最終話 この春
この春のシメに書き残しておく。シメといっても、もう春休みはとっくに終わって、高校も四日ほど行った。
で、思うに、このまま、この春に起こったことをただ記憶にだけまかせておくと、日々の日常情報に埋没し、やがて、こまごましたことは忘れ、あげく、きわだった異様な部分だけ憶えていることになり、後々、ああ、あの春はとにかく謎の春だったなぁ、おい。という雑な記憶だけが残りそうでコワい。さらに時間が経てば、あれが本当にあった出来事だったのかどうかも、わからなくなって、いや、あったんだ、あったんにがいない、そうだろう、なあ、と、なかなかのノイローゼになるのも避けたいところだった。俺は常に無事でいたい。
しかし、無事とはなにか。そこの定義をここで深めていると、永遠に先に進めなくなりそうなので、よしておく。そういう英断ができるところが、我ながら見どころがあるところでもある。
で、書き始める。
そう、ある日、突然、俺が家で人生をダラけていると、見覚えのない二人組の男がやってきた。ひとめで、ああ、ならず者だな、とわかった。これはぜったいに接触してはいけない、本能がそうはじき出した。話さない、聞かない、見ない。と、決めた。だが、しくじった。というか、よく考えたら、初日、俺は拉致されたんだった。犯罪がここに完成してやがっている、奴らは異常者だ。いまからでも通報すれば、逮捕も可能な気がする。そして、願わくば、なるべくキビシイ裁判にかけられてしまえばいい。めいっぱい、真っ当な大人たちから怒られてしまうがいい。歳下のちゃんとした大人に怒られる様子も見たいところだった。ああ、なさけないなぁ、高いところから見ながら、ほくそ笑んでしまいたい。想像しただけでもたのしい、遊園地にいったみたいにたのしくなる。
しかし、それはそれで、心の病気かもしれない。
で、けっか、奴らは俺をさらった。ちいさなキャンピングカーに押し込み、一方的にわけのわかない説明を、むちゃくちゃなことを頼み、ことをじめだす。じつに身勝手な犯行だった。こっちは扶養家族だ、病気のときは、おやじの名前の入った保険証を見せてるんだってのに、どうかしてる。
書いているうちに、思い出したせいか、だんだん、こうして書くことがおっくうになってきた。はやくもペンを投げ出しそうだった。文章なんてめったに書かないし、書いたこれをやがて誰に読ませる予定もないので、やめてしまいたくなる。
ああ、そういえば、いつかどこかで、誰かにきいたことがある。いや、読んだかことか。まあ、忘れたが、ある人によると、その人は頭のなかで何かを考えるとき、誰かにしゃべるように考えるという。俺もそれに近い気がする。誰かへしゃべるように考えている。いった、誰へだろうか。正体はいつかつきとめてやる。
暴くのだ。
それはされおき、眠くなってきやがった。でも、いま、これを書き残すことをあきらめたら、二度と書く気がしない。したないので、ここからは、かけ足で書いくことにする。雑でいいだ。雑でも無いよりマシだ。ダッシュだ。
一日目にパン屋へ行った、二日目にひき逃げされた、三日目に動物園へいった、四日目に喫茶店でメシを食った、五日目も喫茶店へいった、六日目に猫を探しにいった。七日目に高速道路でどこまでも走られそうになった。
こうして並べてみると、二日目は完全にアウトな出来事にみえる。法治国家において、扶養家族が車にやられてるじゃーないか。
まあ、けどしかし、無事とは恐ろしいことだった。それでもいまは、やれやれとしか思ってない。とくに痛い場所もないし、たぶん、だじょうぶだろ。いけるはずだ。いけるいける、どこへゆけるか不明だが、そもそも生きるってのは、そうおおざっぱに思ってないとやってられない。そう、理不尽に耐性があることに救われてゆこうじゃないか。
と、考えて、片づける。もはや、ここまで来てしまっては、それしか生きる術がないとさえ思えてしまっている。
しかし、それはそれで、心の病気かもしれない。軟膏とか治せんものか。
ああ、そういえば。
今日、矢山かるめがウチへ来た、あの猫をリュックへ入れてやってきた、木野目さんが背負ってたリュックだ。チャイムがなって、戸をあけたらそこにいた。あいつと至近距離から向かいあったのはおそらく小学生ぶりくらいだ。中学んときは話した記憶がない。
不意をつく襲来に、俺は先日のおっさんの件もあって、パニックになり、じゃっかん動きもあたふたしてしまった。それはじつに憐れな生き物の様子だった。それでしくじって玄関にかざってあったオヤジのお気に入りロボットフィギュアに手がふれ、落としそうになった。間一髪、かるめがそれをキャッチした。反射神経がいいらしい。俺は、でかした、といった。
あいつは猫の飼い方を教えてほしいといってきた。その時、うちには俺以外誰もいなかった。それで、お互い玄関先に腰を降ろして話をした。
しかし、なぜに、とつぜん、俺に猫の飼い方を教わりに来る、それを訊ねた。あいつは、だってさ、小学校のとき、あなた猫飼ってたし、みせてもらたでしょ、だから、といった。俺が、古い記憶に縛られた人生め、と言い返すと、そういえばそのときチョコもあげたよ、と返された。今日はチョコなどないのか、手土産なしかい、とリターンすると、じゃあ、私のメガネでも受け取れ、と言ってその場で自分のかけている眼鏡を外して、差し出してきたので、遠慮なくいただく、とその場で受け取った。それでメガネなしのあいつの顏を、はじめて見た。少しして眼鏡は返した。
そんな始まり方だった。それから所望通り、あいつに猫の飼い方を教えてやった。もっとも、我が家の猫の飼い方が、正しい猫の飼い方かどうかもあやしい。それでも、自家製ながら気を付けていたことを教えた。途中で、むかし、見せてやった猫は、二年まえに召されたことも伝えるかたちになった。
ふと、腹が減った、と俺はつぶやいた。あいつはパンでも食べに行こう、おいしいパン屋を知っているとも続けた。パン屋でいろんなパンが並んでいるのみると、幸せ気分になるんだとも話していた。
ところで、一条さんとはあれから会ってないない。連絡先交換とか、そういうしゃらくさいこともしなかった。あれから彼女にフラれたりしなきゃいいだけ願ってはいる。
にしても、パンはたしかにうまかった。いいパンだ。
きっと、また食べにゆく。
おわり
我ら神殿の子どもたち サカモト @gen-kaku
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