ!! 私は悪くないのに! 私たちは悪くなかったのに! みんなみんなあいつらが悪かったのに! 人間が悪かったのに!!!」


 叫び続けるキーリに近付く。キーリはなんとか拘束を解こうと身をもがいたが、エリィの出した拘束はしっかり床と同化してしまって、キーリの巨体でも壊せそうにない。

 スゥはキーリに近づくと、そっと、その首筋に針を刺した。しっかりと、キーリを見据えて、スゥは言う。


「あなたの闇は、多分、払わない方が、いいんでしょうね」


 スゥの闇魔法でキーリの中の心の闇、は、大きく彼女を苦しめているはずで。キーリは目を見開くと、「いや、だ、ああああ!」と一際高く叫んだ。それは、まるで雄叫びのようでもあった。

 魔法使いは自分が常に身につけているどこかに、管理局から支給された“針”を一本仕込んでいる。エリィも仕込んでいるが、スゥは肌身離さず付けている指輪に仕込んでいたらしい。

 その針は、触れたものの魔力を強制的に吸収する性質を持っている。針が壊れるまで吸収し続けると言うが、何人も何十人も魔力を捧げても、全く壊れなかったという噂があるほどなので、余程のことがない限り壊れることはないのだろう。

 魔力を吸い上げることで、悪魔憑きの悪しき魔力は浄化されていく。けれども、抜け出た魔力を補う様に、肉体は新たな魔力を次々生み出そうとする。強制的な循環を促すことで、魔力毒素の循環を早め、死に至らしめることのできるものだった。その、毒素の循環は、魔力が悪しき色に染まっていればいるほど、ひどく苦痛に思うらしい。

 断末魔の叫びをあげて、キーリが力を無くしていく。巨体が元の大きさに縮まって、毒素循環に合わせて胸元だけだった獣化が急速に進んでいく。にょきりと生えた耳。尻尾。ふさふさの毛は瞬く間に全身を覆って、叫びはやがて、おおおん、と、獣のそれに変わってしまった。

 やがて完全に、赤毛の狼に成り果てたころ、狼はぐったりと横になったまま、ぴくりと動かなくなった。それで、スゥはようやく針を抜き取った。


「心臓を」


 エリィはスゥに促した。死亡したなら、証として悪魔憑きの心臓を提出しなければならない。

 スゥは暗い顔をしたまま、覚えなおしたばかりの闇魔法を使うため、そろりと自分の右手を上げた。


「大丈夫、安心して。ちゃんとコントロールできるわ」


 何を扱いたいのか意識しなさい、と、エリィは忠告してやった。スゥが頷きながら、小さな声で「影、影、」と呟いている。限定しなければ、彼女の魔法の場合は、不用意に周囲の心の闇まで操ろうとしてしまう。


(だからあれほど嫌な気配が漂っていたわけだけど)


 きちんと操作できれば、本当に影だけを扱える様になるだろう。何せ闇魔法は、影魔法の上位互換魔法である。

 スゥが慎重な手つきで狼の胸から心臓を抉り取った。今は狼の体なので、人間のものよりきっと小さい。最も、エリィだってまじまじ見たことなどないので、実際どうかは知らないが。


「えっと、あの、そしたらこれはどうしたら……?」

「うん、ここまでできればもういいんじゃないかしら。ちょっと呼ぶわね」


 しっかりと、傷なく心臓が取り出されているのを確認して、エリィは「おーい」と窓の方に向けて声をかけた。

 すると、窓の外からひょこりと見慣れた顔が出る。エリィのアパートの管理人、ジルである。

 スゥはジルの顔を見つけると、驚いた様に目を丸めた。昨日顔を見たばかりだが、管理人だということくらいは覚えていたらしい。


「えっと……?」

「改めて、管理局使い魔のジルです。スゥ様の卒業試験回答品をお預かりいたします」


 難なく窓を割って部屋の中に入り込んだジルが、昨日とは打って変わった調子でスゥに頭を下げる。エリィは顔を顰めて「そのバージョン好きじゃないわ」と文句を言った。


「好きじゃなくっても仕方ないのですよ、エリィ様。私の仕事なので」

「わかってるけど」


 ジルが腰につけたポーチから大きなガラス瓶を差し出したので、スゥは戸惑いながらも抉りとった心像をその中に落とした。ポトリと落ちた心臓を確認して、ジルがしっかり蓋を閉める。「あの……?」と、なおもスゥが聞きたげにジルを見たので、エリィは「その人は管理局の使い魔よ」と教えてやった。


「すみません、あの、エリィさんが魔法使い、と言うところからもうよくわかってないんですが……」

「ああ、そっか。ちゃんと説明していなかったものね」


 エリィは思い出して頷く。混乱しながらもきちんと処理してくれていたが、スゥはそもそも状況すら理解できていないのだ。

 説明しようと口を開いたエリィに、ジルが「エリィ様」と口を挟む。


「なるべく早くこちらを去られた方が無難かと。ダンテはこのまま発見させた方が良いでしょう。悪魔憑きキーリの遺体については、私の方で処理しますので」


 言いながら、ジルがキーリのそばによる。それで、エリィはぱちんと指を鳴らして二人の拘束を解いてやった。

 ジルは全く気にした様子を見せず、事務的にキーリの遺体を抱えると、そのまま窓へ向かって飛び降りてしまった。慌てて外を見ると、どうやらこの部屋は二階らしい。二階らしいが、飛び降りたはずのジルの姿は見えなかった。


「……とりあえず、私たちも一旦家に戻りましょうか」


 それから話をして、ゆっくり休まなければ。

 伝えると、スゥは心得た様に頷いた。エリィたちは窓から飛び降りるなんてことできやしないので、部屋のドアから帰ることにする。

 一度、振り返ったスゥの視線が。

 穏やかな顔を浮かべたままの、ダンテの表情を捉えた気がして、エリィは何とも言えない気持ちになった。





 アパートに戻ると、ジルの姿はどこにも見えなかった。

 エリィの部屋に戻って、時間を確認する。ちょうど、深夜一時を過ぎたところで、二人はぐったり疲れたままベッドの上に飛び乗った。


「先に話した方がいい?」


 横たわりながらエリィが問うと、スゥは少し考えてから、「お願いします」と返事をする。パジャマのまま連れ出されたので、パジャマのまま、ネリアン地区からシディアン地区まで歩き通すのは、寒さもあってかなり大変なことだった。

 体も頭も眠ってしまいたいと訴えていたが、スゥがそう言うなら、とエリィは身を起こす。少しでも体を温めるために、昼間入れたホットミルクをもう一度作り直した。疲れているのではちみつは少し多め。スゥにマグカップを手渡すと、すっかり慣れた様子で受け取って、スゥはちろりと少し飲んだ。


「さて、何から話せばいいかしら」


 説明してやることは簡単だが、スゥが何を知りたいのかエリィはわからない。同じようにホットミルクを飲みながら、エリィは軽く首を傾げた。温かい飲み物を入れたおかげで、少しだけ体の内側がぽかぽかし始める。

 スゥは少し考えると、「エリィさんが触の魔法使いだって……」と、口籠もりながらも答えた。


「どうして最初に教えてくれなかったんですか?」


 まるで人間の様に振る舞っていた、と、スゥは続ける。エリィは苦笑を浮かべると、「あなたの試験官だったから」と端的に答えた。


「試験官?」

「地域派遣魔法使いって知ってる? 魔法使い管理局に所属する魔法使いは、地域派遣される魔法使いと、基本首都に常住して、有事の際に出張する魔法使いと二通りあるのだけど、私は地域派遣魔法使いなの」


 続けて言えば、スゥは軽く首を傾げた。違いがよくわからないらしい。


「簡単に言えば、私は割り当てられた地域の一つに住んで、この地域に訪れる悪魔憑きを対処していくのが仕事なの。私の担当エリアはクォーツの街だけだけど、人によっては隣接する複数の街を掛け持ちしている人もいるみたい。

 首都常駐の魔法使いは、そうした地域派遣魔法使いがいない地区で起きた悪魔憑きの騒動に対して対応していくの」


 そこまで言えば、なんとなくでも理解したらしかった。そのまま、「じゃあ試験官っていうのは」とスゥが問う。


「地域派遣魔法使いはたまに新人研修とかも担当することがあって。キーリの情報が入ったあと、管理局の方から、試験科目にするから討伐しないでくれって指示があったの。

 誰が来るかは知らなかったんだけど、卒業試験の扱いにするから、合流できた場合は監督補佐をしてほしいって。まあ、簡単に言えば試験官よね」


 ふう、とエリィはため息を吐いた。

 エリィが地域派遣魔法使いとなるに至った経緯は複雑であるものの、存外クォーツの街を気に入っている。ダンテの噂もそうだが、少しずつ嫌な気配が街を覆うのを、いくら試験のためとはいえ見守っているのは中々に歯痒いことだった。

 今回解決できたのは良かったが、もっと早く対処できれば、ダンテが使い魔にされることはなかったかもしれないし、ダンテの妻子を助けることが出来たかもしれない。もっとも、たら・ればの話だ。

 スゥは納得した様な顔をして、「じゃあ、その、管理局の使い魔っていうのは……」と、一瞬窓の方へ視線を向けた。ジルが気になるらしい。


「地域派遣魔法使いがいる地域には、必ず一人、管理局の使い魔がついてるの。管理局の本部に常駐している魔法使いが魔力を与えた使い魔で、魔法使いと遜色なく魔法を使えるそうよ。ジルも今日だって、あれは多分空を飛んで帰ったか、空間転移をしたんでしょうね」

「そんなことできるんですか?」


 驚いた様子でスゥが聞くので、エリィは「できるわよ」とからから笑った。


「魔法だもの。やろうと思えばなんだってできるし、何にだってなれてしまうわ」


 魔力に押し潰されなければ。

 続けると、スゥの顔がさっと暗い色になる。


「私……自分の魔法があんなものだなんて知りませんでした」


 ぽそりと続いた言葉はまるで後悔しているかのようで、懺悔している様でもあった。

 エリィはふと、スゥの様子を思い出す。影魔法だと思い込んで使っていた魔法、自信がない様子。落ちこぼれ、だというスゥの言葉は間違いでもないのだろうが。


「でも、知ってる? 闇魔法は簡単に人を狂わすこともできるけど、もしかしたら、悪魔憑きを唯一元に戻せる魔法かもしれないってこと」


 果たしてこんな言葉で励ましになるのか、エリィにはわからなかったが、スゥがこちらを向いたので良しとする。その青い瞳を覗き込みながら、「誰かの心の闇を扱える魔法ということは」と続ける。


「魔力に張り付いた、悪しき色、だけを取り除けるかもしれないでしょ。まあ、机上の空論とも言われている理論だけど」


 実践されたことはないわね、と付け足すと、スゥは考え込むように眉間に皺を寄せた。ホットミルクをじっと見つめて、「私……」と声を漏らす。


「私、合格でしょうか」

「卒業試験?」


 急な言葉に問えば、小さな頷きが返ってくる。

 エリィは試験官、みたいなものだったので。要所でスゥへ問答を行なってきたつもりではあるが、別段彼女自身が思うほど、落ちこぼれた印象は受けていない。

 エリィの推測でしかなかったが、スゥが自信がないのは、影魔法、だと思って使っていた魔法を上手く制御できないせいで、誰かを傷つけたことがあるからかもしれない。実際、彼女が影魔法だと思い込んでいた闇魔法は、剥き身の心の闇をそのまま操っているような鋭利さがあって、そこに「在る」だけでひどく心をざわつかせた。精神操作系の魔法を得意とするエリィだから、余計にそう感じたのかもしれないけれど。

 不用意に知らぬまま大きく使おうものなら、周囲の魔法使いに影響を及ぼした可能性は否めないな、とエリィは考える。管理局から要観察のレッテルを貼られていても仕方がない。


(最も、それでなんで他の人がこの子に魔法の違いを教えてやらなかったのかってのは気になるけど……)


 まあ、それ以上は考えたところで意味がないだろう、と、エリィは思考を止めた。じっと、答えを待たれているので、「ギリギリね」と苦く笑った。


「知識は問題ないけど、決断力が少し低め。魔法使い殺しをした悪魔憑きに対して、管理局引渡しは悪手よ。引き渡したところで討伐されて終わりだし、引渡しまでの間に逃亡の恐れだってある。自分が反撃されるかも……今日みたいにね」


 だから悪魔憑き討伐は、特に今回みたいな案件は、素早く手早く処理してしまうのが一番なのだ、と、エリィは言い切った。

 スゥは少しだけ顔を顰めて、「そうでしょうか」と口籠もる。


「でも、さっきエリィさんがおっしゃってくださったみたいに……例えば私の闇魔法に浄化できる可能性があるのなら、私、そういう人も、救える魔法使いになりたい、です」


 つっかえつっかえ、スゥがそう宣言する。エリィは目を細めると、ゆっくりとホットミルクを喉に通した。


「あなたはあなたの思う魔法使いを目指せばいいわ。私だってそうしてるもの――最も、私がなりたいのは、魔法使いじゃなくって記者なんだけど」


 それで、ミルクを飲み干した。意外そうな顔でスゥがこちらを見ている。スゥのマグカップはまだホットミルクが残っていたが、エリィは構わずマグカップを奪い取った。


「聞きたいことは終わりでしょ、もう寝ちゃいましょ。あなた、明日には首都まで帰らなきゃいけないんだから」


 続けると、慌てた様子でスゥは布団に潜り込んだ。そろそろ夜が明けようとしていた。





 その日の昼、しっかり休んで元気になったスゥは、変わらず目深にローブを被って、お世話になりました、とエリィの前で頭を下げた。アパートのちょうど前である。普段なら椅子に座って新聞を読んでいるはずのジルは、今日はまだ見ていない。


「ちゃんと卒業して、管理局所属になったら、またご挨拶に伺いますね」

「え〜、いいわよ。私、その頃には立派な記者になって首都に戻ってる予定だし」


 言えば、スゥはくすくすと笑って「でも今回の事件は記事にしないんですよね?」と続ける。何やら確信めいた調子が腹立たしいが、実際、エリィは記事にするつもりがなかった。


「……まあ、書きようがないし」


 魔法使いや魔法のこと、悪魔憑きのことを記事にするわけにもいくまい。別段法律で禁止されているわけではなかったが、不用意に街の人を怖がらせたくはなかったし――浸透するほど、魔法使いの存在に馴染みのある街でもなかった。魔物の討伐なら別だとしても。


「……ダンテさんの死体、発見されたようですね」


 ふと、スゥが声を潜めて告げる。

 スゥよりも少し早く起きたエリィは、クォーツ・タイムスの号外が出ているのを聞いて外まで貰いに行っていた。スゥには黙っていたが、エリィの知らぬまにどこからか情報を仕入れたらしい。もしかしたら、詰所まで聞きに行ったのかもしれなかった。


「……」


 ダンテの死、そのものについて。エリィ自身はなんとも思わない。思っていないふりをしている。けれどもスゥがそのことを口にするたび、何処か責められている気持ちになって、そう思う自分を見つけるたびに、本当は気にしているのかも、と不安になる。


(災厄なのだから)


 ひとつひとつに責任を感じてやれるほど、エリィは幼くなかった。

 スゥは真っ直ぐエリィを見ると、もう一度、頭を下げる。


「エリィさん。本当にありがとうございました」


 たった二日間だったけれど。

 スゥといるのは存外楽しくはあった。ローブの下の、真っ直ぐな瞳が恐ろしくもあったけれど。

 エリィは「こちらこそ」と軽い調子で告げると、「そろそろ馬車が出ちゃうわよ」と先を促してやる。スゥは一つ頷くと、何か言いたげな顔をこちらに向けて――結局、何も言わずに歩き始めた。

 馬車の発着場のある、モリオン地区へ向かってとぼとぼと歩いていく。すっぽりローブを被ったスゥの姿は、やはり街の中では浮いていた。


(私もまた記事を探さなきゃなあ……)

「で、お前は良いネタ見つけられたのか?」


 スゥの背中が小さくなるのを見守っていると、不意に声をかけられて、慌てて後ろを振り向いた。いつの間にか、先ほどはいなかったジルがいつものように椅子に座って新聞を読んでいる。ジェム・ジャーナル、首都情報が多く載っている新聞である。


「うっ、うるさいわね。これから探すのよ」


 エリィはジルに悪態をつきながら古びた階段を登っていく。ネタを探して記事を書きたい気持ちはあったが、それより今日はゆっくり休みたい。たまには休んだって良いだろう、と続ければ、ジルは階下から「ゆっくり休めよ」と軽く声だけ寄越してくれた。なんだかんだ、面倒見の良い人ではあるのだろう。

 再び一人になった部屋は、たった二日間だけれどスゥがいた反動で、少しだけ広く見える。こだわって買った大きなベッドにダイブした。どうせ下の部屋に住民なんていないので、多少煩くしてもいいだろう。急に疲れがまわったようで、エリィはそのまま目を閉じた。

 エリィは地域派遣魔女で、記者志望ではあったけれど。存外新聞配達の仕事だって嫌いではない。悪魔憑きだの、魔法使いだの、関係なく朝は来るからだ。

 だから朝日が昇る前。エリィはいつも通りに起きるだろうし、一日休んだ謝罪と共に、クォーツ・タイムスに出社する。最終稿のチェックをして、担当区域の新聞を持って、朝日とともに煌めき出す、クォーツの街を歩き出す。

 今はまだそれでいいやとエリィは思った。キーリが“魔女”になりたかったように。スゥが悪魔憑きを治せる魔法使いを目指すように。エリィだって、ぼんやりと思い描く、理想があった。

 エリィは人間が好きだ。人々の営みを見ているのが好きだ。だから彼らを記録したくて、記者になりたかった。だから彼らの生活を届ける、新聞配達の仕事が好きだ。

 クォーツの街が平和であるなら。

 エリィは新聞配達人のままでも良いかしら、と少し思う。詮無い思考は溶けるように、心地よい闇の中に落ちていく。朝がくるのが待ち遠しいな、と思いながら、エリィは眠りに落ちていった。

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エリィは新聞配達人 佐古間 @sakomakoma

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