ねぇ、どっち?

きぃつね

私とだけ居て

 曇天がその涙腺を抱えきれず、今にも雨が振り出しそうな灰を被った空だ。

遠方で飛行機のエンジン音がしている。しかし、その姿を見ることはできなかった。

まるで、この曇天を映しているかのように私の心は一色に塗り潰されていた。

重く広がる灰色は全てを覆い、息ができない苦しさを与える。

蛍光灯が照らす机は無機質で味気ない。落書きとそれが消された跡。最初は心躍り、教科書が広がっていた机も今ではあの曇天より悲しげだ。

時折、昼食で食べた春巻きが食道を這い上がってくる感覚は錯覚だろうか。

重たい目を何とかこじ開け、黒板に書かれている内容をノートに映そうと思えば、次は手が痛くなり始め、諦める。

教師も、級友も、背景も、情景も、全てが溶けていくよう。

雨が降ってきたようだ。


***


 ザク、ざく。サク、さく。シャカ、シャカ、シャカ。

脳がゲシュタルト崩壊しかけた寸前、私は手を止めるようにいわれた。

雨降って地固まる、正にその通りだ。昔の人は頭が良い。

懐中電灯一つだけが映す闇夜の中でも、足元にあいた大穴が存在感を露わにしている。

先程まで立っていた穴の底には水が溜まり、土壁から崩れる赤土と交じり合って赤銅色になっている。


「手伝え」


酷く冷めた声。

懐中電灯を持っている男が水を吸い込んで重くなっている布団を抱え、私にもう片方を持つようにぶっきらぼうに指示した。

おでこに張り付いて不快だった髪を払いのけ、私は男が差し出す片側を持った。手に取って感じた重さが脈が速くなり息が乱れる。

無言のまま、私と男は濡れた布団を穴の中へと降ろした。

だが、息が合わない。

私の方が早く布団を地面に降ろしてしまい、傾いた布団の中からずるりと魚腹のような色をした何かが飛び出て来た。


「触るな」


本来あるべき位置に戻そうとした私に男が唸るような声で警告する。

そして瞬く間に私の手からそれを奪うと、手袋をした手を使って雨水で洗い始めた。

男がそれの細長い所を包み込んで洗う度に、闇夜より深い水滴が零れ落ちる。


「雑すぎ」


指に残っているおぞましい感触を打ち消すかのように私はポケットに手を突っ込んだ。

パーカーのポケットの中にはキャンディーが一つだけ入っていた。

今朝、買ったものだ。

「見つかりはしない」

男は満足そうに頷くと、それを穴の中へ放り込んだ。

地を打つ鈍い音と木の枝がへし折られるようなこもった音がした。


「ちょっと、大切にしてよ」

「笑わせるな」


私は怒りのあまり声を荒げたが、闇より深いこの場所に大切なものを置いておくだろうか。

背筋を冷たいものが伝った。

誰もいない、誰も知らない、太陽も星も月も知らない所に、大切なものを置いておくだろうか。酷く無責任なことを自分はしようしているのではないだろうか。


「大切......だった」


再び、男は満足そうに頷くと、まるで墓標のように地面に突き刺してあったスコップを手に取ると、土を布団の上から被せ始めた。

スコップは一つしかない。

私は足で土を蹴り飛ばした。

靴が汚れるのも構わず、ひたすら、無我夢中で大切だったものを地の奥底に追い込んだ。

身体が熱い。手が震える。息が苦しい。

どれくらい時間がたったのだろうか。

いつの間にか大穴はその口を土で埋め立てられ、地面が踏みしめられていた。


「私、風邪引いたかも」


帰り道、スコップを肩に担いている男に私はそう言った。


「明日は休め」

「そうする」


固く踏みしめた無限の大地。

奥底、遥か下にある私が大切だった…もの。

もう、雨は止んでいる。ここらは見えないが、今夜は満月だそう。

なら明日は晴れるだろうか。

行きより帰りの方が足が重いのは、風邪を引いただろうか。

それとも何か理由があるからなのだろうか。


***


 どうやら雨が降ってきたようだ。

しとしと雨からパラパラ雨へ。大粒な雨が地面に叩きつけられている。

今夜は大雨になるに違いない。

ふと、気配を感じて顔を上げると、灰色の私を満たしてくれる太陽がそこにいた。

私の視線に気づいたのか、彼女は私の方へパタパタと駆け寄って来た。


「どうかしたの?」

「あ、いや......何でもない」


不審な私の様子も気にせず、太陽は微笑んでいる。

その微笑みに何度、救われたことだろうか。


「気分が沈んでいるときは甘いものに限るよ。飴ちゃんはいるかい、お嬢ちゃん」

「誰がお嬢ちゃんだよ」

「窓から外ばっかり見ている深窓の令嬢。だからお嬢様なの」


こんな私にすら話しかけてくれる純真で優しい彼女。


「深窓の令嬢の意味、分かってる」

「ううん、知らないよ」


幼い頃からの知り合いだ。私にはないものを持っている。

そして誰よりも私を理解してくれている。


「そうだ、話したいことがあるんだけど。放課後、時間あるかな」


誰が太陽を隠せようか。

きっと、誰も隠せない。


「うん」


だけど、私は太陽が欲しい。

心の奥底から欲しいのだ。


***

**


ああ、本当に良かった。

太陽はまだ私にいる。

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ねぇ、どっち? きぃつね @ki1tsune

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