BB小説家コミュニティ短編イベント投稿作

葛城マサカズ

第1話 セイとゴウ

 昭和二十一年の広島市

 太平洋戦争末期の原爆投下で壊滅した広島市は戦争が終わったものの、市民はまだ生活の足場を固めるのが精一杯であった。

 吉川清太はそんな広島市で活気がある場所を歩いていた。

 通りを挟むように露店が並ぶ

 軍靴や略帽など管理者不在の軍の倉庫から持ち出された物もあるが、草履や番傘など地元で作られた物品も並ぶ。

 とりわけ人垣が多いのが食べ物だ。

 卯の花で五目御飯のようにした物や海藻の粉で作った代用うどんなど、手に入る物で作られた料理に進駐軍の残飯を煮込んだ雑炊が人々の食欲に応えた。

 まともな食事ではないが、つい最近まで野草を摘んで調理して食べる事を家庭で行い、前線で飢える経験をした人々にとっては味があって食べられる物は歓迎できた。

 清太はそうした料理からの匂いを嗅ぎながら戦地から帰って来た事を実感する。

 警察官であった彼は昭和十八年に陸軍の招集を受けた。

 陸軍二等兵としてフィピンのルソン島に送られた清太は戦いの末に、上官と共に米軍へ降伏して戦争を生き延びた。

昨年末に復員した清太は警察に復職していた。

警官としては巡査部長である彼は警官の制服を着て巡回をしている。公然と開かれる闇市に制服警官が来ても誰も驚かない。

「これはお勤めご苦労さんです」

闇市の元締めらしい男が清太へ挨拶する始末だ。

まだ食料などの物資は国が配給制度で管理しているが、国民はそれだけでは飢えてしまう。闇市が違法でも取り締まれないのは食糧難が続いているせいだ。

「セイちゃん、また不景気な顔しょうるなあ」

闇市の露店から清太を呼ぶ声がする。丸顔で口髭を生やした男からだ。

「そっちは商売繁盛してそうだな」

清太は男へ振り向く。その男の名は森田剛太郎と言う。

剛太郎とは子供の時から遊ぶ友人同士だ。

「一杯どうよ?呑んできんさい」

剛太郎が手招きして誘う。剛太郎が営むのは焼酎の飲み屋だ。とはいえここにあるのはカストリ酒と呼ばれる薄めた酒だ。

「仕事中だ。遠慮する」

清太はそう言うと剛太郎の店の前から立ち去る。

「警官になってから、カタイなあ」

剛太郎は清太の後姿を見ながら思う。

清太はもう少し柔らかい奴だった筈だ。警官の制服を着てからやたら真面目になったなあと。

清太が再び剛太郎の前に現れたのは夕方の陽が落ちる直前だった。

「ゴウ!酒だ、一番濃いのをくれ!」

荒い口調で椅子を潰すような勢いで清太は椅子に座り注文した。

「へいへい」

様子が違う事を悟る剛太郎は湯呑に薄めていない焼酎を入れて渡す。清太はそれを一気に飲み干す。

「セイちゃん、どうしたん?」

剛太郎はアルコールが回り荒い気が少しだけ鈍ったところで尋ねる。

「俺の家が取られた」

「セイちゃんの家はピカで壊れてなかったな。それを?」

「そうだ。俺が帰ったら柳田組とか言うヤクザが俺の家に居座ってやがった・・・。今日からウチの事務所にするんじゃと」

清太は話しながら空けた湯呑を剛太郎へ渡す。剛太郎はもう一杯の焼酎を清太へ返した。

「その柳田組に借金でもしとったんか?」

居座り強引に建物を奪うのはヤクザがやる手段の一つだが、借金などの取り立てなど名目は付けるからだ。

「福山の親戚がしとった。その借金のカタに俺の家が取られたんじゃ」

清太は焼酎をまた一気飲みする。

「それじゃ、セイちゃんどうすんじゃ?野宿か?」

「とりあえず、警察署の仮眠室で寝るわい」

「おいおい、そんな酒臭くしてええんか?」

「…確かに、これじゃ怒られる」

「今晩は俺の家で泊まりゃええ」


清太は剛太郎の厚意に甘えて泊めさせてもらった。

剛太郎の家はバラック小屋だった。

畳が三畳だけの狭さに二人が寝る。

「結婚しとったんか?」

二人分の布団があって清太は尋ねる。

「する前に居なくなってなあ」

「そうか」

清太はあえて深く聞かなかった。

「まあ、ヤクザと結婚せん方がええしな」

剛太郎は敷いた布団に寝転がりながら冗談めいて言う。

剛太郎は田畑組のヤクザであった。その田畑組は他の組と抗争をして壊滅した為に剛太郎は闇市で働く様になっていた。

だが、面倒を見て貰っている闇市の元締めをしている安井組の一員になっているようだった。

「こうして寝るのもガキの時以来じゃの」

布団の中で清太は子供の時を思い出す。

剛太郎の家が火事で焼けてしまい、剛太郎の一家が清太の家で暮していた時があった。

市内の親戚の家へ移るまでの五日間だけだが、清太と剛太郎は兄弟のように暮らした時があった。

清太はそうした思い出に浸った。

「ウチとセイちゃんの兄弟衆が一緒の部屋で寝とったなあ。あん時は楽しかったなあ」

剛太郎も思い出して笑みを浮かべる。

「ゴウが寝小便しとったなあ」

「それを言うなや。親父にぶち怒られたんじゃけ」

懐かしい思い出によって清太はささくれ立つ心を和らげる事ができた。



 「剛太郎は?森田はどうした?」

 翌日、闇市の巡回に来た清太は剛太郎の店に別人が居る事に気づく。

 「代わりにやってくれと頼まれたんじゃ」

 訊かれても困ったと言う顔で店番を代わった男は答えた。

 「どういう事じゃ・・・?」

 清太は何か引っかかった。

 用事があっただけかもしれないが、嫌な予感のような何かを清太は感じた。

 清太は剛太郎の家へ向かう。

 「ゴウ、おるんか?」

 清太は無遠慮に剛太郎の家に入る。すると、そこには畳の上に胡坐をかいて日本刀を磨く剛太郎が居た。

「なんじゃ、セイちゃんか。ビックリしたで」

「ゴウ、その刀はなんじゃ?」

清太は指さして剛太郎が持つ刀について訊く。

「俺の得物じゃ、ヤクザが丸腰じゃいかんけえのう」

当然のように剛太郎は言う。

「警官の俺の前でよう言う!」

「セイちゃんじぇけえ、正直に言うたんで」

怒る清太に剛太郎はおどけて言う。

「なら、正直にこれから何処へカチコミに行くんか言うてくれ」

「ええじゃない。俺の野暮用じゃけえ」

剛太郎はまだおどけている。

「俺の家じゃろ?そうじゃろ!?」

清太は剛太郎の前へ立ち言い寄る。剛太郎は諦める顔をした。

「そうじゃ。セイちゃんの家を取った柳田組の連中を叩き出しちゃる」

剛太郎が清太へ顔を向けて言った。

「そんな事せんでええんじゃ!」

清太は必死に訴える。

「セイちゃんはええと言うても、俺の気が治まらんのじゃ」

「ゴウ、どうしてじゃ?」

「俺は柳田組にやられてばかりだからじゃ。田畑組を組長ごと潰され、そん時に秋子も死んでしもうた」

「秋子ってまさか、昨晩言っていた結婚する前に居なくなった女か?」

「そうじゃ。小さな食堂の娘でよ、こんな俺を好いてくれた観音様みたいな人じゃった・・・そんな秋子が、俺達を狙った柳田組の流れ弾で死んでしもうた・・・」

剛太郎の目尻に涙が浮かぶ。

清太はかける言葉が見つからない。

「それでも組が無くなって、安井組の世話になっとるけえ我慢しとった。けど、ダチの家を奪った。もう我慢ができんのじゃ、俺が大事にしとるのが柳田の外道共にこれ以上奪われるんが」

剛太郎の悲憤に清太はまたしても言える言葉が見つからない。

口も開けないほどに。

「これは俺と柳田組とのケンカじゃ、俺の気が済むまでやらせてくれ」

剛太郎は立ち上がり旧軍から流出したコートを羽織り、刀を隠して家を出ようとする。

「待て!」

清太は太い声で剛太郎を止める。思わず剛太郎は足を止める。

「待てんよ。俺は行くけえ」

「待ちいや!俺も行く!」

「セイちゃん、本気か?」

「俺の家に行くんなら、俺が行かんでどうする」

「けどよ、警官じゃろ?」

剛太郎は清太を案じる。

「自分の家を取られて、ダチが取り返しに行って。そんなんで情けのうて警官がやれるか!俺は警官は辞める!」

「ええんか?」

清太の決意を剛太郎は確認する。

「ええんじゃ、嫁も両親もみんなピカで亡くして俺一人じゃ。ゴンの紹介で闇市で働ければええ」

「分かった。面倒をみちゃるよ」

こうして二人によるカチコミをする事と決まった。



 夜になってから二人は清太の自宅だった家の前に来ていた。

 夕方に退職願を一方的に出してから清太は剛太郎の家で身支度をした。

 剛太郎と同じように旧軍からの流出品であるコートを羽織っていた。その下には拳銃と銃剣を忍ばせている。

 「ええか?」

 「ええぞ」

 二人がそう短く確認し合ってから動き出す。

 剛太郎が先を駆ける。

 「何じゃ!お前ら!」

 清太と剛太郎が近づくのに気づいた柳田組の組員が吠える。

 「どけや!」

 剛太郎はコートの中から抜いた刀で柳田組の組員を斬り伏せ道を開く。

 「カチコミか!何処の奴らじゃ!」

 柳田組の舎弟頭である竹山が事態を把握しようと舎弟達に尋ねる。

 「分かりません」

 「数は?」

 「二人」

 「ほじゃ、さっさと片付けえや!」

 竹山は舎弟達を怒鳴って送り出す。

 「まったく、ようやく儂の家が出来たのに」

 竹山は舎弟頭として自分の住む家を探していた。そして、借金を抱えている負債者の目録から目を付けたのが清太の家であった。

 「俺は、吉川清太じゃ!俺の家を取り戻しに来たけんのう!」

 清太は庭から縁側を上がり自宅へ上がり名乗り上げる。

 「ああ?サツか、こんなんしてええんか?」

 竹山は自分が追い出した家主が殴り込んで来た事に驚きつつも、清太が警官だと知っていて嘲笑う。

 「警官は辞めたんじゃ、遠慮無くあんたらを叩き出したるけんのう」

 清太の執念に竹山は呆れた。

 「無茶が過ぎるじゃろ、アンタ」

 竹山はまた清太を見下して言う。

 「無茶結構!俺はフィリピンでアメリカの戦車に突っ込んだんじゃ、度胸じゃあんたらに負けんど!」

 清太はコートを脱ぎ去り、十四年式拳銃を抜き、柳田組の組員へ向け放った。

 「くそ、なんだってんだ!」

 竹山は舎弟達に清太を任せて家の勝手口へ向かう。

 「おう、何処へ行くんじゃ」

 勝手口には剛太郎が待ち構えていた。

 「この野郎!」

 竹山はM1911拳銃を抜き出して剛太郎へ向けようとする。

 「遅いのう」

 剛太郎は竹山が構えるより前に飛び出し、身体を竹山にぶつける。剛太郎は身体をぶつけながら、竹山に刀を突き刺していた。

 冷たい目で竹山が虫の息になるのを見てから、竹山の手から拳銃を取り上げ剛太郎は清太の所へ向かう。

 「遅いぞゴウ」

 銃剣を構えた清太が出迎える。

 清太は二人の柳田組組員と対峙している。

 「あんたらの頭を倒したぞ、逃げるんなら逃げえ!」

 剛太郎は竹山を倒した事を告げる。

 すると二人の組員は顔を見合わせ、頷き、逃げにかかる。

 「おい、息のある仲間は連れてけや!」

 清太は組員二人に言うと、逃げ出そうとした二人は家の中で倒れているが息がある組員を担いで出て行く。

 「大丈夫か?」

 「ちと、腕と足を斬られたが大丈夫じゃ。むしろ返り血が目に入っていかん」

 「それならええが、セイちゃん強いのう」

 剛太郎にとって清太の強さは意外だった。

 「戦地で度胸ができたせいじゃろう」

 清太は自分の強さを誇示しない。むしろ冷めた言い方をした。

 「家中、こんなに血まみれになると掃除も大変じゃ」

 話題を変えるように自分の周囲を見渡しながら清太は言う。

 「柳田組の連中も転がっとるし、これじゃ寝れんのう」

 剛太郎は友人の家を取り戻すと言ったものの、結果がこれでは悪い事をしたように思えて来た。

 「もう、ここはええ。捨てよう」

 清太は自分で自宅に火を放った。

 「なんだか気分が良ええ。過去を切り離したようだ」

 清太は燃える自宅を眺めながら言う。

 「そんなに辛かったんか?」

 剛太郎は清太の心境を思い心配になる。

 「嫁と両親を同時に亡くすとな。でも家が残っていたから思い出せれた。思い出して辛いんじゃけど嬉しかった。でも、家を出れば亡くした現実を思い知らされる」

 剛太郎は清太にかける言葉が見つからず黙って聞く。

 「柳田組の血で汚れたのを見て、もうええと思ってな。踏ん切りがついた」

 「そうか・・・」

 「辛気臭い顔をすなや。俺は警官を辞めたんじゃ、これからお前が世話してくれんと困るんど」

 清太は表情が固い剛太郎の背中を叩いて気分を変えようとする。

 「それがのう、柳田組の連中をこんなにやったら安井組もええ顔をせんと思うんじゃ」

 剛太郎は固い表情のまま言う。

 「なんじゃ、俺はどうやって食って行くんじゃ?」

 「俺は考えた。俺とセイちゃんで組を旗上げすればええんじゃと」

 剛太郎の提案に清太は呆れたが、すぐに笑い声を上げた。

 「そりゃあええ、面白い。組長はゴウでええわ」

 「いや、セイちゃんじゃ。俺は頭を使うのは苦手じゃけえ」

 燃える家を背にしながら二人は新しい明日について語り合う。

 大事な者を亡くした同士が幼馴染から相棒になった最初の日であった。

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