5 終わりに続く日々

「それで、そのあとどうなったか知りたいか?」


 目つきの悪い方の友人が酒杯を片手に尋ねてきたのに、エイリックは「いや、全然」と返した。


「マシュラム、私的な時間に仕事の話を持ち込むのはどうかと思いますよ」


 対照的に温和そうな見ための持ち主である友人、アルフレートがそう窘めたが、目つきの悪い方改めボードは、なおも不満げな表情を崩さない。


「おまえもあのじいさんたちと直接かかわってみりゃわかるよ」

「え、それはちょっと……遠慮します」


 やんわり断りを入れるアルフレートを、ボードは涙目で睨みつけた。


「……だろうな。わかってた」


「あのさ、僕の結婚の前祝をしてくれるっていう話だったよね? なのにどうしてボードの愚痴を聞く流れになってるわけ?」


 これはなんの罠なの、とエイリックは口を尖らせた。


「しょうがねぇだろ。独身主義だった誰かさんが急に結婚するとか言い出すから、こっちはこの一年、ずっと大変だったんだ」


「別に独身主義ではなかったよ? いつでも結婚できるよう、候補だって内々には考えていたしね。ただ、神の娘が来るまでは独身でいるつもりだったから。……ほら、恋愛で絡めとる手段もあるかなって」


「最低だな……」


 あきれたように言う友人に、エイリックは肩をすくめて見せた。


「まあ正直、役に立たなくてよかったけどね。ただ独身でいる必要がなくなったからには、早く結婚して跡継ぎを拵えないといけないから」

「……子どもを料理みたいに言うなって」


「いずれ王になることは受け入れてもらわないとならないにしても、できるだけ長く、自由な子ども時代を過ごさせてあげたいからね。……そうじゃないと、帳尻が合わないからさ」


 微笑んでエイリックはそう言った。今のところエイリックの心臓は健やかに機能してくれているが、歴代王の短命さといつまで無関係でいられるのかはわからなかった。


「これからも便利に使われるんだろうなぁ、俺たち……」


 疲れた顔でつぶやくボードに、アルフレートは不思議そうに首を傾げる。


「どうしてマシュラムは力になりたいと素直に言えないんですか?」

「やめろアルフレート。おまえのそういうところが文官向きじゃないんだわ……」

「そうなんですか?」

「そうなんだよ」


 ボードは盛大にため息をついた。


「成年式と誕生祭のあいだに結婚式が入ってさ……いろんな準備が同時進行しすぎて、最近、なにやってんのかわかんなくなることがよくある……」


 間もなく迎える成年式は、毎年冬に行われる祝いの儀式だ。成年である十五歳に達した者たちが成年登録を行い、国からの祝い金を受け取る。誕生祭はその名の通り国王であるエイリックの誕生を祝う祭りで、春の半ばに行われる。エイリックの結婚式は、ふたつの式のちょうどあいだ、春のはじめに予定されていた。


「でも、成年式と誕生祭は毎年のことじゃないですか」

「いや、毎年あるからって労力がなくなるわけじゃないからね……?」


 不満を訴えるボードから視線を外し、アルフレートはエイリックを見た。


「今年は彼女も成年を迎えるんですね」


 その言葉に、エイリックは目を細めた。


「さすがに、去年の式には間に合わなかったからね。彼女の場合、もとから年齢なんてはっきりしないわけだから、問題ないけど。……この一年がんばってくれた彼には、もうそろそろゆっくりさせてあげたいところだね」


 そう言いながら、エイリックはちょうど一年前の今ごろ、弟と交わした会話を思い出していた。






 その冬はじめての降雪があった翌日。会って話がしたい、という弟からの手紙を受け取ったエイリックは、すぐに時間をつくった。


 神の娘であるユキにこの国の存続を選ばせるにあたって、エイリックがなにをしたのか。あの面会の本当の意味に、レヴィンは気づいているかもしれない。


 すでに選択のときは過ぎた。弟は、彼女を失っただろう。だからレヴィンにどんな言葉を向けられようとも、エイリックはそれを受け止めるつもりでこの面会にのぞんだ。


 けれど事態は、エイリックの予想していなかった方向へと動いていた。


「……選択のときを迎えてなお彼女が帰ってきたということは、普通に考えれば、滅びを選んだということだよね。イレイネシアに掛け合い、命を捧げるときを遅らせてもらったという話には、彼女の言葉以外になんの根拠もない。それでも君は、この国が滅びないと本当に信じられるの?」


 事の次第をレヴィンから聞いたエイリックは、静かにそう尋ねた。


「俺は、ユキの言葉を信じます」


 逡巡を見せずに口を開いたレヴィンは、信じられる、ではなく信じると、迷いのない声でそう即答する。


「……そう」


 短く応じたエイリックは、まっすぐに自分を見る黒い瞳から視線を逸らした。


 ユキもレヴィンも、こういう嘘がつける人間ではないと頭のどこかでわかっている。レヴィンの話す通り、国は続き、ユキはいずれ消えてしまうのだろう。けれど疑り深い自分には、それを心から信じることなど到底できそうにない。彼女が消えてようやく、彼の言葉に嘘はなかったと思えるようになるだろう。


 いずれにしても選択のときは過ぎ、すべてはもう決してしまったあとだ。エイリック個人がそれを信じられるかどうかなど、些末な問題に過ぎなかった。


「報告はわかったよ。ご苦労さま」


 笑顔をつくったエイリックは、それをレヴィンに向けた。


「それとも、他にもなにか話したいことがあったかな?」


 こういう事態になっていたことはまったくの想定外だったが、だからといって自分がレヴィンにしたことがなくなったわけではない。彼に言いたいことがあるのなら、当初の予定通り、話を聞くつもりだった。


「……こうして直接会ってお伝えしたかったのは、この話を聞いたあなたがどう思うのか、それが気がかりだったからです」


 思いがけないレヴィンの言葉に、エイリックは軽く目を瞠った。少し間を置いて、事態を知った自分になにかしらの介入をされることを憂慮しているのだろうと理解したエイリックは、安堵を促すように言った。


「心配しなくても、なにもしないよ。すべてが決した今、なにをしたところで無意味だし、かえってイレイネシアの不興を買ってしまうかもしれないからね」


「いえ、俺が心配しているのはそういうことではなく……」


 適した言葉を探すように時間をかけたあと、レヴィンはエイリックを見た。


「あのとき、あなたが俺に話したことに嘘はなかったと思っています。王として次の時代にこの国をつなぐためなら、俺たちを利用すると、あなたはたしかに言っていた」


 その言葉で、やはりレヴィンは気づいているのだと確信が持てた。


「利用されたとわかっていて、君はそんなことをしたやつのなにが気がかりなの?」


「百年に一度、神の娘がやってくることを、ずっと、あなただけが知っていた。それならあなたにとってこの結果は、ようやく手放せるはずだった重圧が、ずっと手元に残り続けるようなものだ。誰かの言葉ひとつで簡単に受け入れられるとは思えない」


 そういうことか、とようやくエイリックは合点がいった。この弟は、エイリックを責めるどころか、その心情を慮ってこの場にいるのだ。


「それは僕の問題だよ」


 静かに告げたエイリックから、レヴィンは視線を逸らさなかった。


「……切り捨てられないんです」


 どこか諦めたような、苦笑まじりの表情を浮かべながら、穏やかな声で話す。


「あの日、この国を滅ぼさないとユキから聞かされたとき、唐突すぎると感じました。彼女が選択をすでに決めていて、俺の言葉で覆されないよう城に留め置いていたのなら、あの場で俺に会わせるはずがない。いつ決めたのかと聞かれて動揺する彼女を見て、あの面会の意図に気づきました」


「それを知って、君は傷ついたはずだ」


「それでも切り捨てるには、あなたの話してくれたことには……大事なものが混ざりすぎていた」


 だから、あなたが苦しむのをわかっていて無視することはできなかった、とレヴィンは言う。


「君に、なにができるの」


 エイリックは思わずそうつぶやいていた。それは嘲りではなく、純粋な疑問だった。ただどうしても信じることができない、というだけの個人の気持ちを、いったいどうすることができるというのか。


「王として、引き継いだものを次につなぐのだとあなたは言いました。それを俺にも、手伝わせてくれませんか? 国が滅びるとわかっていながらここまでやるはずがないと、あなたが信じられるまで。だからそれまでは、いつでも疑って、目を光らせていてください」


 その言葉はやはり、エイリックの心を救えるような劇的なものではなかった。それでも彼の苦悩を遠ざけず、愚直なくらいまっすぐに向き合おうとしている。


 結局この弟は、悲しいくらい従順で優しい。利用されたとわかっていて、それでも歩み寄ろうとしてくれている。それを断ち切ればきっと、芽生えたかすかなつながりも、ここで途切れてしまうのだろう。エイリックは今度こそ本当に弟を失うことになる。


「……ボードに言わせれば、僕は人使いが荒いそうだけど……」


 さんざん時間をかけたあとで、不器用にそう告げたエイリックに、レヴィンは目を細めて「大丈夫です」と穏やかに答えた。



 ◆◆◆◆◆



 買い物袋を手に並んで帰宅したエルマとユキに、出迎えたゼルマが声をかけた。


「おかえりなさいませ、ユキ様、姉さん」


 挨拶を返したエルマは、よく似た面立ちの弟に満足げな笑みを向けて言った。


「ここのところ、家のことを任せきりにしてしまってごめんなさいね。おかげでなんとか完成しましたから」

「よかったですね」


「エルマもゼルマも、ありがとう」


 買い物袋をぎゅっと両手に抱えながらユキが言うと、双子はそれぞれ首をふった。


「いいえ、これは私のわがままでもありますから」

「むしろ姉さんに付き合っていただいてありがとうございます」


 三人で視線を交わして、ほんわかする。


「レヴィンにも見せていいか?」


 ユキが尋ねると、エルマは微笑んでうなずいた。


「ええ、きっとレヴィン様も喜んでくださるはずです」


 いったん自室に立ち寄って着替えを済ませたユキは、レヴィンの書斎に向かった。


 一年前、ユキが戻ってきたことを王城に報告に行ったあとから、エイリックの仕事を手伝うようになったレヴィンの日常はにわかに忙しくなった。以前はほとんどの時間をユキと共に過ごしていたのに、今は食事と散歩のとき以外は書斎にこもっていることが多い。


 扉を開いた書斎に、しかしレヴィンの姿はなかった。仕事をしていた形跡は残っていて、机の上には一通の手紙がある。いったん開封したあと、再び丁寧にしまわれた形跡のあるその封筒は、普段レヴィンが使っている厚みのあるものとは違い、薄く素朴な感じのするものだった。


 レヴィンはどこに行ったのか。次は応接室でも探してみようかとユキが廊下に出ると、応接室とは逆の方向から歩いてくるレヴィンの姿が目に入った。


「おかえり、ユキ」


 こちらに気づいたレヴィンが先に声をかけてくれる。ただいま、と答えたユキは、レヴィンと合流してから立ち止まって顔を見上げた。この一年、ユキの身長も少しは伸びたが、それ以上にレヴィンが伸びたため、見上げる高さは以前よりも高くなっている。


「珍しいな、おまえが書斎にいないなんて」


 ユキが言うと、レヴィンは「ああ、」とうなずいた。


「少し懐かしくなって物置部屋に行ってたんだ」

「物置部屋?」

「あっちの奥に古い物がしまってある部屋があるんだ」


「何か探し物でもしてたのか?」

「いや。そういうわけはなく、ただの気分転換だ。ユキの方は、用事は済んだのか?」


 問われて、ユキは「そうだった」と目的を思い出した。


「頼んでいた仕上げが出来上がったから受け取って来たんだ。今、着ているこれが成年式用の衣装……完成形だ」


 仕上がったばかりの衣装が見やすいよう、両手を広げてみせる。


 その年、成年を迎えた者が成年式で身に纏う衣装は、家族や近しい大人たちが幸福を願って針を入れるのが習わしになっている。ユキが着ているこの衣装も、レヴィンとゼルマ、それから国王その他二名が申し訳程度に何針かずつ縫ってはいるが、大部分を仕上げたのはエルマだった。


「そうか。ようやく完成したのか……」


 レヴィンは感慨深くつぶやいて、改めて目の前のユキを見た。


「初期案ではフリルとレースの塊になってたからな……なんとか落ち着いた感じに仕上がって、本当によかった」


 ひざ丈の白いワンピースに、同じ着丈の緑色の羽織りを合わせて腰のベルトで絞っている。伝統的にかたちが定められているこの衣装は、色や飾りで違いを出すのが一般的で、そこにこだわりたいエルマと、ほどほどで抑えようとするレヴィンとのあいだで、ここ最近の食卓は静かな舌戦が繰り広げられていた。


「私は別によかったけどな。それがエルマの愛情のかたちだから」


「……ときどき、おまえがいちばん大人なんじゃないかと思うよ。手伝わないくせに口だけ出してしまったから、エルマには申し訳なかったけどな。……できれば俺がつくりたかった」


 手間を惜しまない料理の仕方といい、人のためになにかをするのが好きなレヴィンのことだ。いざ自分がつくることになれば、彼もまたなにかしらに凝りはじめたに違いない、とユキには思えた。二人とも、方向性は違うが気質は似たところがある。


「仕事が忙しくて、そんな時間はなかっただろう?」


 具体的にどんなことをしているのかまではユキにはわからないが、事務仕事をしているのだとレヴィンは話していた。


 事実はどうあれ、滅びの種である彼が、表に出て働くことはやはり難しい。それでも仕事をはじめてからのレヴィンはどこか嬉しそうで、ユキがそれを指摘すると、「……誰かの役に立てることが嬉しい」とはにかんで言っていた。


 それだけでユキは、この国を滅ぼさなくてよかったと、心から思えた。


「春の誕生祭が終わればこの忙しさにも目途がつくはずだから、そうしたらユキと過ごせる時間も増えるな」

「本当か?」


 尋ねたユキに、レヴィンはうなずいた。


「本当だ。もともと例年にない慶事のぶん、忙しくなっていただけだからな」


「なんだ。やっぱり全部エイリックのせいか」

「……ユキは本当に陛下に厳しいな……まあ、仕方がないことだが」


 苦笑して言うレヴィンの表情には、以前にはなかった柔らかさがある。彼が兄に対して抱いている親しみが、素直に滲み出ていた。


 この最後の国が、彼にとって幸せに生きられる場所になってくれればいいとユキは思う。そうすれば、いつか来るそのときを迎えても、自分は喜んでこの国をまもる支えになれるはずだから。この時間を自分に許してくれた、優しい神のもとで。


 それまでは、終わりに続くこの貴重な日々を、大切な人と共に過ごしていく。


「レヴィンはこのあと仕事に戻るのか? それならお茶を淹れてくる」

「そのつもりだが、ユキは先に着替えてきた方がいい」

「あ、そうか」


 言われてユキは、自分が成年式の衣装を着ていることに思い至る。たしかにこの服のままお茶を淹れることはできない。


「衣装を見せてくれてありがとう。お茶なら俺が淹れておくから、食堂で一緒に飲もう。エルマとゼルマも誘って」


 そう提案するレヴィンに、ユキは「そうだな」とうなずいた。そのまま二人並んで廊下を歩き始める。隣を行く青年の横顔は穏やかで、ユキも自然と表情がゆるんだ。手を伸ばすと小さく笑う気配がして、その手が握り返された。

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最後の神がまもる国 はくぼく @hakuboku

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