第2話 監獄の創作者
「三〇五五、入るぞ」
狭い独房に二人の職員が入る。三〇五五と呼ばれた男は灰色の上下を着て机に向かっていた。
「また眼鏡女を描いているのか」
職員は呆れながら三〇五五が机で描いているものを見た。
三〇五五は白紙に鉛筆で黒髪ロングで眼鏡をかけたセーラー服を着た少女を描いている。絵柄は漫画のキャラクターみたいである。
「これは眼鏡っ娘だ」
三〇五五は不機嫌そうに反論する。
「変わらん。こいつは没収するぞ」
三〇五五が向かう机の隅には描かれた眼鏡をかけた女性の絵が三枚ほど重ねて置いてある。職員はその絵を乱暴に掴むと丸めてビニール袋へゴミのように入れる。
「まったく、いつまでこんな絵を描くんだ?まともな芸術をやればいいのにな」
職員は三〇五五を罵り独房を出て行った。
「ぐ・・・・・」
三〇五五、本名を本田俊雄と言う四〇代の男だ。
この日も描いた眼鏡っ娘の絵を取られて静かに泣いた。
二〇二X年、日本で表現規制を強化する法律が施行された。
「青少年の健全なる育成に障害となる表現」「青少年を性的に搾取する事を扇動する表現」「社会に不快を与える表現」が規制の対象となった。
法律は規制だけでは無く、規制対象の表現を創作した者を矯正させる事も定められていた。俊雄はその法律で矯正施設に入れられていた。
入所して一年が過ぎていた。
日々は規制対象表現が如何に社会に有害であるかを教育する座学が中心で、他は健康維持の体操やランニングを行う日々だ。
それ以外の食事と寝る時間以外を俊雄は絵に費やいしていた。
もちろん描くのは眼鏡っ娘だ。
十代のオタク趣味を始めた頃から好きなヒロインは眼鏡っ娘だった。
数多あるヒロインの中でも常に眼鏡っ娘が真っ先に目に留まった。それは自ら眼鏡っ娘を描くに至るのに時間はかからなかった。
同人誌の漫画では眼鏡っ娘が主役かメインヒロインの作品を描き続けた。
眼鏡っ娘なら本田だと言われるぐらいの評価を得るまでになっていた。
だが、高い評価はあの法律が施行されて仇となった。
成人向けに描いた同人誌が法律に違反しているとして、矯正処置が裁判所から命じられた。
「この本に描かれている少女は、主人公である成人男性の教師からの性的な求めに従う描写が描かれています。これは読んでしまった男性教師に未成年である生徒に対して間違った認識を与えると考えられる。これは「青少年を性的に搾取する事を扇動する表現」に該当します」
裁判所からの説明はこうだった。
更に法律違反となった成人向け同人誌を幾つも挙げられ、同様に何が違法なのかについて一時間も説明された。
俊雄は事細かに覚えてはいないが、自分が描いた本は有害図書扱いにされた事は理解できた。
「よって、矯正処置を決定しました。期間は半年間ですが、経過監査により期間延長もあります」
自分に課された刑期と言える矯正処置の期間
半年我慢すればいんだと俊雄は思っていた。しかし、それは違った。
「誓いを立てましょう。社会に有害となる絵は描かないと」
矯正施設に入所すると職員からそう告げられ、誓約書のようなものを書かされた。
「半年だ。半年我慢すればいい」
誓約書に名前を書いたが、ここに居るだけ絵を描かなければいいのだと簡単に思っていた俊雄
しかし、五カ月目に入った時だった。
「これまでの教育で自分の作品が如何に有害であるかを皆さんは知ったと思います。今日は自分が作った有害作品を自ら処分しましょう」
なんと、過去の自分の作品を葬れと言うのだ。
集められた矯正処置を受ける者の半分以上は進んで自分が描いた漫画や小説、イラストをシュレッダーで裁断した。
だが、俊雄はできなかった。
「どうしました?」
動かない俊雄を職員が見咎める。
「俺にはできない・・・」
俊雄は俯きながら答える。その眼には自分が描いた理想のヒロイン達の薄い本がある。
たとえ性的倒錯な内容であろうと情熱や愛を傾けた結晶である。シュレッダーで切り刻む事は俊雄にはできなかった。
こうして俊雄は矯正期間の延長が決まり、入所して一年が過ぎてしまっていた。
入所が半年を過ぎると紙と鉛筆が支給された。
割り切った俊雄は好きな眼鏡っ娘を何枚も描いた。それを職員は毎日回収する。
職員が回収する時は丸めるか破ってビニール袋に入れた。
作品をゴミのように扱うのは俊雄のような開き直ったり、頑なな矯正対象者の自尊心を低下させる為だった。
そう言う扱いにされる事は俊雄は分かっていたが、さすがに自分の作品を目の前でゴミのように扱われるのは悲しいものがあった。
だが、自分から自分の作品を切り刻む事はしたくない。
自分の好きなモノが描ける今の状態がマシだが、自分と職員以外に見られる事無く葬られるこの状況は地獄にも思えた。
そんな俊雄にとって心の支えがあった。
朝食の配膳で配られる本である。
文庫本の大きさに切られた紙をホッチキスで留めたコピー誌のような本である。これに小説が書かれている。
挿絵は無い。文字だけの小説はファンタジーやミステリーであったり、恋愛作品もあった。
有害ではないと施設が勧める真面目な作品では無い、情熱が溢れた作品に触れて俊雄は入所して初めて癒された。創作が否定された中に居るだけにだ。
だが、いつでも読める訳では無い。昼食の食器を回収する時に一緒に戻すのが決まりだった。
また堂々と読んでいたら職員によって回収される。職員の目を盗んで読む為に時間が限られる。一週間かけてゆっくり読むのである。
この小説本は一週間または二週間で別の作品に替わる。
作者は「名無し桜」とある。
どんな人なのだろうかと俊雄は思いつつ読んでいた。
本の形からして入所している誰かが書いて、配膳係の協力者が作品を配っているのだろう。だが、製本はどうやって?など謎は深まるが探る手立てはない。
半年以上の入所者は他の入所者と話す事は出来なくなっていた。それまでは同じ入所者同士が気軽に話せたが、半年以上になると他の入所者への接近は禁じられ孤独を強いられた。これも精神的に追い込む方法だった。
だから名無し桜の小説は孤独な創作者にとっては仲間の存在が分かる意味でも心に響くのだった。
その名無し桜の小説本の巻末にある一文が出て来るようになった。
「イラスト求む!文字だけでは寂しいので、何でも良いので描いて頂ける方は昼の食器回収の時に描いた紙を渡してください」
俊雄はまず罠かと思えた。
この小説本こそが職員の罠ではないかと。
イラストを寄稿すると職員が出て来るのではないのか?描いたイラストをまたゴミにするのかと。
俊雄はこの応募を見送った。
見送って二週間後に来た新しい本にはイラストが五点あった。
鉛筆で描かれた少女や少年に獣人があった。どれも引き込まれた。俊雄が絵を描くだけに余計引き込まれた。
こんなに描ける人がこの施設の中に居るんだと。
改めて仲間意識を強くする俊雄であったが、その仲間に加わっていない事に寂しさを感じた。
「俺もこの本にイラストを載せたい」
作品発表の場が現れて俊雄は無視できなかった。
罠ではないかと言う警戒感は消えていた。ただ自分の作品を見て欲しかった。
俊雄は机に向かう。
自分の好きを込めたヒロインのイラストを描くために。
そして次の二週間後に配られた新しい本には俊雄のイラストが載せられていた。
描いたのは好きな黒髪ロングで丸い眼鏡をかけたメイド服の少女だった。
髪は風を受けて広がり、フリルのあるエプロンや長いスカートがはためている様子が描かれている。
印刷された自分の絵
久しぶりに感じた充足感が俊雄を満たした。
「最近の収容者の様子がおかしい」
矯正施設の幹部職員会議でこんな議題が上がった。
「収容者の経過観察や直に見回り、最近の収容者は明らかに表情が明るい」
有害な創作を棄てさせる為の矯正、それは矯正の対象者にとっては悲しいものだ。だから表情が明るくなる筈が無い。
「何かありますね」
「とにかく収容者を調べろ。漫画の回し読みでもしれいるのかもしれん」
矯正施設の所長がそう決めると職員はすぐに抜き打ちの検査にかかった。
すぐに本は見つかった。
「持って行かないでくれ!頼む!」
俊雄は職員に没収される時に懇願した。それに加虐心を刺激された職員は本を俊雄の前で千切りバラバラにした。
職員は高笑いをしたが、俊雄は涙を流しながら放心しうなだれた。
「有害図書を作った収容者はより厳重な管理をされる収容所へ移された。配布に協力した者は懲戒解雇の処分をしました。寄稿した貴方達も同罪ではありますが、所長の寛大さにより三カ月の創作禁止の処置にします」
俊雄達、イラストなどを寄稿した収容者達は何も描けない処罰を受けた。
本に載る快感を得たばかりの者達にとって、それは厳しい罰だった。
我慢ができない収容者は床や壁に爪で絵を描いてしまい、創作禁止措置の延長のみならず、身体を拘束される処置をされて指の一本も動かせなくなっていた。
一方の俊雄は気が抜けた呆けるばかりだった。
希望を目の前で破かれたからだろう。俊雄は気力を無くしていた。
それは三カ月の禁止期間が終わって、職員が紙と鉛筆を置いてもだった。
入所して一年半が過ぎると俊雄は絵を再び描く。
しかし、描いているのは独房から見える空模様や鳥だった。
「もう眼鏡女はいいのか?」
職員は俊雄に尋ねる。
「最近は鳥を描くのが楽しくて。空も夕焼けを描くのが良いですね」
まるで人が変わったようだと職員は思った。
この変化を職員は歓迎した。
「三〇五五、今日から施設内作業をやって貰う。これは社会復帰の為です」
入所して一年と八カ月、俊雄は施設内で働く様になった。長い収容期間で社会復帰できないとなるのは問題があるからだ。
俊雄の配置は紙のリサイクル工場だった。
ここは収容者が描いた作品の紙が集められている場所だ。職員が集めた紙はここで溶かされてまた紙になり、収容者が使う紙として再利用されている。
俊雄はここで溶かされる前の紙、再生された紙を運ぶ仕事をするようになった。
破かれた紙でも見える熱量あるイラストの片鱗、それを俊雄は毎日見つめる。
誰かの無念が溶かされるのもである。
リサイクル工場で働き始めて二カ月後、俊雄は工場内で紙やボールペンやハサミにホッチキスを集め始めた。
だがその動きは同じく働く収容者に見つかる。
「あんた何をやっている?」
俊雄よりも若い男だった。
「絵を描きたくてね」
「絵を描くのにハサミとホッチキスはいらないだろう。本を作る気だな?」
若い男の指摘は図星だった。
少し黙って焦ったが、隠しようがないと諦める。
「そうだ。本を作りたい、名無し桜さんがやったような事を」
それを聞いて若い男は笑みを浮かべる。
「名無し桜の本を作ったのは僕だよ。後継者が現れるとは思わなかった」
「あんたが作っていたのか?」
「名無し桜から原稿を貰って製本をしていたのは僕だよ。ここの職員だから出来たんだけどね」
「懲戒解雇されたと聞いたが・・・」
「懲戒解雇したら不祥事がバレるから、こうしてリサイクル工場の作業員にされたんだ。仲間が近くに居ると教えたくないから解雇したと言ったんだろう」
「そういう事だったのか」
「けど、名無し桜は県外にある管理が厳しい施設へ送られたのは本当だよ」
「そんな・・・」
事実を俊雄は重く受け止める。
「ところでオッサン、本当に本を作るのか?」
いきなりオッサンと言われて機嫌が悪くなったが、事実であると思い直す。
「そうだ。みんなの作品を棄てられないように残して見せたい」
「名無し桜もイラストを募集する時にそう言っていたなあ。だけど、また同じように職員に発見されたらオッサンも厳しい施設へ行かされるし出所できないぜ」
「いいさ。もう五〇も手前だ。妻も入所してすぐに離婚届を送って来た。出所に拘りはない。年寄りに出来るのは次の代へ繋ぐ事だ」
「カッコイイ事言う」
若い男は茶化す。
「昔からキモオタやっていたんだ。最後ぐらいカッコイイ事がしたいんだよ」
「分かった、手伝うよ。俺もカッコイイ事をまたしたいからな」
こうしてリサイクル工場の片隅で創作の新たな光が煌めいた。
BB小説家コミュニティ短編イベント投稿作 葛城マサカズ @tmkm
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